13 限りなく黒に近い色

 理事長室には、深夜であるにもかかわらず理事長のキャノップが椅子に座っている。普段プレジデントデスクに収納されているマウント式の大型モニターが今はせりあがっていて、様々な情報を表示していた。


「夜ぐらい、お休みになっていてもいいんじゃ、ないですかね」


 モニターを凝視してた理事長に、扉から入ってきた白衣の男が声をかける。落ち着きのある大人の声だが、聞いた者にはその軽さしか印象が残らないような声だ。ぼさぼさ頭に無精ひげ、眼鏡の奥から覗く視線だけがやけにぎらぎらとしている。


「俺だけ寝ているわけにもいかんからな。それよりノックぐらいしろ、部長」


 声の主はバイオロイド管理部の部長、ゲルテ・ウォーレスである。キャノップはモニターから視線を外すことなく、小さく低い声を出した。


「そりゃ失礼しました。しかし全く、物騒な世の中になったもんですな。理事長がホテルにいらっしゃる時に起こらなかったのは不幸中の幸いですか」


 本当に心からそう思っているのかどうか、ウォーレスの口調はどこまでも軽い。


 現在、ガランダのエリア内では爆破と火災、合わせて六件の事件が起こっている。そのうちの一つ、コートライト・ホテルでは日中にバイオロイド事業の関係者を集めたレセプション・パーティが行われていた。キャノップはそれに出席していたのだ。


「警戒は厳重だった。まさかパーティ終了の数時間後にホテルが爆破されるとは誰も思ってなかっただろう」


 フユの両親が死んだシャンティ・ホテルの爆破事件では、他に何人も、経営者や研究者が巻き込まれている。 


「治安警察は何をやってるのか。パーティではなく、その後そのままホテルに宿泊する者を狙ったものですかね」

「分からん。まだ情報が来ていない」


 キャノップが見ている情報は『災害』についてのものであり、犯罪に関する情報は当局からも提供されずにいる。


「で、その話をしに来たのか」


 キャノップはコンソールパネルをいくつか操作しながら、ウォーレスにそう尋ねた。


「いやいや、お伝えすることが二点ありまして」

「分かりやすく、端的に」


 ウォーレスは事専門性の高い話題の時は妙に回りくどく言う癖がある。キャノップはそれを先回りしてけん制したのだ。


「では、端的に。一つ目ですが、メンテナンス停止作業中にフォーワル・ティア・ヘイゼルが暴れ出しまして、鎮静剤を使いました」


 その報告に、キャノップがこめかみに手を当てる。


「これから出動するバイオロイドに鎮静剤を使ってどうする」


 対テロ災害課程の生徒三人が出動していることをキャノップも把握している。その許可を出したのは、当のキャノップである。


「いや、ごもっとも。我々のミスです」


 実際には、逃亡の『前科』があるヘイゼルに対し確認もせずに鎮静剤を使ってしまった部下のミスであるのだが、ウォーレスはそのことは言わなかった。


「それでは使い物にならないな。ヘイゼルは休ませろ」

「分かりました。もう一点、治療中のキャスパー・クエル・ベローチェですが」


 ウォーレスが言葉を切る。そこで初めてキャノップがウォーレスの方へと顔を向けた。ウォーレスの表情は、相変わらず何を考えているのか分からないような飄々としたものである。


 しかしその話題は、今話す必要性のないことのように思われる。ウォーレスは『変わった』男ではあるが、その場に不必要なことは言わないしやらないことをキャノップは知っていた。つまり、その内容は緊急を要するものなのだろう。


「そんなに悪いのか」

「前頭前野の一部に重大な損傷を受けています。この部分は人間と同じくバイオロイドの行動や意思決定に深くかかわる――」


 事前にけん制したにもかかわらず、ウォーレスが饒舌に専門的な話をし始める。キャノップがそれを手を上げて制した。


「説明はいい。端的に」


 その威厳ある声に、ウォーレスは肩をすくめる。


「『悪い』ではなく、『回復不可能』ですな。バイオロイドにとって一番ともいえる感情、『人間を護る』という意識が破壊されています。いわばアイデンティティの崩壊、と言えますか。エイダーはおろかもう何物にも、なれないでしょうな」


 ウォーレスの口ぶりは深刻なものでも残念に思うものでもない。キャノップはウォーレスの口調の中に微かな好奇心を読み取った。


 一体のバイオロイドが、その存在にとって致命的な状態に――きっと、ベローチェを待ち受ける運命はただ一つ、『処分』だろう――陥った、にもかかわらずこの男は楽しんでいるのだ。この男にとっては、バイオロイドはただの『道具』なのだろう。


「それをやったのが、イザヨ・クエル・ラウレだというのか」

「と、いうことですな」


 ウォーレスの返事に、キャノップは表情を険しいものに変え、情報端末に視線を戻した。


 ラウレが見せた能力は、学校側でも把握していなかったものだ。今、そのラウレは、一体どういう風の吹き回しなのか、現場に出ている。キャノップが小耳にはさんだ話によると、昨日の訓練において何かしらのやり取りがカルディナ・ロータスとの間になされたのが原因らしい。


 送られてきたリアルタイム情報では、フユたち三人もクエンレン救助隊の補助活動を開始したようだ。


 ファランヴェールは優秀だがコンダクターと一緒に現場の活動に出るのは初めてである。もう一体、性能が群を抜いているエンゲージがいるが、それでもキャノップがどこか不安をぬぐえないのは、現状において不確定要素が多すぎるのと、そして『イザヨ』という言葉である。


「今日のパーティ、イザヨ・クレア博士も来ていた。彼女はそのままコートライト・ホテルに宿泊すると言っていたが、無事だろうか」


 キャノップの言葉に、ウォーレスが一つ「ふむ」と息を吐いた。


「クレア博士は随分と解放戦線に嫌われているようですな。何度も巻き込まれ、そしてその都度ほぼ無傷で難を逃れている。今度はどうか、興味深いですなぁ」


 不謹慎としか言いようのないウォーレスの言葉にも、しかしキャノップは「ふむ」とだけ応じた。


「部長、以前にフユ・リオンディを襲撃したバイオロイドだが、まだ『保管』されていたな」


 突然の話題である。しかしウォーレスに驚きはない。


「はい。何せ『処分』は慎重に行わねばならないんで」

「なら、すまないが一つやってほしことがある」

「何ですか」

「脳の検査だ。報告書にはなかった」

「すでに死んでいましたんで。脳波を調べるのでなければ、解剖でもしないと」


 ウォーレスの言葉に、キャノップはモニターから目を離し、ウォーレスを見た。


「やってくれ」

「理事長、当局の許可なくバイオロイドの解剖をするのは違法行為です。処分がさらに難しくなりますが」

「今さら、だな。もうとっくにグレーゾーンを超えている。君も、俺も」


 キャノップの目には迷いも躊躇いもない。


「分かりました」


 そう返事をすると、ウォーレスはにやっと笑って見せた。

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