23 管理局の男

「名前を覚えてくれていたとは、うれしい限りですな」


 男は、言葉とは裏腹にたいして嬉しそうな顔もせず、ヨレヨレのトレンチコートのポケットから、白く細い棒状のものを取り出し、口にくわえた。

 間の抜けた印象は相変わらずである。


「いい記憶ではありませんが。それと学校内はタバコは禁止です」


 地球から持ち込まれたタバコは、気候に合っていたのだろうか、ネオアースでも栽培されている。その成分を抽出しカプセル状にしたものを、器具で吸い込むのだ。


「ああ、こりゃまさに『禁煙用』のハーブスティックでしてな。リオンディ君、ちょっと話を聞いてくれませんかね」


 顔に薄ら笑いを浮かべながら、カーミットは加えたスティックを深く吸い込んだ。


「誰だよ、こいつ」


 聞こえるように、カルディナがフユに尋ねる。それを聞いても、カーミットの表情に変化はない。


「バイオロイド管理局の人だよ」

「管理局?」


 反対に、カルディナの表情が驚きへと変わった。


「うん。ごめん、先に行っててくれるかな」

「いいのか」

「大丈夫。カルディナも何か用があるんでしょ」


 フユの推測は当たっていたようだ。


「分かった。じゃあな」


 カルディナは少し躊躇した後でそう口にすると、カーミットへと一つ怪訝な視線を送り、そのまま講義棟へと歩いて行った。


 その後ろ姿を見送った後、カーミットが周りを見渡す。


「あのバイオロイド、今日はいないようですな」

「ヘイゼルの話ですか」


 その言葉に、カーミットは動きを止め、視線だけをフユに向けた。


「そうなんですがね」

「いいですよ。僕も丁度、貴方に聞きたいことがありましたので」


 フユがそう答えると、そこで初めてカーミットの顔から薄ら笑いが消えた。


「ほう、それは興味深いですな。どんなことですかね」


 カーミットが、口にくわえていたスティックをポケットへとしまう。


「ここで話をするのもなんでしょう。あちらへ」


 そう言うとフユは、カーミットの返事も待たずに、中庭に作られている休憩スペースへと歩き出す。行きかう生徒は何人もいるが、朝の時間ではみな目的を持って行動しているようで、休憩スペースに立ち寄ろうという人間の姿は見当たらない。


 植木の奥、誰も座っていない長ベンチの端に、フユは腰かけた。後をついてきたカーミットが「では失礼」と言って、ベンチの反対の端に座る。


「先日、シティ郊外の教会跡で火災がありました。あの建物、本当は何だったのですか。ご存じなんでしょう」


 カーミットに一息つかせる間も与えず、フユはそう切り出した。このタイミングでカーミットがフユを訪ねてきたということは、あの事件についてだろう。フユはそう踏んだのだ。


「いや、これは先手を打たれましたな」


 そうは言う物の、カーミットの言葉に驚きのニュアンスはない。


「ヘイゼルの話をするなら、それを聞いてからです」

「ふむ、いいでしょう。ただし、私からお話しできることは限定的なものでしてね。君の期待に沿えるかどうかは分かりませんな」


 カーミットの声の大きさが二段階ほど落ちる。


「なぜです。何体ものバイオロイドがあの火災で無くなったと聞いています。バイオロイド管理局が調査に動いてるんでしょう。それとも何か極秘事項でもあるのですか」


 フユの顔は前に向いたままである。しかしその声は、カーミットに合わせるように小さくなった。


「私は、今回の調査班には加わってませんでして」

「なぜですか。貴方は、ここに来るくらいですから、このあたりのエリアの担当でしょう。それとも、何か理由があって、担当から外されでもしましたか」


 そこでカーミットは、小さく「はははっ」と笑った。


「それでも僕に会いに来た。ヘイゼルのことを聞きに、ですよね。担当から外されたのは、それが原因ですか」


 さらにフユが畳みかける。その瞬間、カーミットの雰囲気が変わった。

 

「賢しさは、長生きの邪魔にしかならないということも、知っておいた方がいい」


 カーミットの声のオクターブが下がる。


「知らないまま老いていくよりは、何倍もましだと思いますが」


 しかしフユは動じた様子を見せなかった。カーミットがフユを見る。フユは前を見つめたままだ。


「敵いませんな。私の質問に答えるだけなら、君に何か不利益が生じることはない。しかし、それ以上のことを知りたいのなら、後には戻れなくなりますな」


 カーミットの調子が元に戻る。フユはそこで初めて、カーミットへと視線を送った。


「聞かせてもらえますか。あの教会のこと」


 カーミットの目が、フユを見つめている。うだつの上がらない、間の抜けた中年男性――そんな第一印象は、もう目の前のカーミットからは感じない。世の中の闇を見てきたものの目。フユにはそう見えた。

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