30 灰髪のヘイゼル

 灰髪が揺れる。その艶やかな繊維が反射するいくつもの光が、まるでロスの陽を受けて煌めくライスシャワーのように飛び散った。


「なぜ……」


 目の前の光景が、クレアには信じられない。

 実験は幾度も繰り返した。何度も何度も。その結果にイレギュラーなど無かったのだ。

 しかし今ヘイゼルに起こっていることは、クレアのデータにはないイレギュラーなものだった。


「パルメロ」


 クレアの発した言葉に、赤毛のバイオロイドの一体が反応する。パルメロと呼ばれたバイオロイドは、鋭い動きでヘイゼルに近づき、左足を振り切った。ヘイゼルが両手でブロックし、そのままその足を抱える。パルメロが両手でヘイゼルの頭を掴んだ。


 一瞬、ヘイゼルの表情がゆがむ。しかし、それ以上のことは起こらない。


「無駄だよ。だって、もう」


 ヘイゼルがパルメロの左足を外側へと強くひねる。その足がありえない方向へと曲がり、パルメロは苦悶の叫び声をあげながら床に転がった。


「壊れてるもの」


 ヘイゼルがクレアへと飛び掛かる。もう一体のバイオロイド――エルトロがヘイゼルを押さえようとするが、ヘイゼルはそれを待っていたかのように体を躱し、その首に腕を掛けると、その勢いでエルトロを壁へとたたきつけた。


 エルトロが壁をすべるように、クレアの横に崩れ落ちる。


 ヘイゼルがゆっくりとクレアの前に立ち、そして右手でその首を掴んだ。


「なぜ……なぜ、正気で、いられるの」

「分からない。でも」


 ヘイゼルの手に力が込められる。通常の人間ならば、もはや息ができず、悶え苦しむくらいの力。


「キミを殺すのに、もう、何のリミッターもないみたい」


 代謝を極限まで抑えているクレアに、窒息という状態は無い。しかしこれ以上力を入れられてしまえば、華奢なクレアの首は折れてしまうだろう。


「ヘイゼル、手を放して」


 フユがヘイゼルにそう命令する。しかしヘイゼルは、その手をクレアから離そうとしない。


 と、真っ白な手が、ヘイゼルの手に添えられた。


 冷たい手。血というものは、この存在の中には流れていないのだろう――不意をつかれ、ヘイゼルがその手の主を見る。


 カグヤがヘイゼルを見つめていた。深いエメラルドグリーンをたたえるその瞳の中では、いくつもの細やかな光が点いては消え、点いては消えを繰り返している。


 その手の冷たさ、そしてその瞳の深さに、ヘイゼルは思わず、クレアの首にかけていた手を引いた。


「アキトがヘイゼルに組み込んだパーソナル・インプリンティングは、『自我の書き換え』ではなく、『上書き』……アキトはそう言っていました。『バイオロイドとしての自我』が崩壊しても、ヘイゼルは『ヘイゼルとしての自我』を保ち続けているのでしょう」


 カグヤの声――静かで、感情を感じさせない厳かさを漂わせながらも、どこか優しいものだ。


「じゃあ、何? ワタシのバイオロイドに対抗するために、このバイオロイドを作ったっていいたいの?」


 クレアがヘイゼルを見る。


「ええ、そうよ、クレア。貴女はバイオロイドを『破壊』する研究をしていた。私はアキトと協力して、貴女に対抗する手段を探すことにしたの。アキトは、それを見つけていたようね。そしてこの子を、フユに託したんだわ」


 カグヤもまた、ヘイゼルを見た。


「父が、僕に託したものって」


 ヘイゼルの傍に来たフユが、ヘイゼルを後ろから抱きしめる。これ以上暴れないように。

 カグヤがフユを見る。


「人間とバイオロイドの未来。フユ、貴方はバイオロイドと生きる道を選んだ。それもまた、一つの選択。貴方が正しいわけでも、クレアが間違っているわけでもない。絶対的に正しい道など、存在しないのだから。貴方が聞きたかった答えは、得られたかしら」

「はい。ありがとう、カグヤ・コートライト」


 フユの晴れ晴れとした顔に、カグヤは慈しみにも見える微笑を顔に浮かべた。


「全部、お見通しってこと……そこまでして……そこまでしてワタシの邪魔をしたいの、カグヤ」

「貴女の失敗は、ムイアンと協力しなかったこと。もっとうまく立ち回って、フユを説得できていれば、貴女の願いは叶えられていたはずよ、クレア」

「嘘ね。きっと、アナタはそれでも邪魔してた。ワタシは誰とも協力しない。誰も、信じない」


 その言葉に、ルームの中に飛び交っていた言葉がすべて宙へと消える。

 そこに、苦悶に満ちたうめき声が現れた。壁にたたきつけられたバイオロイドは自ら立ち上がったが、床に伏しているバイオロイド――パルメロは脚を折られ、動けないようだ。


「いけない、ファル、博士のバイオロイドたちを介抱してあげて」

「必要ないわ!」


 フユの言葉に、クレアが声をかぶせた。

 その声が合図だったように、部屋に緑色の髪をしたバイオロイドが入ってくる。


「パルメロを、連れてってあげて」


 クレアの言葉に、そのバイオロイドはパルメロを抱き上げ、コントロール室を出て行った。


「フユ、自分のいるべき場所に戻りなさい」


 それを見届けると、カグヤがそう声を掛けた。


 動乱は終わっていない。モニターにはいまだ煙を上げる発電プラントが映っている。状況がどうなっているのか、確かめる必要があった。


 クレアを止めたからと言って、まだ事態は何も解決していないのだ。


「分かりました。僕は諦めません。必ず、人間とバイオロイドが共存できる未来を」


 実現して見せる――言葉を続けようとしたフユの唇を、カグヤが人差し指で押さえる。


「貴方は一人ではありません。事態を動かそうとしているのも、貴方一人ではありません。何もかも一人で抱えようとせず、時には誰かに託しなさい。アキトがそうしたように」


 冷たく、硬い、でも優しい指だった。フユはその言葉にはっとなる。そしてカグヤに向け、微笑んで見せた。


「はい、そうします。さあ、行こう、ヘイゼル」


 フユがヘイゼルの手を引く。


「待って。アイツを、このまま放っておくの?」

「僕たちにクレア博士を裁く権利はないよ、ヘイゼル。博士に罪があるのなら、それは法で裁かれるべきだ」


 出口へと駆け出しながら、フユがヘイゼルに答える。


「フユ・リオンディ」


 その背中に、イザヨ・クレアが声が掛けた。フユが立ち止まり、振り返る。


 ゴーグルの下にはどんな目があるのだろう――ふとフユはそう思った。

 科学者の目か、それとも、ただただ一つの存在だけを見続けている目か。


「また、会いましょう。いつか、ね」


 しばらくの間フユとクレアは、ゴーグルをはさんで見つめ合う。


「行こう、ヘイゼル、ファル」


 フユはクレアの言葉には答えなかった。

 そして振り返ることなく、一度だけヘイゼルの髪をなでると、コントロール室を後にした。

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