3 その信源は
一体、何秒の間、ラウレはそうし続けただろう。いつもは、この世のあらゆるものを見下すかのような冷やかさを持っていたラウレの目に浮かんでいた驚きが、怪訝なものへと変わってからも、ラウレは自分の髪を指でいじり続けた。しまいには、痛いくらいに引っ張りだす。
「正気かい」
ようやく口から出た言葉は、しかしその一言だけだった。ただ、その言葉は今度はカルディナに驚きをもたらした。自分から言い出したこととはいえ、『無意味だね』の一言で終わる可能性の方が高いと踏んでいたからだ。
「お前よりよほどまともだ」
「ははっ、言うじゃないか。何でも、いいのかい」
「ああ。何でも、だ」
ラウレの探るような視線が、やがて、憐れな犠牲の子羊をどうやって食べようかと愉しむ怪物の目に変わった。
「この学校をやめろと言えば、君はやめるのかい」
「ああ、いいだろう。ただし、訓練の相手は俺が決める」
万が一にも、ラウレが話に乗ってきたときのために用意しておいたセリフを、カルディナは間髪を入れずに返す。
「言ってみたまえ。誰に勝てばいいんだい」
「エンゲージ」
それを聞いたラウレは、またフフンと鼻で笑うようなしぐさを見せた。
「まあ、そういうことだろうねぇ。でも、それは無理というもの」
この話自体、カルディナにとっては賭けであった。といっても、負けたところで自分にとって何ら痛くもない、ローリスクなものである。
ラウレがなぜ訓練を受けないのか、ただそれを知るためだけのものであり、ラウレが話に乗ってこなければ、このバイオロイドとは二度とかかわりを持たないでおこうと決めていたのだ。
しかしラウレは、カルディナの話に興味を示した。このことに、カルディナは少し興味を持った。
「だろうな。負けると分かっていては、賭けにもならないか」
「間違えないでくれたまえ。負けるとは言っていない。ただ、勝つのはちょっと無理だねぇ。予め結果の分かっていることをやるなんて、つまらないだろう?」
「随分な自信じゃないか。負けはしない、というのか」
「ああ、そうだよ」
一体ラウレのその自信がどこから来るのか、カルディナには不可解である。
ラウレのデータは、カルディナの入学前からのものも含めて全部チェックしている。そこに、ラウレが見せる自信の裏付けになるようなものは何もなかった。その片鱗すらである。ラウレは、ここに来た時からずっと今の様だったのだ。
「訓練もしていないお前が、エンゲージと互角だと。笑わせる」
今度はカルディナが鼻で笑う番だった。しかしラウレにそれを気にする様子はない。カルディナに近寄ると、さも可笑しげに囁いた。
「言っただろう、訓練は所詮訓練だとねぇ。バイオロイドはほとんど代謝を行わない。それはつまり、成長をしないということだよ。訓練などというものは、人間に対する従順さを確認するためだけに行うものであって、身体能力の向上のために行うものじゃぁ、ない」
そしてそう言い切ると、ククッという笑い声を喉から出した。
ラウレの認識は、カルディナからすれば間違いである。確かにバイオロイドの体はほとんど成長しないが、脳だけは別である。学校で行われる様々な訓練はそのほとんどがバイオロイドの脳を成長させるためのものなのだ。
「お前は人間に従順じゃないということか」
「たまにはそんなバイオロイドがいてもいいだろう? ヘイゼルすら手懐けられたようだしねぇ。一体リオンディ君はどうやったのか。興味深いねぇ」
ヘイゼルの名を口にしたが、ラウレの視線はカルディナに固定されたままである。
「さあな。俺にはそんなこと興味ない」
カルディナは、訓練場の方に目をやった。激しい戦闘を行ったというのに、エンゲージもヘイゼルも疲れた様子は見せていない。
「じゃあ、エンゲージとやってお前が負けなければ、言うことを一つ聞いてやる。ただし条件を下げたんだ、この学校を去るような事態になる要求は聞けない」
「いいだろう。じゃあ君には、この僕に跪いてこれまでの不遜な態度の赦しでも乞うてもらおうか。もちろん、この場にいる皆の前で、だよ」
ラウレの要求に、カルディナは内心苦笑を禁じえなかった。普段ラウレは飄々とした様子を見せているが、なるほど、このバイオロイドにもプライドというものがあるらしい。
「ああ、それで構わない」
「ただ、どうだろうねぇ。エンゲージはこの僕とは戦いたくないんじゃないかな」
「なぜだ」
「同じ『イザヨ』の銘を背負っているからねぇ。『ママ』が同じバイオロイド同士は兄弟みたいなものでね。出来損ないの『兄』に万が一負けでもしたら、彼のプライドに傷がつくだろうからねぇ」
エンゲージが負けるわけがない――カルディナはそう言いかけてやめた。やらしてみればわかること。これ以上のラウレとの会話は、カルディナの望むところではなかった。
カルディナが指導教官に声をかける。ラウレにエンゲージと模擬戦をさせてくれと頼んだのだが、驚いたことにそれを聞いたエンゲージが難色を示した。
「オレはイザヨのバイオロイドとは模擬戦でも戦わない。イザヨとの約束だから」
その答えを聞いて、ラウレが「ほらね」と呟く。ラウレの言葉とエンゲージの言葉にはどうもずれがあるのだが、カルディナは気にしないことにした。そう、ラウレは『イカれてる』のだ。
「なら、ヘイゼルとはどうだ」
カルディナがラウレに尋ねる。「同じだね。勝つことはできない」との返事を聞いて、カルディナは指導教官にヘイゼルとの模擬戦を頼んだのだが、その願いはすぐに聞き届けられた。
「何秒持つか楽しみにしておこう」
「赦しを乞うための言葉を、今から考えておきたまえ」
カルディナの言葉にラウレはそう答えると、高らかに笑いながら、カルディナの元を離れた。
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