13 見覚えのある聖印
実際のところ、ヘイゼルが『気づかれないように』動くことは不可能なはずだった。救助隊や消火隊に所属しているものは、人間であれ、バイオロイドであれ、発信器を所持しており、居場所と行動がリアルタイムでモニターされているのだから。
しかし、エアポーターの中では若干の混乱が起こっていた。コンダクター席に座っていたのは、教官であるエタンダールとフユであったが、エタンダールは状況の確認に追われており、一方、フユはファランヴェールとの交信に苦戦していた。二人の視線の中に、モニターはない。
カルディナとクールーンは、初めての現場ということでそれぞれのパートナーとの交信に集中してしまい、モニターも正面スクリーンも見ていない。
ヘイゼルが建物へと駆け寄り、高さ一〇メートル以上ある石壁を軽い身のこなしで蹴り上がって建物の中へと飛び込んだのは、まさに偶然生まれた、そんな数十秒間の空白であった。
古くはゴシック様式と呼ばれたその建物は、上空から見れば十字架の形をしている。高い塔はその交点からそびえたっていたのだが、ヘイゼルが入ったのはちょうど十字架の先端の部分だった。
屋根はすっかり崩れ落ち、見上げれば骨組みの隙間からオーロラが揺らめいているのが見える。壁面は石で作られていて、崩れ落ちている様子はなかった。
元は大講堂といえるほど広い空間だったはずだが、脱酸素剤が使われた後、すぐに水による消火が行われたからだろう、建物の中は水浸しになった黒焦げの木材が散乱している。
まだ熱の残る湿気が、ヘイゼルの肌にまとわりついた。中は暗く、外から洩れ入るオーロラの光だけでは、よく見えない。
視界を遮る残骸の向こう側で、いくつかの光がちらちらと見え隠れした。救助隊が活動しているに違いなく、ヘイゼルはその光が見えなくなるように、物陰に身を潜めた。
と、その時、頭の中でフユから送られてきた圧縮暗号がイメージを作り上げる。
『ヘイゼル、何してる。戻って』
かなり慌てているのだろう。本来は必要がないはずであるのに、フユはヘイゼルの名前を呼んでいた。
『中に入った。生存者がいないか、捜索するよ』
『そんな指示は出てない。早く、戻って』
本当ならば、もっと早い段階でフユがヘイゼルの行動に気づいてもいいはずである。ヘイゼルにはそれも気に食わなかった。
――ボクを放っておいて、ファランヴェールと話してたんだ。
もちろん、その内容は任務のことなのだろう。しかしヘイゼルには、それは関係ないことだ。
『コピー』
とりあえずの返事。しかしヘイゼルに戻る気はない。
――少し困ればいいんだ。
ボクを放置した罰なのだから。
誰に見せるわけでもなく、ヘイゼルは不機嫌な顔をしてみせた。そして後ろを振り返り、かつて教会の正面の壁であった場所を見上げる。
そこに何があったのか、ヘイゼルは知らない。しかし大きな窓があったことを思わせる細長い三つの穴が開いている。その下には、損傷を免れた祭壇と、そしてやや大きめのオブジェが置かれていた。
石かもしくは石膏で作られた物だろうか。円形の外枠の中に、円の最下部の一点から三本の線が上へと伸びるように出ている。真ん中のものは直径をなぞるように。右のものは緩やかに外側へと曲がって。そして左のものは、急カーブを描いて、それぞれ円周上の点へとつながっている。
初めて見るはずなのに、ヘイゼルはふと、懐かしさを感じた。
『ねえ、フユ。何だろう、このマーク。どこかで見たことある気がする』
フユへと圧縮暗号を送る。しかし返ってきたのは、『ヘイゼル、戻れ』という言葉だけだった。
――つまらないの。
フユが自分の話に乗ってくれないことに、ヘイゼルはまた不機嫌さを感じる。
暗がりではよく見えない。近くに寄ろうと、数歩歩いたところで、ヘイゼルの足元が崩れ落ちた。
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