待人【2】

「ルーさん!」


 いつものセーターの上に前ボタンを留めることなくコートを羽織ってルーが立っていた。


そういえば、雪の影響からなのか、今日の来店はまだであったな、とエドワードは納得する。そして、ふてぶてしい先客よりも馴染み深いルーの登場にほっと息を吐いた。


 これなら、先客の接客よりもルーの接客を優先しても仕方がないだろう。そう自分に言い聞かせ、エドワードはカウンターを出て、ルーを迎える言葉を口にしようとした。しかし、予想に反してルーは肩に積もった雪を払うと、椅子に腰かけている先客へと足を向ける。


 エドワードは慌ててその後を追ったが、次にルーが取った行動に声を張り上げた。


「何をするんですか、ルーさん!」


 エドワードが止める間も空しく、ルーは先客の胸倉を掴んでいた。ルーはエドワードを一瞥すると、「少し黙っていてくれ」と言った。その声は決して大きなものではなかったが、有無を言わせぬ力があった。


「ちゃんと立て」


 ルーは椅子から先客を引き摺り下ろすと、自分の目の前に彼を立たせた。気だるげな態度の彼はちっともルーの方を見ない。


「どうした? お前は挨拶も碌にできないのか?」


 苛立ちを隠そうともせずにルーが放った言葉に、やっと彼は顔を上げ、乱れたシャツの襟元を直した。


「相変わらず、ルーグの旦那は乱暴だな。そんな態度だと、アリーに愛想をつかされるんじゃないのか? まあ、そうなってくれた方が俺としては有難いけど……」


「いくらお前が私達の仲を阻もうが、そんなものは大した傷害にはなりはしない」


「旦那の口から惚気を聞く羽目になるとは……。なんで今日に限ってこんなに遅い御出ましなんだよ」


「それは、お前が連れてきた客人のせいだろ」


 ちらりと雪の降りしきる外を見やってルーが眉を顰めた。だが、ルーの言う客人と思わしき人影をエドワードは見つけることができなかった。


 それでも、目の前の相手は思い当たる節があったのだろう。


「あー……」


 と曖昧に言葉に成りきらない呟きを漏らした。それがルーの苛立ちを更に募らせたのか、ルーは更に眉間の皺を深くする。


「だいたい、何だ。暫くお前の顔を見なくて済むと喜んでいたのに」


 そこでルーは言葉を区切り、後方に控えるエドワードに目をやった。


「客の振りをしてエドワードを困らせるなど、いい加減にしろ」


「いやぁ、初々しい店員を見てたら、つい……」


「お前は、そう、いつも、いつも――」


 と、ルーの顔が段々と怒りで赤くなっていく。


 一方で、その遣り取りの一部始終を見ていたエドワードは、自分の話題に困惑の表情を浮かべていたが、湧きあがってくる疑問を抑えきれず話に割って入った。


「ちょっと待って下さい。客の振りってどういうことですか」


「そのままの意味だぜ。だって、俺は客じゃないしな」


 悪戯が成功したとでも言いたげに笑う相手に、頭に血が上ってくるのがわかる。エドワードの表情の変化に気付いたのか、相手はエドワードを制するように両の掌を身体を守るように構えた。


「おっと、どうして騙したんだっていうのはなし、な。お前が勝手に勘違いしただけだし」


 その物言いにごんっと鈍い音が響く。見れば、相手は頭を押さえて顔をしかめていた。その原因をつくったのはルーだ。身長差を利用して相手の脳天に拳骨をお見舞いしたのである。


「まったく、素直に謝罪ぐらい口にしろ」


「何だよ、ルーグの旦那には関係ないだろ」


 恨めしそうな呟きに、それでもきっぱりとルーは言った。


「エドワードを騙してちゃっかりお茶を要求していた以上、見過ごすわけにはいかん」


 ルーが自分のために怒ってくれているのだという事実に、エドワードは頭に上った血が引いて行くのを感じた。初めて会った時は、威圧的な印象しか抱かなかったルーだが、今は心底頼もしい。


「ありがとうございます、ルーさん」


 素直に音になった言葉に、ルーは相手を睨みつけていた目をエドワードに向け、目元に加えていた力をやんわりと解いた。


「本当に礼義正しいな。この悪戯坊主に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」


「俺は爪の垢なんて不味いもん飲まないぜ」


 すかさず相手が反論するも、ルーは気にも留めずに受け流している。


 だが、エドワードはルーの口にした『悪戯坊主』という言葉に引っかかりを覚えていた。以前もルーは『悪戯坊主』という言葉を口にしていたことがあった。その人物をエドワードは今のところ一人しか知らない。


「ルーさん、彼はもしかして……」


「ああ、そうか。紹介はまだだったな。こいつはディラン。認めたくないだろうがお前の先輩店員だ」






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