【エピソード1】 三章 指定区域

指定区域【1】

 日用品の買い出しと食料の買い出しよりも先に、妹のマツリの為に薬を買いに行き、今は生花配達の帰り道。アズリは少し急ぎ足でベルの店に向かっていた。

 今日は少し調子が悪いと言うマツリが心配で、様子を見たかった。昨夜は深夜に出歩いたので帰りは朝方だった。そのまま倒れる様に眠ってしまい妹の具合を見てやれなかった為だ。


 気丈に振る舞うマツリは無理が祟ったのか昼過ぎから寝込んでしまった。頑張り屋な妹の空元気に気づけるのは自分だけなのだから、昨夜の内に注意深く様子を見てやれば良かったとアズリは後悔した。

 薬は今使っておきたいが、同時にもう少し様子を見てから打たなくてはと考えを巡らす。


――予備は二つあったはずだけど……どうしよう。


 アズリは歩きながら財布の中身を見つめ溜息をついた。


――食費の殆どはベルおばさんにお世話になってるけど、全てって訳にはいかないし。最低限の生活費を残しておいて買えた薬は結局一つだけ。これも含めて薬は三つ……か。


 怪我人も出した先日の作戦で得た売り上げは、現状量産型の戦闘艇だけ。様々な経費を差し引けば、船員に分配される給料はたかがしれていた。


――でも、裏市で売った輸送艇の売り上げもあるよね。その分のお給料いつ入るんだろう。って、いつ入るかわからないお金に期待してても仕方ないか。兎に角無くなったら大変だから、在庫だけは少しでも多く確保しなくちゃ。


 商会の給料は一定期間毎にきちんと支払われるが、最低限生活出来るかどうかのレベルでしか貰えない。しかし遺物船を見つけ、売り上げが発生した場合はその仕事毎に給料が支払われる。月に何度も売り上げが有るのならば、その都度お金が入る。当然、売り上げが高ければ高い程特別報酬も追加で貰える。稼げる商売である所以もそこにある。


 アズリは財布をしまい、見知った顔に挨拶をしながら歩く。しかし、なかなかベルの店に着く事が出来ないでいた。

 裏通りを歩いている時は急ぎ足で向かう事が出来たが、そこから出ると商店が立ち並び、歩く度に様々な店の店主に声をかけられ近況を聞かれた。その都度足を止める為、西一区商店街の一番端にあるベルの花屋まであと少しなのにも関わらず、前に進めない。


 いつもの如く様々な物を貰い、配達後の手ぶらだったアズリは気がつくと、片手一杯に荷物を抱えていた。妹の様子を見た後、日用品や食料の買い出しに行くつもりだったが、これだけ貰ったら食料に関しては買う必要が無いのではないかとも思った。

 アズリは笑顔で挨拶を繰り返し、交差点がある商店街の真ん中辺りまでたどり着くと、右角の先を見つめた。視線の先は昨日決めたロクセの住居がある。


――あれから一歩も出て来てないみたいだけど。どうしたんだろう。


 昨夜の屋上では、夜空を見上げたままロクセは何も喋らなくなった。ずっと何かを考えている様でアズリも気を使い黙っていた。少し冷たい風が体の温度を奪い始め「そろそろ帰りましょうか」とアズリが言うと、ロクセはそのまま黙って後をついてきた。

 そしてベルの店まで送って貰い、別れの挨拶を済ませてからは、姿を見ていない。


――もう昼過ぎだし、朝食も昼食もどうしたんだろう。食べてないのかな? あまり食べなくても問題ないって言ってたけど、やっぱり心配。夕食は作りにいこうかな。


 アズリは再び歩き出し、ベルの店に足を運ぶ。何処からでも声をかけられ、着いた時には荷物は倍になり、両手一杯に食べ物を抱えていた。

「戻りました」

 店内で生花をまとめるベルに声をかけると「お帰りなさい。配達ありがとうね」と笑顔が返ってきた。

「マツリはまだ寝てる?」

「ええ。起きてこないわね。三日も手伝って貰ってたから無理が祟ったのかもしれないわ。悪いことしたわ」

 この台詞も今日で二度目。ベルの申し訳ないと思う気持ちが伝わる。

「大丈夫。あの子は強いから。でも少し様子を見てきます」

「ええ。そうしてあげて。お店は大丈夫だから」

 アズリは頷いて店の奥へと入っていった。


 古く錆びだらけの台所に貰った食べ物を置き、階段を上る。登り終えると直ぐ目の前にある薄い鉄板で出来た扉を開けた。

 昔物置として使っていた狭い部屋。そこにアズリとマツリは身を寄せ合って住んでいる。

「マツリ、具合は?」

 扉を開けて二歩も歩けばベットがあり、そこに眠るマツリに声をかける。

「お姉ちゃん……。うん。大丈夫。朝より少し楽」

 気丈に笑顔で言うマツリだが、顔色が良いとも思えない。少し血の気が引いた青白い顔に汗が滲んでいる。

「顔色悪いよ。全然大丈夫に見えない。痛みは?」

「少しだけ」

「何処?」

「今は左手だけ」

 アズリは薄いタオルケットを軽く捲り、マツリの小柄で細い手をゆっくり摩る。


 手首から手の甲にかけて黒ずみが徐々に広がり、指先に至っては既に真っ黒になっている。

「どう? 少しは楽?」

「うん。お姉ちゃんの手、あったかい」

「本当はあまり触るとダメなんだけど……」

「大丈夫。まだ動くし」

「最近はいつ打った?」

「六日前。お姉ちゃんが仕事に行った日の夜」

「そっか……じゃあそろそろ薬の効果も切れてくるかもしれないね。どうする? 今打っておく?」

「……いい。痛みもまだこの程度だし」

「……そう。分かった。でも我慢しないで早く言ってね」

「うん。今はお姉ちゃんの手が一番の薬」

 マツリは黒ずみ始めた右手をアズリの手に添えて、笑顔でそう言った。左手よりはマシではあるが、右手も数ヶ月前に比べたらかなり進行している。


――右手ももうこんなに……。


 アズリは気持ち良さそうに目を閉じるマツリを見つめ、ゆっくりゆっくり手を摩る。

 この街でも殆ど居ない奇病に、何故自分の妹がかかってしまったのか。治療法も無く、薬で進行を遅くするしかない、死を待つだけの病気はどうしてマツリを選んだのか。

 記憶がある中で、唯一の血縁は妹のマツリだけ。彼女が居なくなったら生きる目的も意味も無くなってしまう。

 考えれば考えるほど、どうしようもない不安と恐怖に心を押しつぶされそうになった。

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