29 再誕

※ ※


 捨てるように投げられた体が宙を舞い、音を立ててルームの中央に落ちる。


 床に広がったダークグレーの髪と、そして漆黒のドレス。それとのコントラストのせいで、ライトグレーの肌がシルバーメタリックの光を放っていた。


 瞳は開いたまま、しかし光は感じられない。手足も、首も、力なくよじれ、床に投げ出されている。


「ヘイゼル!」


 フユが駆け寄ろうとして、ファランヴェールに抱きとめられた。


「離せ、ファル」

「いけません」

「命令だ、離せ!」


 これまでに聞いたことのないような鋭い声。その迫力に、ファランヴェールは思わずフユを抱く腕の力を抜いてしまう。


「ヘイゼル!」


 ファランヴェールの腕をこじ開け、フユがヘイゼルのもとへと駆け寄った。


「ヘイゼル、ヘイゼル!」


 その体を抱きかかえ、軽くゆすってみるが、ヘイゼルの身体には力が入っていない。


「安心して、死んではいないわ。『壊れた』だけよ」


 クレアが無感情にそう言った。


「貴様、貴様!」


 ヘイゼルを胸に抱き、フユがクレアを睨む。悲しみと憎悪が宿るフユの瞳を、クレアはそのゴーグルで見据えた。


「何? 悲しいの? でもね、アナタの悲しみなんか、ワタシに比べたら、大海に浮かぶ氷の結晶に過ぎない。ワタシが憎い? アナタの憎しみなんか、ワタシに比べたら、銀河に浮かぶチリでしかない!」


 体は、座った状態のまま動かせないのだろう。クレアは背もたれに持たれつつも、背を伸ばし、ただただフユを見据える。


「できるなら、アナタなんかここで殺してやりたい。ファランヴェールが絶望するでしょうね。その顔を拝んでやりたいわ。でもね、それができるなら、とっくにやってるわよ。なんなら、この手でファランヴェールを切り刻んでやりたい。それができるなら、とっくにやってるわ!」


 ゴーグルの下に隠れた憎悪を、クレアは隠すことなくフユに、そしてファランヴェールにぶつけた。そして、ふっと息をつく。


「アナタを襲ったバイオロイド、あれを分析してみたの。ムイアンがアナタのバイオロイドのDNAを手に入れ、それでクローンを作り、そのバイオロイドの前頭葉を破壊したようね。言っとくけど、あれは私がやったんじゃないから」


 これまでとは全く違う、落ち着いた声。いや、これまで以上に感情のない、声だった。


「パーソナル・インプリンティングまでクローニングされていたのかは、分からなかった。でも、そのバイオロイドは、アナタを追い求め、そしてその破壊衝動をアナタにぶつけようとした。それは確かな事実だわ」


 二体の赤毛のバイオロイドが、クレアの左右につく。言いようもない感情に、フユはただヘイゼルを抱きしめるしかなかった。


「アナタの腕の中のバイオロイドは、どうなんでしょうね。あらゆるものに無抵抗になるのか、それとも破壊衝動に身をゆだね、アナタを『追い求める』のか」


 フユの瞳から、涙がこぼれる。


「どちらかしら」


 その涙が、ヘイゼルの見開かれたままの瞳に落ちた。


 軽いうめき。ヘイゼルの薄い、少し紫がかった唇がうっすらと開く。


「ヘイゼル、ヘイゼル」

「マスター、危険です。離れて」


 もしヘイゼルがその身に破壊衝動を宿してしまったら、ヘイゼルはフユを躊躇なく殺そうとするだろう。もうヘイゼルは、人間への従順さを破壊されてしまっただろうから。


 ファランヴェールがフユの肩を揺らすが、しかしフユは応えない。ただ一心に、ヘイゼルの名を呼び続けている。


「あっ……」


 軽い声が漏れた後、ヘイゼルが瞳を閉じた。そして再び目を開ける。その瞳には、光。


「ヘイゼル、気が付いた?」


 その言葉に、ヘイゼルが手を動かし、フユの顔へと伸ばす。


「いけない」


 ファランヴェールがヘイゼルの手首をつかんだ。


「ヘイゼル、僕だよ。フユ・リオンディだ」


 焦点の定まっていなかったヘイゼルの目が、フユを捉える。


「フ、ユ」

「そうだよ」

「マスター、離れて」


 ファランヴェールが余裕のない声を上げた。しかしフユは動こうとはしない。ファランヴェールはしかたなく、ヘイゼルを羽交い絞めにした。


「フ、ユ……フユ……」


 ヘイゼルの手が、フユを求めてさまよう。フユがヘイゼルの手を握った。


「マスター、いけません、危険です」


 ファランヴェールがそれを引きはがそうとするが、二人の手は硬く握られていて離れない。


「ねえ、フユ」

「なに、ヘイゼル」


 ヘイゼルが、ゆっくりと口を動かす。いや、その動きがまるでスローモーションのように見えたのだ。

 そこから言葉が出てくるまで、いったいどれほどの時間が経ったのだろうか。


 それは永遠にも、一瞬でしかなかったようにも――


「キスして」


 縋るような瞳がフユの目を貫き、透き通るような声がフユの耳を通り抜けていく。

 ただ、ただ、その唇に触れたい。ヘイゼルがフユを求め、引き寄せた。


 重なり合う唇。そしてゆっくりと離れる。


「ヘイゼル……」

「ボクはなぜ生まれたのか。ボクはなぜここにいるのか」


 ヘイゼルの手がフユから離れる。呆気にとられるファランヴェールをゆっくりと押しのけ、そしてヘイゼルはゆっくりと立ち上がった。


「フユを守るためだけに、ボクは、ここにいる」

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