待人【4】

 やがて、一瞬言葉を失っていたルーが弾かれたように口を開く。


「確かなのか? そんな話まだどころからも聞いた事がないぞ」


「俺だって始めは耳を疑ったさ。でも、他ならぬ冬の精がはっきりとそう言ったんだぞ」


 ディランの言葉に「冬の精がそう言ったのか」とルーは押し黙ってしまう。しかし、エドワードにはやはり意味がわからなかった。


「待ってください。妖精王とか冬の精とか僕には全然わからないんですが」


 ルーは思考に没頭しているのか、エドワードの問いには応えてくれなかった。


 代わりにディランが、溜息を吐く。まず、そこから説明しなければならないことが億劫そうだ。それでも、エドワードは引くわけにはいかなかった。エドワードは、妖精のこと―—店長が知っているであろうその世界—-を全くと言ってよいほど知らない。そのことにエドワードは言い知れぬ不安を感じるのだ。


「妖精王っていうのは、言葉通りさ。妖精の王様のこと。そして冬の精は、今俺のところに招いている客人達のことだ。彼女達はここから遥か北の国々まで流氷乗ってやってくる。彼女達を迎え、この国に招き入れるのが俺の役目。だから、一番に俺のところにその知らせが入ったんだよ」


「王様と言っても、店長はルーさん達がご長寿ナンバーワンって言っていましたよ。ルーさん達以上にすごい存在が他にいるんですか?」


 人間の王侯貴族が長い時を経て血を守ってきたように、王と聞いてエドワードが思い浮かべたのは歴史ある血脈であった。その点からいうと、ご長寿ナンバーワンであるルー達は最も血の濃い存在といえる。


「確かに、ルー達は長生きてしている分、長老として敬われているな。だが、妖精にとって血が必ずしも重要ではないんだぜ。妖精はいのちと共にあり、いのちの繋がりを大事にするんだ。だから妖精王は生命を司る存在でなければならない」


 そこでディランは言葉を区切った。ディランは、人間であるエドワードにどこまで言っていいのか言葉に詰まっているようでもあったし、言葉を選んでいるようでもあった。


 それ自体は別段気に留めるほどのことではなかったが、不思議なことに彼はその後、ぐるりと店内に視線を巡らせた。そして、彼が視線をとめたのは、店の奥に備え付けられた古びたカウンターだった。ディランは、カウンターを目に焼き付けると何かを思い出すように目を閉じた。


 きっと、店長のことを考えているのだ。


 エドワードには、彼がその瞼の裏に思い描いている光景がわかるような気がした。それがわかることがエドワードには誇らしかったが、ディランと店長の絆を見せつけられているようで、もやもやと渦巻く不安は晴れない。


「その妖精王の代替わりが店長に関係があるんですね」


 エドワードの言葉に、閉じられていたディランの瞼が微かに震える。それからゆっくりと瞼を上げ、そのエメラルド色の瞳でエドワードを真っ直ぐに捉えた。その瞳の中ではゆらゆらと感情の色が波打っていた。


「お前は人間だよな……」


 ディランの声は小さかったが、エドワードの耳には、はっきりとした音となって届いた。その理由は、エドワード自身が最もよくわかっている。


 ルーやアリー、ニーヤやディラン、店長をよく知る者達は皆妖精なのだ。そして、自分だけが人間である。


 ディランの言葉はまるで、そのことを責めているような気さえする。


 それは、完全に被害妄想であることはわかっている。それでも、胸の内から沸き起こってきた苛立ちを吐き出すようにして、エドワードはその皮肉を口にした。


「そういうあなたは妖精なのでしょう?」


 エドワードの言葉に意外なことにディランの瞳の中に悲しみの色が浮かぶ。


「そうさ、俺も妖精だぜ。名が表す通り、海の精なのさ」


 海と言われ、エドワードが思い浮かべるのは穏やかな波の音とどこまでも続く深い青だ。そして、その青が描く地平線には、日が昇り、日が沈む。そう考えると昼と夜の夫婦の片割れであるルーがディランを嫌っている理由もわかるというものだ。


 そう冷静に考察しかけて、エドワードは首を振った。今は彼らの関係性について考えている場合ではない。


 だが、そのおかげで、高まっていた感情が落ち着いてきたのも確かだ。


「あなたは、人間がお嫌いですか?」


「そんなわけない!」


 エドワードの問いに、ディランは即答した。張り上げられた声に、ルーが訝し気な目を向けている。


「この店の店員をしているなら知っているだろ? この店は妖精と人間双方を繋ぐ場所だぜ。でも、妖精皆が人に友好的なわけじゃない」


 産業革命以前、この国は妖精文化と常に共に歩んで来た。しかし、産業革命以後、科学や文化の発展と共に妖精達は忘れ去られ、今では彼らの存在を信じる者は少ない。そんな中で尚も存在するこの店の意義——そして、妖精達から見た人間とはいったいどんな存在なのだろう。


 エドワードにとっては考えてもみなかったことだ。


 エドワードは不安そうに妖精二人に目を向けた。ルーがディランの言葉を引き継ぐ形で言葉を続ける。


「だからこそ、意図せず争いに巻き込まれる可能性だってあるのだ。ここは、ひどく脆く不安定な存在なのだからな」


「新しい妖精王は、この店をおとり潰しに?」


「わからない。だが、少なくとも今私が言えるのは、彼はアルヴィンのことは認めているが、この店のことを認めているわけでないということだ」


 妖精の尻尾が無くなってしまうかもしれない。その事実は、ディランの存在以上にエドワードの不安を掻き立てたのだった。


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