19 貴方が欲しかったもの
フユの意識が、手に持っていたものから、視線の先のバイオロイドに移ったのは、驚きだけが原因ではなかった。
地球の古代遺跡の写真で見た、純白の像のような――いや、その像よりも肉質には乏しい感じがする。華奢ともいえる細い体から、そのバイオロイドの力強さを想像するのは難しい。滑らかな流線形を描くその体の美しさに、フユは心を奪われてしまった。
まるで凍ってしまったかのようなフユの時間を、大きな鈍い音が突き刺さる。その後に続いた渇いた破壊音に、フユは驚き、床に目を向ける。
フユの手から滑り落ちた写真立てが床に落ちていて、その周りを透明な破片が取り囲んでいた。
フユが、慌ててそれを拾い上げようと、手を伸ばす。次の瞬間、真っ白な細い腕がフユを抱きかかえた。
その腕は、大理石とは違い、瑞々しいほどの弾力がある。腕も体もしとどに濡れていて、それがフユの髪や頬を湿らせた。
驚きの余り、フユは声を出せないでいる。その耳に、ファランヴェールの穏やかな声が響いた。
「割れたガラスを、素手で触っては危ないよ、フユ」
鼓動が、フユの意志から離れ、速くなっている。心臓の辺りには、丁度ファランヴェールの左腕がある。
「あ、ありがとうございます」
気恥ずかしさを紛らわすために、それだけを口にした。しかし、フユは自分の目線の向ける先に困ってしまい、振り返ることも、ファランヴェールの腕から離れることもできないでいる。かといって、ファランヴェールもフユをすぐにその腕から解放しようとはしない。
しばらくの間、部屋の中にフユの鼓動の音だけが時を刻んでいた。
と、ファランヴェールの腕の力が、突然緩まる。
「すまない、フユの服を濡らしてしまったね」
「い、いえ、大丈夫です」
その腕から解放された後も、フユはファランヴェールから顔を反らせたまま、その場に固まっていた。
「バスタオルが無かったのだが」
ファランヴェールのつぶやきにも似た訴えに、フユの頭がようやく動き出す。
「あ、す、すみません。すぐに」
そう答えると、フユは逃げるようにクローゼットへと行き、ケースからやや大きめのバスタオルを取り出した。
それをファランヴェールに差し出す。ファランヴェールの目から視線をそらせていたせいで、ファランヴェールの下半身がフユの目に入ってしまった。
フユが慌てて顔を上げる。
「これを使ってください。ファル……」
意図した言葉ではなかった。フユは、『ファランヴェール』と言おうとして、気恥ずかしさから、思わず途中で言葉を飲み込んでしまったのだ。
しかし、フユが見上げた視線の先で、ファランヴェールの瞳が大きく揺れた。目を見開き、そして手を上げる。しかしすぐに、ファランヴェールの表情が、悲しげなものへと変わった。
そのままタオルを受け取ると、ファランヴェールが自らの体をそのバスタオルで覆う。
「ありがとう。ガラスには気を付けて。体を拭いたら、私も片づけを手伝おう」
そう言うと、ファランヴェールはまたバスルームへと姿を消した。
あの瞬間、彼の手が取ろうとしたものは、何だったのだろうか。フユには、それがタオルでるようには思えなかった。フユか、それとも、もうすでにこの世にはいない人間か。
少しだけ複雑な気分になりながら、フユは床に落ちた写真を拾い上げた。写真立ては壊れてしまったが、中の写真に影響はなかったようだ。
――新しい写真立てを買ってこないとな。
そう思いながら、写真を裏返してみる。白地に、奇妙なマークが描かれていた。
円形の外枠の中に、円の最下部の一点から三本の線が上へと伸びるように出ている。真ん中のものは直径をなぞるように。右のものは緩やかに外側へと曲がって。そして左のものは、急カーブを描いて、それぞれ円周上の点へとつながっている。
見たことはない。しかしフユは、そのマークを『聞いた』ことがある。それは、燃えた教会の地下からヘイゼルが送ってきた、圧縮暗号による説明に特徴がとてもよく似ていた。
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