10 反転

※ ※


 試験の一セット目が始まって、二十分以上が過ぎていた。すでに五名が発見され、残りは七名。しかしその中にはまだカルディナもクールーンもいる。


「このセット、このままの差でいけば」


 ヘイゼルが三、エンゲージはまだゼロである。フユは頭の中でクールーンとの点差を計算しながら、ぽそっと独り言をつぶやいた。


 残り二セットでの逆転は難しくなるはずだ。ヘイゼルからの報告によると、エンゲージはかなり活発に動き回っている。にもかかわらず、今だ誰も発見できないでいた。


(僕だけを探してるんだ)


 フユにしてみれば、エンゲージのその行動は「ありがたい」の一言に尽きた。


 試験が始まる前、フユはカルディナを除くクラスのほぼ全員がフユに敵意を抱いているのを感じていた。しかしヘイゼルにはその方が好都合だったようだ。


 声が、聞こえる。ヘイゼルはそう言っていた。フユへの敵意が聞こえるのだそうだ。


 バイオロイドたちは、生物の発する様々な電磁波を、その特徴的なもう一つの『耳』で捉える。音波ではなく、電磁波。例えば、脳波や心臓のパルスなどはその例である。

 ただ、それは内容のない「雑音」のようなものにしか聞こえないはずである。少なくとも、フユが学習した内容にはそうあった。


 バイオロイドは人間の思考が読める……そのような噂はしばしば耳にする。その間違った認識はバイオロイドに対する恐怖を人間に抱かせてしまうため、バイオロイド管理局が中心となって、バイオロイドの安全性は盛んに喧伝されていた。


 しかし今、ヘイゼルははっきりとその敵意を内容として聞いている。それを誰が何処から発したのかも、ある程度の距離ならば分かるらしい。そのことに驚きをもってはいるが、フユはヘイゼルの言うことを一切疑わなかった。


 やはり、ヘイゼルには何か特殊な能力があるようだ。それを利用しての捜索。対象がフユにとって脅威であればあるほど、ヘイゼルに捕捉される。

 ただ、このことは秘密にしていた方がよさそうだった。


 前回の訓練といい、このセットといい、ヘイゼルの報告に従い移動し、フユに向かってくるバイオロイドたちを避け続けている。


 いける。


 フユがそう思ったその時、ヘイゼルが発した圧縮暗号がインカムから聞こえた。


『エンゲージをC3でロスト』


 最初の頃と比べ、フユとヘイゼルの間で交わされる圧縮暗号は、複雑な内容にも対応できるようになっている。

 しかしその喜びよりも、その内容への戸惑いがフユを支配した。


(ロスト……エンゲージは僕を探すのをやめたのかな)


 焦る必要はない。アドバンテージは自分にある。

 フユは自分にそう言い聞かせた。


 現状、唯一の問題があるとすれば、ヘイゼルの位置だった。以前のように、フユのところへとまっすぐ戻ってくることはなくなったが、常にフユのいる場所の隣の区画にいて、フユから一定の距離を保った状態でしか動かないのだ。


 結果、フユが動かなければ、ヘイゼルも大きくは動かない。誰かを発見したとしても、ヘイゼルはフユの近くにいることを優先させている。結果、フユがその近くまで移動する必要があった。


 しかし、それはさほど問題ではない。問題があるとすれば……


(ヘイゼルの行動意図がばれた時、かな)


 ヘイゼルがフユから一定の距離にいるということを悟られてしまえば、フユを探すことは容易になってしまう。

 もちろん、そのためにはヘイゼルの位置を把握する必要があるのだが……


(エンゲージなら、できる)


 今は、そうならないことを祈るしかない。


『08特定、D301……』


 またヘイゼルからの通信が聞こえた。生徒の一人の位置を『特定』したようだが、生徒番号08はシュミットという生徒であり、クールーンでもカルディナでもない。フユは少し残念に思った。


 D3エリアだと、フユの場所からは二区画離れているため、ヘイゼルをそこへと導くには少し移動しなければならない。リスクとメリットを天秤にかける。


「いっそのこと、ヘイゼルと一緒に動いた方が効率いいのかな」


 そんなことを考えながら、フユは身を隠していた木の陰から山肌を縫うように移動を始めた。このポイントを取れば、さらに有利になる。リスクを冒すことにしたのだ。


 下草と木々の生い茂る道無き道。時折、体に触れた枝がガサガサと音を立てる。走りたくなる衝動を必死に抑え、フユは可能な限り木の影を縫うように移動した。


 と、無機質な電子音がした。誰かが発見されたことを知らせる音。フユが慌ててゴーグルで情報を確認する。


 それは、エンゲージがD3エリアで生徒08――シュミットを発見したことを知らせるものだった。

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