20 怖れ、もしくはそれに似た何か


 その日、一年生の試験だけでなく、学校で行われていたすべての授業、そして訓練が中止となった。

 その場待機の指示を受けていた一年生は、その後「自室待機」を命ぜられ、皆、その理由に首をひねり、様々な憶測を口の端に乗せていたが、もちろん真相を知る由もない。

 フィールド内にいた中で、フユとヘイゼル、そしてファランヴェールを除いた者のうち、事件について知り得た者がいるとすれば、それはエンゲージだけだっただろう。

 しかしそのエンゲージも、クールーンにすら何も語ろうとはしなかったし、そのクールーンにしても、そのことについて繰り返しエンゲージに聞こうとはしなかった。


 クールーンはヘイゼルに見つけられた。にもかかわらず、報告もせず、クールーンの許から去っていったのだ。


 今回の出来事には、何かしらヘイゼルと、ならばフユ・リオンディも関係しているのだろうことはクールーンにも見当がついた。しかしクールーンには、何が起こったかということよりも、ヘイゼルに見つけられたということが重くのしかかっていた。


 そう、試験が中止にならなかったとしても、あの段階でどのみちクールーンの試験は終わるはずだったのだ。そうなればクールーンはフユに総合成績でわずかに及ばない。


 結局夜に、試験の続きは行わないこと、そして2セット目までの結果をもって成績とする旨が生徒たちに伝えられた。何人かの生徒が再試験を要求したそうだが、決定は覆らなかった。しかし、クールーンは再試験を要求する者の中には加わらなかった。


 クールーンにとって、特待生の資格はそれほど魅力のあるものではない。ただ、特待生連中の、黙っていても身からしみだしている「エリート意識」をへし折りたいだけなのだ。ケチのつかない決定的な敗北で。


――次、勝てばいいだけのこと。


 学校からの通知を見て、クールーンはただそれだけの感想を胸に抱いた。



 学校付属の病院で、いくつかの検査が行われ、体に異常がないことを確かめられた後、フユは部屋へと戻った。


 もうすでに夜になっていたが、学生食堂の利用も中止になっていて、そのかわり少し豪華なお弁当が全生徒に配られたようだ。


 フユはそれを、病院を出るときに持たされた。部屋までは、学校付きの救助隊に所属している一体のバイオロイドが送ってくれた。そのバイオロイドも、見た目は青年になり切れていない少年のようであったが、ほとんど成長しないバイオロイドにあっては、その見かけでは判断できないほどの手練れなのかもしれない。


 そう考えてみると、フユを襲ったあのバイオロイドは、生まれて――いや、作られてからどれほど経っていたのだろう。


 ヘイゼルとそっくりであったが、ヘイゼルと違って、女性型のバイオロイドであった。あのバイオロイドを作った人物は、ヘイゼルの産み手と同じ人物なのだろうか。


 バイオロイドのDNAが人間の手によって『設計』されると言っても、一から作るわけではない。バイオロイドの基本のDNA型があり、そこに自ら作った遺伝子を組み込むのだ。


「でも、それによって容姿も変わるんだから」


 ダイニングで一人お弁当を食べながら、フユは独り言を漏らした。


 試験の後、ヘイゼルだけでなく、救助隊所属の者以外のすべてのバイオロイドが強制的なメンテナンスに入った。今もその最中だろう。ファランヴェールも怪我の治療がてらメンテナンスを行っているはずだ。


 もしかしたら学校は、ヘイゼルを検査するために、カモフラージュとしてそうしたのかもしれない。


 ふと、そんな考えがフユの頭に浮かぶ。それと同時に、あのバイオロイドに襲われたときのことを思い出した。


「僕は、ヘイゼルを疑ってしまった」


 駆け付けたヘイゼルも、あのバイオロイドを見て驚いていた。『顔見知り』というよりも、『存在するはずのないもの』を見たような様子だったのだ。


「僕には、ヘイゼルのコンダクターになる資格があるんだろうか」


 さらに、別の光景が頭に浮かんだ。ファランヴェールが、ヘイゼルと同じ顔を持つバイオロイドに、何の躊躇もなくナイフを突き立てたシーン。

 ファランヴェールは、そのバイオロイドが機能を停止するまで……動かなくなるまで、そのナイフに力を込めたまま抜こうとはしなかった。


 まるで、ファランヴェールがヘイゼルにそうしたような感覚。それがフユの胸の中に蘇る。


 ナイフを抜いた時、ファランヴェールは一瞬フユを見た。その表情は、どこか、見せてはいけないものを子供に――いや、弟だろうか――見せてしまった、そんな表情だった。


 もし、ヘイゼルが何かをしてしまった時にも、きっとファランヴェールは……


 フユが慌てて軽く頭を振る。

 気は晴れない。せっかくのお弁当だったが、フユはその半分ほどを残し、食事を終えた。


 明日は、事情聴取を行うと言われていたが、フユに話せることはそう多くない。試験が終わった一週間後には、一学期の修了式が行われる予定だった。

 そこで総合成績の発表と、『選抜会』がある。コンダクター候補生であるフユたちが、正式にそのパートナーとなるバイオロイドを指名するのだ。


「ヘイゼル……」


 そうつぶやき、フユは自分の体を抱くように、体に腕を回した。

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