1 DNAの謎
「訓練の状況はどうだ」
理事長室の中、椅子に座る男が、その向かいに立つバイオロイドに問いかけた。
夏期休暇が終わってからすでに三か月、窓の外に見える木々たちは、濃い緑色から次第にその色を失いつつある。
椅子に座る男、理事長のキャノップは先ほどまで会議を行っていた。これまでの訓練の状況や今後の学校の方針を話し合うものだ。
新しいバイオロイドをパートナーに迎えたすぐは、いろいろと問題が起こりやすい。しかし、会議では概ね良好な報告がなされたのだろう。キャノップの顔には満足げなものが浮かんでいる。
「そう、ですね。問題が無いわけではありません」
その向かいに立っていたバイオロイド、レ・ディユ・ファランヴェールは少し顔を曇らせてそう答えた。
「珍しいな。そんな回りくどい答え方をするとは」
キャノップは、顔に苦笑を浮かべながら、背もたれへと体を預ける。
「正式なパートナーとなった三体については、今のところ問題はありません。フォーワル・ティア・ヘイゼルも以前のような問題行動が嘘のように治り、訓練に励んでいます」
「それは良かったじゃないか。では、やはりエリミア・セル・レイリスの能力が低すぎるのか」
キャノップは、第一八班でも抜きんでて身体能力の低かったバイオロイドの名前を口にした。経営者の立場でも、所属するバイオロイドと人間の情報には精通しておかなければならない。それがキャノップの矜持である。
「いえ、レイリスは確かに運動能力等に難はあります。しかし、それまで報告されていなかった能力が見つかりました。極めて高い耐久性を有しており、また稼働時間は通常のバイオロイドの三倍ほどあります。これは共同訓練をさせてみて初めて分かったことです」
「ほう。確かエンゲージが要望したのだったな。それを見抜いてたということか」
「そう、かもしれません」
ファランヴェールの話には、ネガティブな情報は含まれていない。だからこそ、キャノップは一つため息をついた。
「なら問題は、ラウレか」
「はい。訓練の様子は以前と変わりありません。真剣に取り組んでいるという様子は全く見られず、そのことにカルディナ・ロータスが不満を抱いています。余りいい関係を築けているとは言い難く」
そこでファランヴェールが一旦言葉を止める。すぐに何かを言おうとしたが、しかしそれを飲み込んだようだ。
「替えろ、というのだな」
キャノップがそれを言葉にする。ファランヴェールは黙ってうなずいた。
「それはできない。あれを引き受けるのは、イザヨ・クレアのバイオロイドを優先的に融通してもらうための必要条件だ。マーケットに『返品』ともなれば、今後イザヨが設計したバイオロイドを手に入れることができなくなる」
イザヨ・クレアは数々の優秀なバイオロイドを世に送り出しているDNAデザイナーであるが、なぜか時折、『不良品』を生み出す。それは偶然や失敗ではなく、故意なのではないかというのがもっぱらの噂だ。
なぜなら彼女は、そのような『不良品』を引き受ける会社や組織としか、取引をしないことでも有名だからである。
「あれはこの学校に来てもう三年をとうに過ぎている。その調子では、普通にしていては来年の選抜会でもパートナーは見つからないだろう。居場所を作ってやるのは、至上命令だ。それとも、君がラウレと替わるか」
キャノップにそう言われ、ファランヴェールは言い返せなくなってしまった。
「ロータス君に何とかさせろ。それもコンダクターの資質だ」
「分かりました」
「君はどうなんだ、ファランヴェール。フユ・リオンディ君とはうまくやれているのか」
「フユとは……ただ、ヘイゼルには随分と嫌われているようでして」
「まあ、活動に支障がないならそれでいい」
そこまで言ってキャノップは、プレジデント・デスクの上のパネルを操作し始めた。カーテンが自動的に閉まっていき、外が見えなくなる。
「来てくれ」
さらにキャノップが、情報端末にそう言葉をかけると、程なくして白衣姿の男が現れた。手入れのされていないぼさぼさの頭に無精ひげを生やしている。頬はこけているが、眼鏡の奥から鋭い目線をファランヴェールに向けていた。
バイオロイドの研究を行う部署の部長、ゲルテ・ウォーレスだ。
一体何の用なのか。ファランヴェールにはそれが分からず、不思議そうな視線をその男に向ける。
「ファランヴェールにも俺と一緒に聞いてもらおうと思ってな。ウェーレス、報告を」
キャノップがそう言うと、白衣の男が軽く咳払いをした後、気だるそうな声で話し始めた。
「フユ・リオンディを襲ったバイオロイドですが」
突然の内容に、ファランヴェールは驚きを隠せず、えっという小さな声を上げてしまう。しかし白衣の男にそれを気にする様子はない。
あの事件は、すでに管理部による分析が終わっていて、若干の疑問点は残しつつも、その行動から、フユ・リオンディを標的にしたものだったとの結論が出ている。
しかし残る疑問点の中でも最大のもの――ヘイゼルに瓜二つだったバイオロイドが、一体どこで誰の手によって作られたのか、まだわかっていなかった。
「DNA型はほぼほぼフォーワル・ティア・ヘイゼルと一致しました。ただ細部、特にイントロン部分には欠失、逆位、転座といった変異が見られ、また塩基の置換についても……」
ウォーレスの話は、そこから一気に専門性を増していく。すぐさまキャノップがそれを制止した。
「俺は専門家ではない。重要な部分だけでいい、分かりやすく、端的に」
その言葉に、男は一瞬眼鏡に手を当てる。そして軽く目をつむった後、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「あのバイオロイドは、ヘイゼルと同じDNA設計図で作られているようですな。しかし、作り手が違う。随分と荒い培養だ。促進剤でもぶっこんだんでしょう」
声の調子は変わらない。しかし口調が随分と砕けたものになる。きっと、普段からキャノップにもこういう調子なのだろう。
「急いで作ったということか」
「それもありますが、ヘイゼルとは製作者が違うのかもですな。何者かがDNA図を手に入れ、それを元に……その方が可能性は高いんじゃないですかね」
そう言って、ウォーレスは資料を持っていた手を下におろす。その内容に、キャノップが難しい顔を見せた。
「ヘイゼルを作った研究所は、もうすでに閉鎖されていたな」
「ですね」
バイオロイドのDNA設計図は、どの企業、どの研究所にとっても『機密』と言えるものである。ましてや、バイオロイドの『
「待ってください」
と、何かに気付いたように、ファランヴェールが声を上げた。
「どうした」
「同じDNA設計図、といいますが、フユを襲撃したバイオロイドは女性型でした。しかし、ヘイゼルは男性型です」
ファランヴェールの指摘に、キャノップが「ふむ」と声を漏らす。
「ウォーレス、それはどういうことだ」
「さあ、性染色体をもっと詳しく調べなきゃわかりませんが、何らかの原因であのバイオロイドが女性型になってしまったか、あるいは」
「あるいは?」
「元々ヘイゼルは、『女性型』バイオロイドとして設計されてたか、ってことなんじゃあ、ないですかね」
そこまで言って、ゲルテ・ウォーレスはさも面白そうに口の端を上にあげた。
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