第3話 クローン・キャスト沙知の災難/③決着
機を織り始めて五〇日目の朝日が障子を通して差し込んできた。沙知は光の中で、自分の身体を見る。羽根が、三分の一まで減っている。
もう限界だ。ここ二週間というものは、一本の羽根を抜くたびに痛みが全身を貫き、昼になっても疼痛にさいなまれ、ろくに眠っていない。
これ以上つづけたら、私が壊れる。確信があった。「昔話成立審査会」が決めてくれないなら、私が自分で決着をつける。
男がふもとから帰ってくる。沙知が縁側に出しておいた布を取り上げると、機織り部屋をのぞくでも沙知に言葉をかけるでもなく、自分の部屋に入る。すぐに、いびきが聞こえ始める。
沙知は、男のいびきが一定したリズムを刻み始めるのを待つ。
——もう大丈夫だ。あいつは、すっかり寝入っている。
沙知は足音を忍ばせ縁側に出る。男の部屋の障子をそっと開け、中に忍び入る。部屋の真ん中で、沙知が織った布を枕に男が大の字に寝そべっている。男が吐き出す息で、あたりは酒の匂いで満たされている。
沙知は男の傍らの火鉢から、まだよく燃えている炭を三個取り出す。クローン・キャストである沙知の手は耐熱仕様なので、素手で炭を持っても火傷はしない。
機織り部屋に戻ると、人の目から見えにくい下の方の障子を破り、ちぎって細片にする。それを集め、機織り部屋と男の部屋を隔てる薄い板壁の隅に積み上げる。
沙知は、火を絶やさぬよう三個の炭を掌に抱き息を吹きかけながら、障子ごしに太陽の動きを見守る。日が傾き、陽光が沙知の顔を水平に照らし始める。そろそろ、男が起き出す時間だ。
沙知は機織り部屋の隅に移動し、手の中の炭で紙片の山に火をつける。ぼっと燃え上がった火が、ちりちりと板壁の表をなめ始める。
沙知は鶴に変身する。広げた翼で、ふすまの火にふいごのように空気を送る。大きな炎が立ち上り、黒い煙が出はじめ、機織り部屋にあふれる。煙は建付けの悪い板壁の隅を通って、男の部屋にも流れ込んでいく。
男の部屋で人が動く気配がする。すぐに、男の大声が聞こえてきた。
「なんだ、これは? おい、火事か? あのアマ、俺の金づるの機織り機を燃やしたら承知しないぞ。おい、早く火を消せ」
縁側にドタドタと足音がしたと思うと、男が勢いよく障子を開けた。沙知は、翼で炎に空気を送りながら、頭だけを男に向ける。
「げっ!」
男が言葉にならない声を発する。女がいるはずの機織り部屋に鶴がいる。それも、翼をひろげてふすまの炎に風を送っている。驚いて当然だ。
男が縁側から転げ落ちる。沙知は男を見下ろしながら告げる。
「二月近くもの長きにわたり、本当にお世話になりました。しかし、この姿を見られてしまっては、もう、ここにいることはできません。お名残り惜しゅうございますが、これでお別れです」
沙知は、羽根が三分の一しか残っていない翼で離陸する。右に振れ、左に振れしながらも、なんとか地上から二〇メートルほどの高さまで達した時、沙知の脳内で時空超越通信装置が強制起動された。プロジェクト管理部長の太い声が、頭の中に響き渡る。
「M一〇九八、貴様、何のつもりだ。家に火をつけるのは犯罪だぞ」
「私がラムネ星に帰ったら、裁判にかけるなり何なり、お好きになさってください。ただ、私をここに廃棄しようなどとは、お考えにならないように。もし、時空転移装置が迎えに来なかったら、私は村々を回って鶴に変身してみせます。さぞ、面白い昔話が後世に伝えられることでしょう」
「貴様、クローンの分際で私を脅すのか!」
管理部長が吠える。
「どう受け取られようと、結構です。ともかく、私をラムネ星に戻してください」
「クソっ、今、時空転移装置をそちらに送る」
管理部長がいまいましそうに言い、交信が切れる。
五分後、林の中の開けた地面に時空転移装置が現れた。沙知は地上に降り立ち、変身を解いてクローン人間に戻り時空転移装置に乗り込む。
どっと疲れが襲ってくる。意識が遠のいていく。おぼろな意識の中で、ラムネ星に戻される代わりに宇宙の彼方に飛ばされるかもしれないと思う。だが、今の沙知にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
——私は、あの泥沼のプロジェクトを自分の力で終わらせ、私を守った。この後に何が待っていようと、私に悔いはない。
沙知は深い眠りに落ちていった。
〈クローン・キャスト沙知の災難/おわり〉
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