第5話 クローン・キャスト浩太の堕落/②ワイロ

 小梅が海老フライを落としてから1週間後。『鉢かつぎ姫』の侍女に変身したままの小梅が、職員食堂で定食Aを黙々と口に運んでいる。

 今日は地球の珍味が供される日ではないから変身したまま食堂にかけつける必要はなかったのだが、ひと仕事終えたら猛烈に腹が減ってきて変身を解かずに食堂にやってきたのだ。


 クローン年齢28歳の小梅よりかなり年下に見える可憐な少女がしずしずとやってきて、小梅の前に立った。遠慮がちに小梅に声をかける。

「あのぅ……、失礼ですけど、M2108さんですか?」

小梅は顔を上げる。

「M2108はあたしだけど。小梅って呼んでもらう方が、気分がいいな」


 M2108は小梅のクローン人間としての製造番号であり、公式名称でもある。「機構」のラムネ星人たちは、クローン・キャストを常に製造番号で呼ぶ。

 一方、「小梅」の方は人工子宮から誕生し15歳まで過ごしたクローン人間養育所で地球人のマザーたちにつけてもらった愛称だ。マザーは未成年のクローン・キャストの母親代わりで、日本語と日本文化の先生でもある。

 小梅は日本であれば梅の花が咲くころに誕生したから小梅と名付けられた。愛称の背景にはマザーたちのクローン・キャスト一人ひとりに対する愛情と思いがある。クローン・キャストたちは、製造番号ではなく愛称で呼ばれることを好み、クローン・キャスト同士では愛称で呼び合う。


「小梅先輩、私は、M2488美鈴と言います。浩太と同じ養育所で育った同期です。ちょっと、失礼していいですか?」

浩太と聞いて小梅は「嫌だ」と言いたくなるが、少女の真摯な表情を見ると拒みにくい。

「いいけど、浩太のお友だちが、あたしに何の用?」

「先週、浩太が小梅さんを訪ねてこなかったでしょうか?」

「あぁ、来た。あたしの至福の時を邪魔してくれたよ」

「え……」

美鈴が言葉に詰まる。

「あ、ごめん、あんたが気にすることはない。続けて」

「浩太が小梅先輩に嫌な思いをさせたのなら、私が浩太に変わってお詫びします。本当に申し訳ありません」

「いいよ、いいよ。あんたに謝らせる筋合いのものじゃない」

反対に小梅が恐縮してしまう。

 美鈴が遠慮がちに続ける。

「あのう……その時、浩太が『浦島太郎』で乙姫を演じる沙紀さんについて何か尋ねなかったでしょうか?」

「『浦島太郎』? 沙紀? 浩太は主役の太郎を演じるといって自慢してたけど、別に質問はなかった」

「そうですか……」


 ここで「じゃぁね」と切り上げてしまえば小梅はその後のトラブルに巻き込まれることはなかったのだが、美鈴の思いつめたような表情につられて、つい会話を続けてしまった。

「あの時、浩太はあたしに訊きたいことがあったの?」

「ええ、そのはずなんです」

美鈴が言いよどむ。

「なんだよ、すかっとしない子だねぇ。あんたは、浩太があたしに訊きたかったことがあったと思ってんだろ。あんたが思ってることを言えばいいじゃないか」

少女の顔から血の気が引くのを見て言い過ぎたと思ったが、仕方ない。小梅はグジグジと要領を得ない話の仕方が嫌いなのだ。


 美鈴がひとつ息を飲んでから、なにか覚悟でも決めたみたいに切り出す。

「浩太、『浦島太郎』で乙姫を演じる沙紀さんについて小梅さんに尋ねたいことがあると言っていたのです」

沙紀と言われても心当たりがない。

「沙紀だって? あたしは、知らない」

「えっ、浩太は小梅さんの同期の人だと言っていました」

同期? 沙紀? あっ、思い出した。クローン人間養育所で相部屋だった、あいつだ。メソメソ泣いてばかりいる奴だった。悪ガキどもにいじめられてるところを助けてやったことがある。

 だが、クローン人間養育所を卒業して「機構」に入ってからは小梅と沙紀の立場は完全に逆転した。沙紀は乙姫、かぐや姫など昔話の主役を演じるように遺伝子設計された「美女組」クローンで、小梅は動物をメインにその他大勢の人間も演じるように遺伝子設計された「なんでも屋B組」クローンだったからだ。


「思い出した。養育所で一緒だった。だけど、『機構』に入ってからは、『美女組』の沙紀は『なんでも屋B組』のあたしにとっては、雲の上の存在だ。口をきいたこともないよ」

「そうなんですか」

美鈴が驚いたように言う。小梅は改めて美鈴の顔を見る。華やかさないが、愛らしい容貌をしている。

「あんた、『なんでも屋A組』だね」

「はい」

「『なんでも屋A組』は、『美女組』のクローン・キャストが病気で出演できないときの代役をするんだろ」

「ええ」

「だから、あんたは『美女組』のクローン・キャストとも付き合いがある」

「付き合いと言っても、仕事の上だけですけど」

「あたし達『なんでも屋B組』は、『美女組』とは仕事の場でも口をきくこともない」

「そうだったのですか……すみません、私……」


「謝らなくてもいい。あぁ、浩太も『なんでも屋A組』だったな。だから、あいつも、あたしが沙紀と付き合いがあると勘違いしたわけだ」

「そうだと思います。浩太は、小梅先輩から沙紀さんの人柄について教えてもらうんだと言っていたのです」

「なんで、浩太は沙紀の人柄を知りたかったんだい?」

「『浦島太郎』の太郎役をなにがなんでも成功させたいから、そのためには乙姫役の沙紀さんの人柄を知っておきたいと言っていました」

「えぇ、あいつ、そんなこと考えてたの!」

 『舌切り雀』で先輩の小梅をさんざんコケにしたのに比べるとえらい違いだと小梅は怒るより呆れる。

 だが、あのとき浩太が尋ねていたとしても、小梅には浩太の疑問に答えるネタは何もなかったわけだ。

「だけど、これで、あたしには沙紀について何も言うことがないって、わかったろ。浩太があんたを自分の代理に寄越したんなら、そう言ってやりな」


 美鈴が急に暗い顔をしてうつむくので、小梅は驚く。

「なんだ、なんだ、当てが外れたくらいでそんなに落ち込むな。クローンの一生なんて、『当て外れ』の連続だ」

「そうじゃないんです。コータローを止める方法がなくなってしまって、それで、私……」

「コータローを止めるって、何を止めるんだ? 『浦島太郎』の太郎役を演じるのは止められないだろう。あいつはなにがなんでも成功させたいと言ってんだろ」

 美鈴が大きな瞳を見開いて、小梅を見つめる。光を帯びた大きな瞳が涙の海に浮かんでいる。

「おいおい、どぉした。なんで、あんたが泣く?」

「浩太は、『浦島太郎』を成功させるために、乙姫役の沙紀さんにワイロを渡すつもりです」

「沙紀にワイロ? なんだ、それ?」

「浩太が『浦島太郎』を成功させるために沙紀さんの人柄を知りたがっていることが、なぜか沙紀さんの耳に入ったらしいんです。おととい、沙紀さんの代理を名乗る人が浩太に『浦島太郎』を成功させたかったら沙紀さんにワイロを払えと言ってきて、それで、浩太は、金策に駆け回っているんです」

「なんだって! 昔話のW主役の片方が相方にワイロを求めるなんて、そんな話、いままで聞いたことがないぞ!」

小梅は驚きであごが抜けそうになる。



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