23 それは誓いか、それとも呪詛か
※
「来て、ないんですか?」
思わずフユが聞き返す。ファランヴェールが黙ってうなずいた。フユは彼の手を見たが、もう傷は治っているようだ。
理事長室でフユたちが新しい計画――テロ災害専門救助隊を設立する上で、フユたちにその訓練課程を受けさせるという――を聞かされた日から一週間が経っていた。
今日は一学期の終業式、そして選抜会が行われる日である。
選抜会と言っても、もうすでに全ての生徒がパートナーの指名を終えている。万が一、指名が重複している場合は成績順に優先権が与えられるが、そうならないように事前の調整が行われるので、実際のところ選抜会は「承認の場」でしかないが、これをもって「正式なパートナー」と認められる重要な儀式でもあった。
バイオロイドにも拒否権はあるが、それも事前の確認が行われているはずであり、直前での「ドタキャン」など、考えられる事態ではない。
それもあるのだろう。ファランヴェールは、少し焦りに似た表情を浮かべ、フユの目の前に立っている。
ただ、ヘイゼルの姿が見えないことを聞かされても、フユに慌てる様子はない。そのことにファランヴェールは少し怪訝な表情を見せた。
実際のところ、フユにとってこの一週間は当惑の連続だった。
まずフユが襲われた事件。学校からの聞き取り調査は行われたが、フユは学校側から事件について外部に漏らさないよう言われていた。もちろん、他の生徒にもである。
ファランヴェールによって機能を停止されたあのバイオロイドは、学校が回収し、調査しているようだ。後日、訓練場へ行ってみたが、事件の痕跡は跡形もなく消えていた。ファランベールの体液も、ヘイゼルにそっくりなバイオロイドが流した体液も、全て無かったことになっていた。
フユは、黙っている代わりに何か分かれば教えてもらえるという条件で承諾した。どうも学校は、治安警察もしくはバイオロイド管理局を信用していないようだった。
しかしそれ以上に困惑したことがある。試験の日から今日まで、ヘイゼルはフユに一度も会おうとはしなかったのだ。
自室待機が解けた日から毎日、フユはヘイゼルに会いに行った。しかしヘイゼルはずっとメンテナンス室に籠りきりになっていて、訓練場にも姿を見せなかった。
バイオロイドが何を考えているのか、フユにはそれを正確に把握することはできない。しかし、ヘイゼルが今考えているだろうことは、ほぼ正確に推測しているという確信があった。
「どうする」
フユよりも高い場所から、ファランヴェールの目が心配そうにフユを見つめてる。フユは迷うことなく一言、「待ちます」と答えた。
「万が一、ヘイゼルが姿を見せなければ、フユが大恥をかいてしまう。もしよければ、私が」
指名を受けるバイオロイドになってもいい――ファランヴェールが飲み込んだ言葉が、フユには聞こえたような気がした。
確かに、ファランヴェールは今後、「フユ付き」のバイオロイドになる。しかしそれは、クールーンに付くレイリス、そしてカルディナに付くラウレと同様、「仮の」関係でしかない。
そもそも、ファランヴェールは理事長付きで、かつコンダクターを持たない特殊なエイダーだと皆に認識されている。にもかかわらず、彼は「フユを自らの正式なコンダクターとして認めてもいい」と言い出したのだ。
これはフユも少し驚いた。ファランヴェールの意図が分からなかったのだ。ただ、ファランヴェールの暗赤色の瞳は、純粋にフユのことを心配しているように見える。
「彼は来ます」
そんな彼に向け、フユはそうとだけ答え、笑ってみせた。
結局、ヘイゼルが姿を見せないまま、式は始まった。
大講堂に生徒と、指名されたバイオロイドが左右に分かれて並び座っているが、ヘイゼルが座るはずの椅子は空席のままである。当然、生徒たちはそのことに気付くこととなり、大講堂にはちょっとしたざわめきが様々な場所で起こっていた。
「静かに」
式の進行役の教官が、生徒たちを睨むようにたしなめる。
まずは二年生の選抜会が始まった。主席から順に、生徒とバイオロイドの名前が呼ばれ、壇上に一人と一体が向き合う。そして互いに宣誓を行い、晴れて正式なパートナーとして認められることとなる。
その光景はどこか、生前、母親に一度だけ聞いたことのある、父親との結婚式の様子をフユに思い起こさせた。もちろん、フユはその場面を見たわけではない。きっと、全然違うのだろうとも思う。
――死が二人を分かつまで……
母親が話してくれた宣誓の言葉を思い出す。しかし二人はその死までも共にしてしまったのだ。
コンダクターとエイダーは、そのような関係ではない。指揮する者とされる者。お互い、共通の目的――要救助者を救助するという使命を共有する関係である。しかし、だからこそ、もっと心の奥底、魂ともいえる部分での繋がり、お互いに命を預け合う関係が必要なのではないだろうか。
フユがその胸に様々な思いを馳せている間に、二年生の選抜会が終わった。次に、カルディナとコフィンが呼ばれる。二人は壇上に上がり、そして宣誓の言葉を述べた。
「フユ・リオンディ。フォーワル・ティア・ヘイゼル」
そして、フユとヘイゼルの名が呼ばれる。フユは一人返事をし、壇上へと向かった。
主席エイダーとして、教官が並び座る場所に同席しているファランヴェールの顔が目に入る。真っ白な長い髪は後ろで結ばれているが、その束から逃れた幾筋かの髪が顔に掛かっている。その下には遠目でもわかるほどに、心配に曇った表情があった。
フユが壇上に立つ。しかし目の前にヘイゼルはいない。大講堂に抑えようもないざわつきと嘲笑が沸き立つ。
と、それを打ち払うほどに大きな音がして、大講堂の大扉が開け放たれた。警備に立つバイオロイドたちの制止の声を振り切り、黒い影が一つ、灰色の長い髪をなびかせ、講堂の中央に作られた通り道に舞うように着地した。そして、つむじ風のようにフユの方へと駆け寄ってくる。
『この子はなぜ、こんなにも優雅に動くのだろう』
なぜ今まで姿を現さなかったのか。どこにいて、そしてどうやって、厳戒な警備下をわざわざ突破し、フユを目指して走ってきているのだろう。
本来はそう思うべきはずの事態だったのかもしれない。しかしフユは、ただただその動きに見とれていた。
時間にすればほんの一瞬だっただろうか。人間とはかけ離れた速さでフユの目の前に来ると、その人物がフユの方へと手を伸ばす。フユはそのまま手を広げ、そしてその軽い体を受け止めようとし、しかしその抱き着く勢いに押され、後ろへと倒れてしまった。
「遅刻だよ、ヘイゼル」
上半身を起こしながら、フユは自分にしがみ付いたままのヘイゼルにそう言葉をかける。
「なぜ」
ヘイゼルが、そのままの態勢でそうつぶやく。
「何が」
「なぜ、ボクを待っていたの、フユ」
「もちろん、ヘイゼルが僕のパートナーだからだよ」
「でも」
「でも?」
「ボクは、もしかしたら、いや、きっといつか」
フユを傷つける――それは予感か、それとも確信か。
あのバイオロイドが自分にそっくりだったのは、何かしら理由があるのだろう。それがDNA設計の仕業であるという結論に行きつくのは容易である。フユを傷つける可能性が自分の中にあることに、ヘイゼルは気づいたのだろう。
それでもヘイゼルはこの場にやってきた。それはフユに恥をかかせないためか、それとも本能に刷り込まれた声によるものなのか。
フユがそっと、ヘイゼルの髪をなでる。
「あの時、襲われた時、一瞬だけ、僕を襲っているのは君なんじゃないかと疑ってしまった。でも、君は君だ。同じ存在は二つとない。あれは、君じゃない。別のバイオロイドだったんだ。それに、僕を守ってくれるんじゃなかったのかい」
ヘイゼルを自分から離し、そしてゆっくりと立ち上がる。
フユを助けようとほとんどの教官が壇上に駆け寄っていたが、しかしその二人の雰囲気にどこか近寄りがたいものを感じ、周りを囲むように息を飲んで見守っていた。
ファランヴェールだけを、席に残して。
「もう二度と、君を疑ったりなんかしない。君が何をしようとも」
周りを様子も気にせず、フユは、涙をいっぱいにためながら自分を見上げるヘイゼルの手を取り、二人の前へと持ち上げた。
「一緒にいてくれるよね、ヘイゼル。死が、二人を分かつまで」
ヘイゼルの目から涙がこぼれる。そしてまたフユに抱き着いたが、その抱擁は、教官の一人が大きな咳ばらいを一つするまで続けられた。
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