2 蛇の道

 空の高い位置にあるロスの光が眩しい。高台にある学校からは、遠くにガランダシティのぼんやりとした姿が見える。

 シティの向こうには起伏のある平野。その向こうには入道雲が立っている。


 こんな日は、ロスから降り注ぐ電磁波の影響が警戒レベルまで達しているはずであり、実際、外出時注意報が出されていた。


 食堂からバイオロイド管理棟まではしばらく歩かなければならない。フユは防電磁波用のコートのフードで頭をすっぽり包み、汗ばむ空気の中を早足で歩いた。


 管理棟に着き、エントランスへと入る。


「フユ!」


 するとすぐに、そこで待っていたのだろう、ヘイゼルがフユの許へと駆け寄った。


「ヘイゼル、お待たせ」

「遅い」


 別に厳密な時刻を決めて待ち合わせていたわけではないが、ヘイゼルは不満げな顔を見せながら、フユに抱き着いた。


「ほら、ヘイゼル。ここは僕の部屋じゃない」


 フユが受付にチラと視線を送りながら、ヘイゼルをたしなめる。受付の女性が、フユたちを見ながら微笑んでいるのが見えた。


「もう『公認』なんでしょ」

「そんなわけない。『黙認』だよ。知っている人はごくわずか。ばれちゃいけない。もちろん、誰にもしゃべっちゃいけない」


 ヘイゼルを『研究』に協力させるために、フユはヘイゼルに「二人の関係が部長にバレていること」そして「黙認してもらう代わりに研究に協力すること」を話していた。

 

「分かってるよ」


 ヘイゼルにはその『研究』が何なのかは興味がなかったようで、お咎めがなかったということを素直に喜んでいた。

 以前よりも頻繁に検査されることが不満なようであったが、フユが可能な限り立ち会うという約束をしたため、その不満も大したものではなくなっていた。


 実際、ヘイゼルの検査は部長のウォーレスとその助手の二人のみが行っていて、バイオロイド管理部の所属員のほとんどは、部長の『研究』について詳しく知らないようだ。


『天知る、地知る、吾知る、汝知る。話が外部に漏れても大丈夫にしておくのが、リスクヘッジというものだ』


 部長のウォーレスはそう言って笑っていた。理事長にも伝えてないらしい。パーソナルインプリンティングの研究、そして人間とバイオロイドとの『密通』。どちらも、当局の知るところとなれば、厳罰は免れない。


『責任は私一人がとる』


 部長がそう言ったとき、フユは脅されてではなく、仕方なくでもなく、自らの願望のために部長を信用しようと決めたのだった。

 ファランヴェールは、それを聞いて随分と苦い顔をしていたが、フユが決めたのならとあきらめている。


「お待たせしました」


 受付に案内され、部長の部屋へと通されると、フユはそう挨拶をした。壁のホワイトボードとにらめっこしていたウォーレスが、振り返る。


「やあ、来たね。ヘイゼルはそのまま検査室へ行ってくれ」

「フユは?」


 ウォーレスの言葉に、ヘイゼルがあからさまに抗議の表情を見せる。


「今日の検査について、少しリオンディ君と話をしなければならない。それが終われば二人でしてもらいたいことがある。だから先に検査を受けておいてくれ」


 それを聞いて、ヘイゼルは機嫌を直したようだった。二人を案内した研究員と一緒にそのまま検査室へと向かった。


「話、ですか。何かいつもと違うことを」

「ああ、そうだ。まあ、そこに座って」


 ウォーレスの勧めるまま、フユが雑多な部屋の真ん中に置かれていた椅子に座る。ウォーレスがデスクのパネルを操作すると、入り口のドアでカチッという機械音が二度鳴り、窓のシャッターが閉じられた。

 密室が出来上がる。


「リオンディ君、バイオロイド研究に興味はないかな」


 ウォーレスは、自分の椅子に座るや否や、そうフユに尋ねた。


「研究、ですか」

「ああ。君のお父さんのように。ここに来る前は、そういう道を目指していたと聞いている」

「そう、ですね。でも様々な理由で、それは諦めました」

「君はまだ若い。諦める必要はないだろう」

「でも、僕はコンダクターを目指しています」

「別に、コンダクターとバイオロイド研究者の『二刀流』をしてはいけないという法律はない」


 ウォーレスはそういうと、デスクの上にあったカップに口をつけた。


 ウォーレスの話、フユは考えてもいないことだった。経済的な理由と、そしてヘイゼルという存在が、フユをコンダクター志望へと変えたのだ。


「しかし、それには専門的な勉強が必要です」

「ここでできる。私が教えてあげよう」

「部長が、ですか」

「ああ。君はこうやってヘイゼルの検査に立ち会いに来ている。その時間、何もせずただ検査が終わるのを待つというのも、時間がもったいなくはないかな」

「教えていただけるのなら、はい、バイオロイド研究には興味があります」


 ウォーレスの提案は、フユにとっては願ってもないことだった。ヘイゼルに組み込まれたパーソナル・インプリンティングの除去。それがフユの目標の一つなのだ。


「それなら話が早い。君には、私の助手として、ヘイゼルの研究を手伝ってもらおうか。ただ」


 ウォーレスがそこで言葉を切る。そして、何かをうかがうようにフユの目を覗き込むように見つめた。


「はい、なんでしょう」

「違法な研究だ。するにも、それ相応の覚悟がいる」

「分かっています」


 フユはそれに即答で応じた。


「そうか。なら、これを見てほしい」


 ウォーレスが、床に置いてあったカバンから端末を取り出す。そしてフユを手招きした。

 フユは椅子から立ち上がり、ウォーレスの横に立つ。ウォーレスは、両手に収まるほどの画面をフユに向けた。


 と、その画面に動画が流される。若いとは言えない人影が、ベッドに横たわるもう一つの人影に覆いかぶさり、体を前後に動かしていた。


 下になっている者にカメラの焦点が合わせられている。その顔を見て、フユはとあるバイオロイドの名前を口にした。


「これは……ベローチェ」

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