朝日と温もり【14】
淡く光る灯光機が数ヶ所設置されている為、暗闇でもサリーナル号の存在は知れる。とはいえ、雲のほとんど無い夜空があるのだから、灯光機自体あまり意味がない。それでも灯光機には微小な虫が集まり、アズリの周囲にも纏わりついてくる。
音を立てない様に搭乗口を開けると船内は静まり返っていた。
晩酌と同義語の酒盛りをしていたとしても、通常ならばまだ一人二人は残っていておかしくない時間帯。しかし、今日は違った。
静かな通路を歩き、アズリは自室を目指す。
――レティー……レティーは? お願い。無事でいて。
森から救ってくれた救世主を見送った後、アズリはそればかりを考えてサリーナル号に向かった。
太い触手で殴り飛ばされた後のレティーアは苦しそうだった。
頭を強く打ったかもしれない。
内臓が破裂したかもしれない。
もしかしたら、それ以上の最悪。
サリーナル号を見て、自分が助かったと確信した後はレティーアがどうなったか不安で堪らなくなった。
泥だらけの靴と靴下を脱いで、居住スペース前に設置されている洗濯室に放り投げる。
皆の靴が洗って干してあり、ジャケットに関しても同じだった。古い除湿器がゴンゴンと音を立てて動いている。
ペタペタと、アズリは裸足で通路を進んだ。
自室へ続く通路には当然無音が広がり、皆が寝静まっている事を表していた。
アズリは女子部屋が並ぶ扉の中央まで進み、自室を開ける。暗い部屋の室内灯を灯すとレティーアの香りが存在するだけで、誰も居なかった。
――医務室よね。やっぱり。ああ、レティー。
あんなに飛ばされて無事でいられる訳がない。
実は軽症で普通に部屋で寝ているかも、等とありえない期待をしたが、簡単に裏切られる。
急ぎ医務室に向かうアズリの足音を裸足である事が緩和してる。
一度カナリエの部屋をノックしようと迷ったが、船内があまりに静かで、それは躊躇った。医務室に着くと、船員のルール通り一度ノックをする。
女性の診察時、不意に開けられる事態を防ぐ為のルールではあったが、いつの間にか船員皆に常識となったルール。
しかしそのノックに反応は無かった。
普段はペテーナが自室へ戻るのを面倒くさがって、日がな一日籠る部屋なのだが、珍しく今日は居ないようだった。
アズリは優しく扉を開けた。
薄っすらと室内灯が点いていた。様々な薬が棚に並び、診察テーブルの上にはカルテが綺麗に整理されている。掃除も行き届き、絶えず綺麗な医務室には消毒液の臭いがこびり付いていた。手術室の扉には手術中のプレートは掛かっておらず、ガラス越しに見える実験室にも誰も居ない。だが、三つあるベッドの一番奥にはカーテンがしかれていた。
アズリは走りたい気持ちを抑えて、静かにベッドへ歩み寄り、カーテンを開けた。
「……レティー……」
そこには頭に包帯を巻いたレティーアいた。
町でも使われている患者着。そこから覗く胸元にも包帯が巻いてあるが、生き死にを左右するチューブや機械は繋がれていない。ただ静かに寝息をたてて、深く夢の中に沈んでいるようだった。
「よかった……本当に良かった……」
アズリはレティーアの手を握り、自分の額に押し付けた。
朝日が差し込む前。
あまり眠れなかったリビは頭を掻きながら体を起こした。
「ああ……くそっ」
睡眠は人一倍取る派、であるリビは浅い眠りに苛立ちを隠せなかった。
隣のベッドを見ても誰も居ない。信じられない位に動き回る寝相のミラナナを、二、三発の蹴りで叩き起こす日課さえ出来ない。
窓から外を眺めてもまだ暗く、高速艇が帰る気配すらなかった。
「ちっ。まだ帰ってないのかよ。遅ぇ」
もし船長の言った時間通りに帰って来るのであれば、そろそろ着いても良いはず。しかし、現実的に考えれば夜明けまでに帰ってくる事は難しい。
無理難題と分かりつつもアズリの為に、今現在必死に高速艇を飛ばしているミラナナの姿が目に浮かぶ。
リビは生まれてから数度しか切った事の無い髪を無造作に纏めた。ハイポジションで纏めた髪は、量の多さと長さ、そして妙に整ったウェーブが相まって、お金をかけて整えた豪奢な雰囲気に自然と収まる。
サイズピッタリのインナーには、程よい筋肉と脂肪が浮き出ていて、小さめのショーツからは太股がむっちりとした少し短い足が伸びる。
その足に太股まである靴下を履いて作業着を通す。そして上に一枚、シャツだけをひっかけて、タオルを持ったリビは部屋を後にした。
「ったく。寝れたもんじゃねー。アズリの野郎、心配ばっかりかけさせやがって。戻って来たらどーしてやるか……」
洗面室に向かって歩きながら呟くと「甲板掃除、交換っすね。俺は」と後ろから声がかかった。
「罰だろ。お前のは」
「残念。それはもう解けたっす」
ザッカがドヤ顔で視線を落とす。
少し高いくらいのザッカの身長も、リビからすれば大男と変わりない。
上からの目線が気に食わなくて少しイラついた。
「は? 何度も女の部屋覗いておいてもう終わりか? 次もし、俺の部屋覗いたらどうなるか分かってるだろうな」
「覗いてないって。いつもタイミングが悪いだけっす。偶然っすよ偶然」
「どっちも同じだ。ボケっ」
イラつく気持ちを吐き出すつもりで脇腹に拳を叩きこむ。
「いてっ!」というザッカを見ると少し気持ちが落ち着いた。
「ふんっ。で? 起きて来たのはお前だけかよ。メンノはどうした?」
「いてて。あいつは着替え中。時間かかるんすよ。いつも」
「起きてる事が珍しいな」
「ま、あいつも心配してるっすから」
女性陣は基本、起床が早い。男ではザッカが一番なのだから、朝日が昇る前に起きるのも頷ける。しかしザッカとは真逆のメンノが起きてる。ならば、そろそろ皆が起き出す頃合いだと思えた。
ミラナナが帰って来たら朝食無しで作戦開始なのだ。今日は全員が早くに行動を開始する。
前日に準備は済ませてある。後は顔を洗って歯を磨き、ジャケットを着る程度。
リビは「女だからだろ? あいつの糞みたいな行動理念は」と返して勢いよく顔を洗った。
皆が心配している。
可能性がどんなに低くても、アズリが生きている事を信じている。
今日の作戦で、更に被害が出るかもしれない。しかし、そんな事は皆どーでもよいと思っている。少なくともリビ自身はそうだった。
生きていろよと、心の奥底で祈る事自体が、それを否定している様に思えた。考えれば考える程、気持ちが重くなる。
いつも通りの雰囲気を出そうと、ザッカが変わらない会話を投げる。
それには少し救われる。リビもいつもの調子で話せる事で、いつもの様に居られる。
ふわりと浴室の方から優しい香りがした。
アマネルとレティーアが好んで使う香り。
「誰か使ってるな」
「アマネルさんっすね。多分」
良く見ると『使用中』と書かれた木札が掛けられている。シャワー音は聞こえない。
一瞬、作戦前にシャワーを浴びても意味がないだろうと思ったが、作戦には参加しないアマネルならば納得がいった。
リビは「ああ。だろうな」と言って一番下の棚を開けた。
歯ブラシを取り出してグシグシ洗う。
隣ではザッカも同じくグシグシと音を立てていた。
「おはよう」
そう声をかけられる。
リビは「むぉう」と返し、ほぼ同時にザッカも「うあ」と返した。
歯磨き中の返事なのだからまともに返せない。
いつもと違う重い今日でも、いつもの日常が戻った気がした。
ザッカと共に、後ろを通り過ぎる人物に少し遅れて目をやると、洗面室から出ていく後ろ姿が見えた。
いつもの感じがそこにあって、安心と共に視線を戻す。
「?!」
「ぶふぉぁ!!」
ダバダバと溶けた歯磨き粉を垂らしながらリビは二度見した。
ザッカは噴き出して二度見した。
床が汚れるのも気にせず、キョトンと二人して、その場に立ち尽くしていた。
レティーアの手を握り、幾ばくか眠りについていた。ふと自分自身から湧き出る匂いに気が付いて目が覚めた。あまりに汚い自分の衣服を改めて確認し、シャワーを浴びた。ザッカとリビに挨拶をして、急いで医務室へ向かう。
アズリは改めてレティーアの手を握り、薄暗い部屋で静かに眠るレティーアの寝顔を眺めていた。
怪我がどの程度か分からないが、無事なレティーアの姿と、自分が生きてここに居る事実。そしてマツリにまた会える未来が信じられない。
でも、今、レティーアの手を握るリアルがそこにはあった。
森で出会った彼女は埋葬されたのだろうか。
自分を救ってくれた救世主にはいつかまた会えるのだろうか。
思えば思うほど、考えがぐちゃぐちゃになりそうな一日を過ごした。
これ以上何かを思っても、当分纏まらないだろうと思えた。
不意に扉が開く音がした。それも勢い良く。
ビクリとして振り向くと、そこにはカナリエが立っていた。
驚きと悲しさと優しさが混じった複雑な表情。
「はぁぁぁ! もう!」
言って、カナリエが抱きついてきた。
豊満な胸に力いっぱい引き寄せられる。
「アズリ! あなたはもう! 本当に! もう!」
「ごめん。カナ姐。心配かけて」
「いい。いいの。良かった……本当に、良かった」
更に力が込められて、顔が胸に埋まる。
「ちょ、あの、カナ姐、く、くるし」
アズリはギブアップ宣言のタップをする。
「何やってんの?」
抱きしめらる後ろで声がかかる。
「え? レティー! おはよう!」
離してくれないカナリエのせいで振り向けない。
「うん。おはよう。それより私の寝てる傍で二人してなにやってんのって、いててて」
「あ! 大丈夫? あまり動かない方がいいかも」
アズリはグッとカナリエを押しのけて振り向いた。
「ああ、そうだ結構な大怪我したんだった。痛い。本当痛い。アズ、慰めて。ずっとここに居て。手、握ってて」
「うん。わかった。出来るだけ居るね」
若干棒読みなレティーアのセリフだったが、アズリは言われた通り手を握る。
「えへへ」と妙な笑顔のレティーアの顔に朝日が当たった。
そんな事はお構いなしで、カナリエが後ろから再度抱きついてくる。
「だから、言ったろ。ケロッとして戻って来るって」
「いやー。幽霊見た気分っす」
「は? 幽霊? お前が幽霊になるか? こら!」
「いてっ!」
等と、会話が聞こえ、遠くでは小型艇が飛ぶ音が聞こえた。
カナリエの温もりが背中から伝わり、朝日がレティーアの綺麗な肌をより美しく見せた。
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