17 わがままの行方
一瞬、ファランヴェールが何を言ったのか、フユには理解できなかった。
ファランヴェールは、すでにフユ付きのバイオロイドである。何事も無ければ――例えば、カルディナとラウレのようなことが無ければ――来年の選抜会で正式なパートナーになるだろう。
確かに、ヘイゼルはファランヴェールを嫌がっている。しかし、そもそも、ヘイゼルはどのバイオロイドとも合わないはずである。きっとヘイゼルは、フユを独占したいのだろうから。もちろん、それはフユが何とかすべきことなのだ。
これらのことは、ファランヴェールにも分かっているはずである。
「あなたは、もうすでに」
しかし、そこでフユは言葉を切った。ファランヴェールが言いたいのは、そういうことではないのだろう。
一体何が言いたいのか――
そう尋ねようとしたが、フユが言葉を発する前に、ファランヴェールがそれを遮った。
「そうだったな。すまない、忘れてくれ」
ファランヴェールがふっと微笑む。その微笑みにも、フユはどこか寂しさを感じてしまう。
「あの、一つ、質問をしてもいいですか」
リビングにL字型におかれたソファのそれぞれの辺に座るフユとファランヴェール。その距離は、手を伸ばせば届きそうなものである。
普段、学校で見るファランヴェールの姿は、孤高にして尊厳に満ちたものであり、どこか別世界、もしくは別の時代にいる存在のように思えていた。それはフユ付きになった後でも変わらない。
しかし今フユの目には、ファランヴェールが、まさにこの実際の距離にいる存在に見えている。それ程までに、今日のファランヴェールは、どこか無防備だった。
「ああ、構わない」
「学校が、イザヨ・クエル・ラウレをカルディナに、あなたを僕に付けたのはなぜですか。互いの性格を考えれば、カルディナとラウレが合わないのは、学校も初めからわかっていたでしょう。そして、ヘイゼルがあなたと合わないことも」
言葉を飲み込んでしまわないように、フユは思っていた全てを一気に吐き出した。フユの言葉を、ファランヴェールは黙って聞いている。
「逆であってもいいはずです。カルディナは理事長に直訴しに行ったのでしょう?」
ここでようやく、フユは言葉を切った。ファランヴェールの瞳を見つめ返し、じっと答えを待つ。
ファランヴェールが、ゆっくりと瞳を閉じた。
「……ああ」
「話は、どうなりました」
「……保留、ということになっている」
「なら、ラウレが僕と組み、あなたがカルディナと組むということも」
「それはない」
その言葉だけが、どこか鋭さを孕んでた。しかし、ファランヴェールは目を閉じたままでいる。
それを決定するのは、最終的には理事長であり、ファランヴェールではない。それなのにそこまで言い切るのは――
「なぜ、ですか」
しかし、尋ねてから、フユは訊くべきでなかったと後悔した。再び姿を現したファランヴェールの瞳が、余りにも頼りなげに揺れている。
その瞳の上を、まつ毛が降りて瞼が閉ざされる。髪も、肌も、そしてまつ毛すら白い、純白のバイオロイド。その中で唯一、色のついたパーツ――暗赤色の瞳が再び現れた時には、その中にいつも通りの、孤高の尊厳が浮かんでいた。
「私が頼んだのだよ、理事長に」
「何を、ですか」
もちろん、それは分かりきっている。しかしフユは、そう訊き返さずにはいられなかった。
「私を君に……フユ・リオンディに付けてほしいと。それなら、私も現場に出られると、そう理事長に頼んだのだよ。この私が」
「あなたが、ですか」
そのことをフユは初めて耳にした。いや、もしかしたら、理事長以外誰も知らないことなのかもしれない。
「そうだ。職権の濫用だと、フユは思うかな」
「え、いえ、その」
「遠慮しなくてもいい。実際その通りなのだから。主席エイダーという地位を利用して、私は君のパートナーになろうとしているのだよ」
なぜという言葉を、フユは唾液とともに飲み込む。そして少し考え、その言葉をそのままファランヴェールにぶつけることにした。
「光栄には思います。でもなぜ、僕なのですか。なぜあなたは、これまで現場に出て無かったのですか」
その質問が来ることを、ファランヴェールは予測していたのだろう。軽く頷いた後、少しの時間も考えることなく、しかしゆっくりと口を開いた。
「これから私のことを『ファル』と呼んでくれるのなら、その理由を君に教えよう」
「ファル……ですか」
「ああ」
明らかに、目の前のバイオロイドの愛称のような名前だ。しかも、かなり親しい人が口にするような。
「二人でいる時なら」
「いや、いつ、どこででも、だ」
ファランヴェールの口調は、有無を言わさぬものである。それにフユは少し驚いた。
そのような親し気な呼び方を大勢の前でするなんて。いや、それだけならまだいい。しかし、ヘイゼルの前では……
「その呼び名は、余りに」
「親しすぎる、かな」
「ええ、まあ」
遠慮がちにそう答えたフユを見て、ファランヴェールはふっと自嘲気味に笑った。
「すまなかった、忘れてくれ。シャワーを借りてもいいかな」
ファランヴェールがソファから立ち上がる。話はここまで、という無言の制止のようだ。
「は、はい。シャワールームはそこです」
フユがダイニングの横の扉を指さす。ありがとう、と一言つぶやきシャワールームに向かうファランヴェールの背中に、フユは声をかけた。
「あの、その名前は」
ファランヴェールが立ち止まる。そのまま、フユの方へと振り返ると、軽く笑みを浮かべた。
「かつて、私を愛してくれた人が、私のことをそう呼んでいたのだよ」
そう言うとファランヴェールは、シャワールームへと消えていった。
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