常連客【1】
雑貨屋・妖精の尻尾は、一階が店舗、二階が居住スペースになっている。二階から物音はしないので、珍しいことに店長はまだ起きていないようだった。今日はせっかく店の開店前にやって来れたのに、とエドワードは不満に思ったが、初日から数日遅刻していた手前人のことは言えない。
ひとまず教えられている通り、商品の補充から始めることにした。
エドワードは、カウンター脇に置かれたランプに火をつけた。
倉庫は地下にある。だが地下には電球が取りつけられていない。店長曰く、光を嫌う商品も多く取り扱っているからだそうだ。だから地下に降りるときは、どうしてもこのランプが必要になった。不便なことに大きな荷物を持つと帰りは手が塞がるため、荷物を置いた後にランプを取りに戻らなければならないのだが、エドワードは宝探しの洞窟のような地下倉庫が気に入っている。
そしてエドワードが、ランプと入れ替えで箱を抱えて戻ってきたところで、カランカランとドアに取りつけられたベルが鳴った。眩しさに目を細めながら視線をやると、そこにいたのは、光を凝縮したような珍しい髪色をした偉丈夫だった。
年の頃は、三、四十といったところで、働き盛りの男性が持つのに相応しい、均衡のとれた立派な体つきをしている。
「いらっしゃいませ」
型通りの挨拶をすると、男はカウンター前までやってきた。
エドワードはひとまず箱を床に置いて、男を見上げた。近くで見ると随分大きい。見下ろされると妙な威圧感さえ感じる。エドワードがその威圧感に言葉を失っていると、男はその太い指でカウンターにコインを置き、「いつものを頼む」と唐突に言った。
「へ……?」
呪縛を解かれたようにエドワードは、思わず目を瞬かせた。決して悪気があった訳ではない。そんなエドワードの様子に、男は訝しそうに眉間に皺を寄せたが、それ以上言葉を発しなかった。
常連客――なのだろう。しかし彼の求める物が何なのか、エドワードは知らない。せめて常連客であるなら、新米店員だということに気づいてくれてもいいのに、とエドワードは思った。だがまさか、それを口にするわけにもいかない。それはいくら接客歴が浅いエドワードだって理解している。それより男の求める品を聞く方がよっぽど賢明だ。
内心の戸惑いを抑えてエドワードが口を開きかけた――
ちょうど、その時。
「ふああ」と気の抜けるような声が店内に響いた。
目の前の男性客ではなく、もちろんエドワードでもなかった。声の方を見やると、エドワードの目にプラチナブロンドが飛び込んできた。店長である。
女性と見紛うほど長いプラチナブロンドの髪を、鬱陶しそうに掻きあげて、大きな口を開けて欠伸をしている。着ている物は寝巻ではなかったが、白いシャツのボタンは申し訳程度に留められているだけで、胸元がちらちらと見えている。シャツの裾も動きに合わせてふわふわと舞っていた。
どう見ても寝起き。何ともだらしがない。
ここ数日でエドワードが築き上げてきた店長像が、音を立てて崩れていく。
この人は得体が知れないというよりは、無頓着なだけなんだ、とエドワードは結論づけた。
だがエドワードだけならともかく、こんな店長の姿をお客もばっちり目にしているわけである。
「店長、お客さんの前になんて姿で出てくるんです……」
うーん、と眠そうに眼を擦り、店長はエドワードを見た。
「ごめん、ごめん。ルーの声が聞こえた気がしたもんだから」
声ということは、ルーは人の名だろうか。
エドワードは首を傾げた。その答えは案外すんなりともたらされる。
「アルヴィン……」
と、男は店長の名を呼んだ。
「ほら、やっぱり、ルーだ」
店長はその菫色の瞳を男に向ける。そしてゆっくりとその目を細め、言葉を続けた。
「それにしても、今頃御出ましかい?」
本来ならそれは、寝坊してきた店長自身に向けられる言葉のはずだ。エドワードはそう思ったが、男に気にした様子はない。
「遅れるなら遅れるって伝えといてくれないと。いつものように早起きして待ってたのに、全然来ないから二度寝しちゃったじゃないか」
「すまない。だがお前の事だ、伝えなくても察してくれると思っていたんだが」
「どういうこと?」
「秋も深まり、冬も近づいてきているだろう?」
冬――つまり、寒くてベッドから出難くなるということだろうか、とエドワードはここ数日の自分のことを思い出す。初日から数日、遅刻してしまったのはそのせいでもあった。大方この男も、ベッドから出難くて寝過してしまったのだろう。
「ああ、そうか! 道理でいつも通りの時間に起きても外が暗いはずだ。すっかり忘れていたよ。ルーがそうなると寝ぼすけだってこと」
「私は好きでそうしているわけじゃない。自然の摂理がそうさせているのだ」
男は至極当たり前のことのように言ったが、内容は子供の言い訳と変わらない。エドワードは、成人した男性にも関わらず、少し可愛らしいとさえ思った。
店長も慣れた様子で「あー、はいはい」と受け流す。
「エドワード、すまないけど倉庫の二番の棚から荷物を取ってきてくれるかい。茶色の羊皮紙に包まれているから、すぐに分かるはずだ」
エドワードは慌てて「はい」と返事をした。地下にランプを取りに戻らなければならないので、ちょうどいい。
エドワードは早速踵を返した。けれど不意に腕を掴まれて、その足を止めた。
「エドワード? 確かこいつはディランではなかったか?」
片方の手で腕を掴んで、もう一方の手でエドワードを指差しているのは客の男だった。眉間の皺を深くして、唸るような声で男が問う。
エドワードは、再び身体を固くした。
ディランとは誰のことだ、とエドワードは思ったが、この場で口にする勇気はない。助けを求めるように店長を見ると、彼は「ふう」と溜息をつき、
「ディランは長期でお休み中。彼は新しい子で、エドワードだよ」
と、やんわりとした口調で男の問いに答えた。
「ルーが名前を覚えているなんて珍しいけど、ついでに顔を覚えていてくれると有難い限りだね」
「私がヒトの顔を覚えるのが苦手なことくらい、知っているだろ」
「孫の顔を覚えきれないことはよく知っているよ。それよりも、早くエドワードの腕を離してやってくれるかい?」
男は金の瞳でエドワードを凝視した後、ふぅむと唸りその手を離した。身体の力が抜け、エドワードは思わずよろけたが、今度は優しく男の腕が支えてくれた。
「すみません。ありがとうございます」
反射的にエドワードは、お礼の言葉を口にした。
「いや、こちらこそすまなかったな。顔立ちの違いはわからんが、素直に礼を言えるところをみると、お前はあの悪戯坊主のディランとはどうも違うようだ」
「顔つきも大分違っていると思うんだけど……。老眼を通り越して、ついに目がいかれちゃったのかい?」
「店長、こんなに御若いのに、老眼なんて言ったら失礼です」
「若い? ルーが?」
慌てるエドワードを余所に、店長は、あははははと声を上げて笑った。
「エドワードは、彼が何歳に見える?」
「いっても四十歳くらい……」
店に入って来た時の印象通りにエドワードは答えた。
「よかったね、ルー。君は随分若く見えるようだよ」
男の眉間の皺が緩み、その顔に少し困ったような苦笑が浮かぶ。
「ルーはこう見えても結構な年だよ。孫も大勢いるくらいのね」
とても信じられない。もちろんエドワードにも祖父はいるが、杖を突いた白髪の老紳士というイメージがどうしても強かった。髪と同じくらい白い口髭を生やして、厳格に孫達を叱りつけるのだ。エドワードは、その厳格な祖父がどうも苦手だった。その点、確かにこの男も厳格ではあるようだが、彼が放つ威圧感が和らげば、嫌な感じはしない。
「まあ、ルーが若造りなのは今に始まったことじゃないし、これだけぴんぴんしていたら、信じられないのも無理ないけど」
「本当に、本当なんですか?」とエドワードは念を押すように問う。
「エイプリルフールでもないのに嘘を言ってどうするのさ。それこそ彼は、この世界が出来た時から生きてるご長寿ナンバーワンだよ」
嘘は言わないと言った矢先にこれだ。それこそあり得ない。エドワードは肩透かしをくらい、どっと気が抜けた。朝から緊張と驚きの連続で思考を放棄したい気分だ。
けれどそれは叶わなかった。
「エドワード、荷物を早く持ってきて欲しいんだけど。それに早く行かないと下でランプの火が消えちゃうよ?」
と、店長の言葉に、放棄しかけた思考は押し留められる。大事な仕事を忘れては元も子もない。エドワードは今度こそ、早足に地下への階段を下りて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます