物語集「星」

青崎 悠詩

水族館の星 1

「記憶の奥底に眠る貴方の影。あなたは誰?」


 某県某市にあるK大。もはや活動停止状態にある文芸同好会の小さな部室で青年、穂高ほだか あきらは今日も一人本を読みふけっていた。聡は皆で騒いだり遊びに行ったりすることが大の苦手で一人で過ごすことこそが一番の快適だと決めつけている青年だった。

 その実、人とのコミュニケーションの取り方が分からないのが真相であり聡はその真相から目を背けているだけに過ぎない。それを両親および高校の担任に見透かされ特に反抗することもなく、コミュニケーション学科に入学させられたのが今年の春。3ヶ月経った程度では変化は見られず友人も作らず休日は一人で図書館に通うというどこか寂しい生活を送っていた。


 1冊の本を読み終わりそろそろ帰ろうかと部室を出てエントランスに向かう。外は大量の雨が降っている。雨の音は嫌いじゃ無い。しかしここまで来ると耳障りだなと思ってしまう。雨音にすべての音が掻き消されている。その様子はまさに滝そのもの。聡は今、滝壺のすぐそばにいるらしい。

 聡は鞄の中に手を突っ込み手探りで折りたたみ傘を探す。しかし不幸にも傘は見つからなかった。そういえば今日はいつもの黒い鞄ではなく灰色のリュックサックを持ってきていた。バス停まで徒歩3分。滝行をした後の体でバスに乗る気にはなれないが、このバスに乗らないとこれから行く図書館の閉館時間になってしまう。どうしたものか、と一人滝を眺めていた。

「あの、よかったらこの傘使いますか?」

後ろから透き通った声がする。声のした方を見ると一人の女性が折りたたみ傘を差し出している。とても美しい女性だった。

「えっと、ありがとう。」

おそるおそる差し出された傘を受け取ると女性は満足そうに笑みを浮かべた。

「バス停までですよね。よかったら一緒に行きませんか?」

女性は鮮やかな珊瑚色の一本傘を開きながらそう言った。聡は予想外の言葉に戸惑うことしかできない。すると女性は再び口を開く。

「すみません。困らせてしまいましたか?同じ方向に行くならばと声をかけてみたのですが。」

聡は頭の中で状況を整理し、次の言葉を必死に探った。

「こちらこそすみません。少し驚いてしまって。バス停、一緒に行きましょうか。」

女性は笑みを浮かべ頷いた。2つの傘を並べて聡と女性は滝の中へ入っていく。


 バス停までの道程でバスを待っている時間でバスが駅に着くまでの時間で二人は話していた。辿々しく、途切れ途切れではあったけど会話は続いていた。女性は浮田うきた 紫乃しのというらしく同じコミュニケーション学科の2年生だった。

「浮田さん間違いだったら申し訳ないんだけど、以前にどこかでお会いしませんでしたか?」

聡は声をかけられた時から密かに抱いていた心の引っ掛かりを打ち明ける。紫乃は少し間を置いてから口を開いた。

「どうだろう。講義室や食堂で会ったことあるのかな。う〜んわからないや。」

聡は心に引っかかりを残しながらもこれ以上、詮索することはなく「そうですよね、ありがとうございます。」と会話を締めくくった。

 バスに揺られて15分ほど経った頃、紫乃は「それではまた。」と言い残しバスを降りていった。聡は窓から紫乃を見送る。珊瑚色の傘が遠のいていく。聡の手元には紫乃が渡してくれた傘が残っていた。紫乃が「家に着くまでに必要だろうから。」と言ってくれたのだ。聡はその言葉に甘えてしばらく借りることにしたのだが明らかに女性物の色、デザインで使いたくても使えなかった。


 聡が図書館に着く頃、滝は無くなっていた。滝は雨に変わり雨は糸に変わっていた。もはや音すらしない。少数の車と少数の人間が出入りしているだけ。図書館のためだけに存在しているこの町はいつも静かだった。

  図書館に入ると待っているのは隣町の美大生によって寄贈された絵。聡はこの絵が頭から離れなかった。

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物語集「星」 青崎 悠詩 @lily_drop

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