【エピソード1】 一章 生きる者
生きる者 【1】
独特な獣臭さと、咽せそうな程に甘い空気を静かにゆっくり吸うと薄っすらと白い息が出た。洞窟内の温度は低く、外の穏やかな陽気はあまり感じられない。
半円型とも四角形とも言い難い歪に広がった大きな空間には、鍾乳石がいくつも垂れ下がり石筍も立っている。しかし、鍾乳石も石筍も端の方にしかない。中央は削ぎ取られたのか、もぎ取られたのか、若干乱雑に無くなっている。洞窟の入り口からこの空間に続くまでの鍾乳石も石筍も同じく端にしかない。それはまるで、通り道を作ったかのようにも見えた。
その歪な空間に入る少し手前に位置取り、奥を眺めるアズリはもう一度深く息を吸い込んだ。ふわりと、また同じ白い息がでる。
アズリは襟に付いたマイクに向かって小さく「寝てます」と話すと、すかさず「了解。そのまま待機。見張っていろ」と左耳に付けたイヤホンから答えが返ってきた。
野太くも妙な安心感のある船長の声を聞くと、ほんの少し肩の力が抜けたくらいの緊張感は解けたが、まだ心臓の鼓動は早い。
アズリは屈めば体を覆う程の岩陰に身を隠した。鍾乳石からポタリポタリと垂れ落ちる水滴と、足元をチョロチョロと流れる水音を聴きながら、自分がここに居る意味があるのだろうかと思いにふけった。
ただその場に待機して連絡するだけの見張り役なら他の者でも構わない様な気がするし、別に自分がやる必要は無いのではないかとアズリは思う。しかし、その思いは今現在の恐怖から来る愚痴が表に出ただけであって、一番下っ端で何の取り柄もない自分が見張り役を担当するのは当然。という事は理解していた。それに一番危険の少ない役割だ。船長含め皆んなが気を使ってくれてる事はよく知っている。
アズリは大きな溜息をついた。未だ心拍数は高めで、不安と恐怖で手が震える。この場に来て小一時間は経つが、ナイフと通信機と双眼鏡しか持っていない事実に、更に不安が増長する。
結局はただの見張り要員である。銃なんて貴重な装備は持たされる筈もない。しかしアズリの溜息は増える。色々な意味で。
「大丈夫、かなりの量を撒いてあるから、僕らの声程度では絶対に起きやしないよ」
少し癖のある金髪と全く日焼けのしない白い肌が目立つ、中性的な顔立ちをした少年が不意に声を発した。
隣にいるその少年は、先程まで小型の研磨棒を使い愛用のナイフを研いでいたが、声を発すると同時にそれを仕舞った。
アズリの不安がいくつかある中で、少年の言葉は不安の一つをふわりと搔き消した。同時に、まるで自分の心を見透かされたかの様でドキッとした。
「よく眠ってる……みたいだけど……やっぱり、怖いものは怖いよ。そんなに落ち着いてるラノーラの方が不思議に思える」
歳は一つしか違わないのに肝の座って居る彼は大人びていて、アズリに対しては兄の様に接してくる態度が少し重かった。それが彼なりの優しさだと言う事は良く知ってはいても。
ラノーラとアズリは住んでる場所は少し離れているが、利用する商店街が同じで、買い物する時も妹と散歩をする時も時折出会う。
前に一度、財布の中身が足りず、買おうとしていた商品を諦めようとした時があった。謝りながら店員に返そうした時、「これで買うといいよ」と言いながら横からスッとお金を差し出した少年がいた。それがラノーラだった。
勿論借りたお金は返したのだが、会う度に何故か妹にお菓子を買ってくれたりと、色々世話をやいてくれるようになった。感謝すると同時に、若いのにお金に不自由がなさそうなラノーラの生活スタイルを不思議に思う様になった。
アズリが今の仕事を始めて暫くして、とある作戦の現場でラノーラと会った。その時は驚いたと同時に、お金に不自由のない意味をその時知った。その後、時折一緒に仕事をする事になってからは、知識が豊富で手早く仕事を済ます彼と何もできない自分を比べて、今度は別の感情が生まれた。それは卑屈さだった。
アズリは別に彼をライバル視している訳でも無いし、嫌いな訳でも無い。分からない事を色々と教えてくれるし、職種が違うのにも関わらずいつもフォローしてくれる。むしろ感謝しているくらいだ。ただ、比べてしまうと自分が情けなく感じてしまい、勝手に落ち込むのだ。今ではラノーラだけではなく、優秀な仲間達をみて常に劣等感を抱いている。自分は役にたっているのか、ここに居ていいのか、そういつも悩んでいた。
そんな思いを知ってか知らずか、軽く苦笑しながら「僕の仕事は嫌でも場数を踏まざるおえないからね」とラノーラは返してきた。
僕はこれが本業だから怖くても冷静にでなければいけない。だから君にとっては怖いのは当たり前。気にしなくていいんだよ。と、そんな意味が含まれる事を、その表情と言葉で伺い知れた。
「うん。知ってる」
そうアズリが答えると、ラノーラは軽く笑みを浮かべ、そして岩陰から身を乗り出した。遅れてアズリも再度身を乗り出し確認する。
二人の視線の先にはガモニルルと呼ばれる生物がいた。
ガモニルルの太い二本の腕の先には大きな爪を持つ三本の指がある。だが足と呼ばれる部位が無い。というより、服部が円錐状に伸びていて、伸縮する事で移動が出来る。まるで虫の幼虫の様な構造である。しかし、捕食時の移動手段は両腕で体を引きずり、人が全速力で走る程の速さを出す。獲物を突き刺す為の矛にも似た長く大きな口と、顔の中央から側頭部にまで点在する七つの眼が特徴的な巨獣だ。
雄のガモニルルにはアズリも探索時に何度か遭遇した事がある。普通に小銃で撃ち抜けば狩れる雄は、人の二倍程度の大きさしかない。だが、今アズリ達の目の前にいるのは雄の更に五倍以上の大きさがあった。
珍しい雌の個体。
当然、狩り方も必要な人員も変わってくる。
初めての経験に何も分からないアズリは作戦前の打ち合わせで知識だけは得た。しかしそれを目の前にし、必要最小限の装備だけで見張る仕事は、本業ではないアズリにとって恐怖でしかなかった。
――あの腕で薙ぎ払われただけで人間なんて即死しそう……。
アズリ達のいる場所から五十メートル以上先にいるのにも関わらず、ガモニルルの雌はまるで大きな岩にも見える。その岩から生えた丸太の様な太い腕を見るとゾッとした。
アズリは軽く身震いしながら、奇怪で独特な寝息を立てるガモニルルの更に奥に目をやる。
そこには大量の光苔にまみれた塊があった。
薄っすらと光る苔。その塊の部分だけではなく、苔は至る所に点在している。それがこの洞窟を明るすぎず暗すぎずの丁度良い視界を確保してくれていた。
「随分古い様だけど、あれで採算取れるの?」
ラノーラがアズリの視線の先に気付き聞いてきた。
「どうだろう。古いし、かなり小型だからね、本体だけじゃ難しいかも。液さえ残ってれば利益になると思うけど……」
まだまだ知識が足りず、正確な事を答えられないアズリは「うーん」と思案する。
「あとは、生産国が何処とかにも関わってくると思うから、正確な事は判らない」
どちらにせよ、専門の解体班が詳しく調べてみないと分からないし、他の商会に回収される訳にはいかない。
通常はアズリ達が探索、発見次第、即解体し回収。もしくはそのまま回収する。しかし今回は大型の生物が巣食っている洞窟の中で発見した為に、他業種との連携を取らなければならなかった。
アズリとラノーラは今回の作戦を協力し合う他業種同士で目的が違うのだ。
「そっか……。ガレート商会としてはこんな大物狩れるし有難い話なわけだから、経費はこっちが多く持っても良いと思うのだけれど……」
「仕方ないよ。共同作業の場合、経費は折半なのが昔からの決まりなんでしょう? 情報だっていつも優先的にこっちに流して貰ってるし……」
アズリは一拍置いてから、少し遠慮がちに「感謝してるって、皆密かに言ってる」と付け加えると、ラノーラはふふふと笑みで返した。
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