第1話 クローン・キャスト沙知の災難/①終わらない恩返し
西に傾き始めた太陽が、機織り部屋の障子に痩せた男の影を映し出す。
「今日もか」
沙知の中に絶望感が広がる。
「俺が朝戻るまでに、極上の布を織っておくんだぞ」
そう言い置いて、男の影が消える。
男は、これから山を降りる。ふもとの飲み屋「あさぎ」で沙知が織った極上の布を飲み代に替え、女将の手酌で飲み明かす。男は女将に入れあげている。男はへべれけになって明朝戻って来て、夕方再び「あさぎ」に出かける間際まで寝込んでしまう。
沙知が男と暮らし始めてひと月。毎日、同じことが繰り返されていた。沙知は深く大きなため息をつき、鶴に変身する。自分の身体を見回して、沙知はぞっとする。全身を覆っていた艶やかな羽毛は半分に減り、残された羽毛からは光沢が失われ始めている。
沙知は、ラムネ星の「日本昔話再生支援機構」から日本昔話『鶴の恩返し』を再生するため「むかし、むかし、あるところ」の日本に送られてきたクローン・キャストだ。沙知は日本人の女性の姿に作られているが、そこに鶴に変身できる能力を付加されている。
沙知は夜になると男に「決して中を見ないでください」と言いおいて機織り部屋にこもる。鶴に変身し、自らの羽を抜いて絹糸に混ぜ極上の布を織る。男はそれをふもとの町で売って大金を得る。
しかし、男は沙知がどのように極上の布を織るのか興味を抱く。ある日、好奇心に負けた男は機織り部屋の戸を開けてしまい、鶴に変身した沙知が布を織っているのを目撃する。沙知は「正体を知られてしまった以上、おいとまするしかありません」と嘆いて山の彼方に飛び去る。
ここまでを最長でも二週間で完結させる。それが「日本昔話再生支援機構」が定めた『鶴の恩返し』再生規定期間であり、その間に完了しない場合は再生を中止することになっている。
ところが、沙知が男の家で機を織り始めて一ヶ月が経つというのに、男は、沙知の機織りにはまったく興味を示さない。沙知が身を切る思いで布を織っている間、男は「あさぎ」で飲み明かし、朝帰ってくると前の晩に沙知が織った布を枕に眠りにつき、夕方にはその布を持って「あさぎ」に行く。それが毎日、繰り返されている。
機織り機に向かう前に、沙知は、脳内の時空超越通信機を起動させる。「日本昔話再生支援機構」のプロジェクト管理部長を呼び出す。呼び出しに応じたのは、部長でなく課長だった。
「部長は、いらっしゃいませんか?」
「私が話を聞いておくよう、部長から言われている」
あぁ、部長に逃げられた。
しかし、相手が課長でも、言うことは言わないといけない。いや、言わずにいられない。
「今日も、男はふもとに飲みに行きました。今日で三〇日連続です。部長にはこのプロジェクトが再生規定期間を超えていると何度も申し上げました。今日で規定の二倍になりました。今すぐ、プロジェクトを中止していただくよう、お願い致します」
「M一〇九八、しつこいぞ。何度、我々に同じことを言わせるつもりだ。『昔話再生審査会』からプロジェクト中止の指示は、来ていない。したがって、プロジェクトは続行だ」
「羽毛が半分になりました」
「つまり、まだ50%も残っている。プロジェクトを継続するのに十分な量だ。頑張りたまえ」
課長が通話を一方的に切った。
どのくらいの時間、茫然としていただろうか。沙知は長い首を振り、自分の羽でくちばしを叩いて気合を入れ、機織り機に向かった。
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