6 鍵

 ウォーレスの言葉とは逆に、それからの一週間、ガランダ・シティにもそれを取り巻く居住区にも、目立った事件は起こらなかった。

 クエンレンの正規の救助隊は相変わらず忙しい様子ではあったのだが。


 ウォーレスの話を聞いてからというもの、フユはファランヴェールの顔を見るたび、『ファルはあと何年生きられるのか』という思いが押し寄せたが、きっとそれをファランヴェールに聞いたところで分かるはずもなく、ただファランヴェールを困らせるだけだろうと考え、言わずにいた。


 ただ、それが無意識に態度に出てしまうようで、二人きりになった数少ない機会には、フユは少し潤んだ目でファランヴェールを見上げ、ファランヴェールもそれに応えるように、唇を寄せる。そのたびに、フユは複雑な思いを感じずにはいられなかった。


 ヘイゼルからの想いとヘイゼルへの想い。

 ファルからの想いと、ファルへの想い。


 言葉には言い表せないが、それらは少しずつ微妙に異なっている。


 天秤にかけるわけではない。それらはどれも比べることができない、別方向へ向かうベクトルのようなものであった。


 だからこそ、フユは二人ともとできるだけ長い時間一緒にいようと思うし、できるなら三人でいたいと思っていた。


 ただファランヴェールはともかく、ヘイゼルはファランヴェールが同じ空間にいると露骨に嫌がり、必要以上にフユにくっつこうとした。ヘイゼルは極めて独占欲が強い。


 それは通常のバイオロイドには見られない性質であり――きっと、パーソナルインプリンティングのせいなのだろう。


 そのヘイゼルはというと、以前より髪の色も肌の色も濃くなったようだ。


 フユは、夏季休暇に入る前日、そのことの理由をウォーレスに尋ねてみた。ウォーレスは「原因は分からない」と断った上で、「灰色系統の基となっている『黒』の形質は、本来潜性であるはずなのだが、それが何らかの理由で発現しているのだろう」と見解を述べて見せた。


「その謎が、PIへの鍵だと踏んでいるんだが」


 フユが言うまでもなく、ウォーレスもそう思っていたようだ。

 フユは思い切って、ヘイゼルが本来女性型バイオロイドとして設計されたらしいということをウォーレスに告げた。

 だが、ウォーレスはさして驚きもせず、「まあ、そうだろう」とだけ答えた。


「知ってたのですか、部長」

「いや、様々な状況証拠から得られる結論だ。それがどれほど突拍子もないものだとしてもね。リオンディ君はそれをどうやって?」

「カグヤ・コートライトという女性から聞きました。だからヘイゼルのパーソナルウェアが女性用だったのだと、それで分かりました」


 それを聞いたウォーレスは、ただ「そうか」と頷いただけで、いつものように壁のホワイトボードに向かい、様々な記号を書き始める。


 フユにもその記号たちの意味が以前より分かるようになっていた。ウォーレスはPIについて考えているのだ。


「性染色体に鍵がある。それは分かっているのだ。しかし、再現ができない。ヘイゼルのクローンが女性型として誕生してしまうことは、その鍵がDNAのエキソン部分にあるのではないことを示している。イントロンか、いや、もしかしたらDNA情報ですらなく、ヒストンが原因なのかもしれない。そもそも、リオンディ博士ですら予期せぬ現象だったようだからな」


 ウォーレスはそこまで一気に言った後、壁には知らせていたペンを止め、フユのほうへと振り返える。


「膨大な可能性の中から、その『鍵』を探し出すのは、途方もない時間が必要だ」


 そして自嘲気味に口元をゆがめた。

 フユが、持っていたカバンから一枚の写真を取り出す。


「明日から二日間夏季休暇をいただきます。できれば、カグヤ・コートライトに会いたいのですが、部長は彼女の居場所をご存じですか」


 ウォーレスは差し出された写真を受け取ると、少しの間その写真を見つめた後、それを裏返した。そして、その動きを止める。


「すまないな、私は会ったことすらない。で、この写真は」

「僕に残された、唯一の家族写真です。裏にマークが書かれていました」


 ウォーレスがフユを見た。フユの目に迷いはない。


 フユの父親がフユに唯一残したもの。そこに何か手掛かりがあるのでは――フユはそれをウォーレスに託すことにしたのだ。


「預かっていても?」

「はい」

「分かった。何か分かれば、君に伝えよう」

「お願いします」

「外出するなら、必ずヘイゼルとファランヴェールを連れて行くように。君に死なれては、私も困るからな」


 目は笑ってはいない。しかしウォーレスの口調は、冗談とも本気ともつかない軽い調子だった。

 フユはそんなウォーレスの様子にも慣れてきている。


「分かりました」


 返事をし、そして少しばかりの笑みを返した。

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