5 リュックの中の手掛かり
※
「やっぱり、バイオロイドを避けるように動いてる」
寝室で情報端末のモニターを眺めながら、フユがつぶやくようにそう言った。
モニターには、フユが初めて参加した時の共同訓練のデータが映し出されている。時間の経過によるバイオロイドと生徒の動き、その中でクールーン・ウェイは周辺のバイオロイドから距離を置くようなルートで移動し続けていた。
「まるで、他のバイオロイドの動きが目に見えているようだけど、そんなことって……って、ヘイゼル、ちゃんと見てよ」
さっきまでフユの横で一緒にモニターを見ていたはずのヘイゼルが、いつのまにかベッドにうつ伏せになっている。
「つまんない」
スクールウェアの背中で扇状に広がった灰色の長い髪。その光沢がとても美しく見え、フユは少しドキッとした。
「あのね、ヘイゼル。これは明日の」
「ねえ、シャワー浴びようよ。一緒に」
ヘイゼルが突然体を起こし、ベッドから起き上がる。そしてスクールウェアを脱ぎ始める。フユは慌ててそれを押しとどめた。
「まだ明日の作戦を考えてないよ。って、なぜ一緒に?」
「人間って、背中の流しっことかするんでしょ。ボクもしてみたい」
「ダメ。明日の作戦を考えるのが先だよ」
「考えた後ならいいの?」
そう言って黒い瞳を輝かせるヘイゼルの様子に、フユは思わず頭に手を当てた。
「ほら、見て。クールーン・ウェイがこんな動きを見せたのは初日だけ。後の訓練では普通の動きをしてる」
フユがモニターを指し示す。ヘイゼルはそれがフユの『YES』だと勝手に理解し、生き生きとした表情で再びモニターの前に座った。
「ウェイにはバイオロイドの動きが分かるんじゃないの?」
「まさか。そんな装備、ないよ」
「じゃあ、エンゲージが知らせてるんだよ。解決、解決」
顔の横で手を合わせ、ヘイゼルがにっこりと笑う。
「バイオロイド同士って、お互いどこにいるか、こんなに正確にわかるものなのかい」
「ううん、分からない」
その返事に、フユは「はぁ」とため息をついた。
「適当なこと言わないの。全然、解決になってないし」
「でも、他に何か可能性ある?」
しかしヘイゼルにそう訊き返されると、フユは「んー」という唸り声をあげ、首を横に傾けたまま固まった。
「ヘイゼルは、他のバイオロイドの動きとか分かるのかい」
「分からないけど……でも、分かるときもある」
「分かるの? どういう時?」
「フユに何か悪さしようって思ってるとき。バイオロイドだけじゃなく、人間も」
ヘイゼルがフユの耳を引っ張る。自分の方へと顔を向けさせたいらしい。フユはその力に逆らうことなく、ヘイゼルの方へと顔を向けた。
「どうやって分かるの?」
ヘイゼルが口元に指を当て、目だけを天井に向ける。
「んー、声が聞こえる」
「どんな?」
「見つけてやろうとか、つかまえてやろうとか、あと」
そこで言葉を切り、ヘイゼルは再びフユの方へと目線を向けた。
「殺してやる、とか」
その瞬間、フユは息を飲んだ。
「地下街でも?」
「聞こえた」
「シャンティ・ホテルでは?」
ヘイゼルの行動の何か手掛かりが……フユはそう思ったのだが、ヘイゼルから返ってきたのは、これまで通りの、何の手掛かりもない言葉だった。
「それは、覚えてない」
「そっか」
不思議なことに、ヘイゼルの記憶はフユに触れた瞬間からしかないらしい。前の学校のことも、あの事件までのクエンレンでのことも、ヘイゼルの記憶には存在しない。
それは記録にしか存在しない過去である。そういう意味では、ヘイゼルの誕生に関する情報は製作者の名前以外、記録にすら残っていないため、存在すらしない出来事のようである。
フユがヘイゼルを見つめる。その視線が心地良いのか、ヘイゼルは上機嫌で席を立つとデスクとベッドの間の狭い空間で、優雅にくるりと回り、そのまま体を後ろへ倒すと、ブリッジから倒立へと移行する。しかしそこで、動きを止めた。
「ねえ、フユ。あのリュック、いつまで置いておくの?」
そう言ったヘイゼルの視線の先、部屋の壁際には、フユが実家に戻った時に荷物を入れて持ってきたリュックが置いてある。事件以降、何かとせわしない日が続いたので、フユがそのまま置いておいたのだ。
「ああ、そういえば、片づけないと」
「何が入ってるの?」
「別に。大したものは」
フユはそう言ったが、ヘイゼルはその中身に興味を持ったようである。倒立をやめ、リュックを手に取ると、中身を探り始めた。ヘイゼルにはあまり興味のないものばかりだったようだが、写真立てだけはそうではなかったようだ。
ヘイゼルが突然黙り込む。そして、フユの子供の時の家族写真を食い入るように見つめた。
「どうしたの、ヘイゼル」
「この人、見たことがある」
写真を指さすヘイゼル。フユは慌ててヘイゼルの傍へと寄った。ヘイゼルの指の先には、フユの父親、アキト・リオンディがいる。
「どこで。どこで見たの、ヘイゼル」
「わ、分からない」
「いつ」
「お、覚えてないよ」
雰囲気の変わったフユの様子に、ヘイゼルが少し圧倒される。
「思い出して」
ヘイゼルの肩を持ち、フユが真剣な目で見つめる。ヘイゼルは再び写真に目を落とし、しばらくの間それを見つめていたが、やがて軽く首を振る。
「思い出せない」
「じゃあ、ピーアイ、もしくは、パーソナルインプリンティングという言葉を聞いたことは?」
フユの指に力が入る。しかしヘイゼルは「ごめんなさい」と言って、写真を持つ手を下ろしてしまった。
「いや、いいんだ。ありがとう、ヘイゼル」
フユがヘイゼルから手を放す。しかしフユにがっかりした様子はなかった。
ヘイゼルの中に、フユの父親であるアキト・リオンディがいる。記録にはなくても記憶の中に。
それは、父親とヘイゼルのつながりにおいて、父親の最期の言葉だけが唯一の手掛かりではなくなった瞬間だった。
(パーソナル・インプリンティング……)
カーミットと名乗ったバイオロイド管理局員の口から出た単語。個人的刷り込み。単語の意味だけならそうだろう。
しかしそれは父親とヘイゼルをつなぐ鍵であるという予感が、フユの中で生まれた。
「さあ、ヘイゼル。明日に備えて寝ようか」
ふと見上げた時計は、もうずいぶんと遅い時間を指し示している。
「じゃあ、シャワー!」
ヘイゼルの瞳に光が戻った。
「仕方ないなぁ」
フユはそういいながら、ヘイゼルと一緒にバスルームへと入る。ヘイゼルの背中の傷跡は、メンテナンスの効果なのだろう、もう跡形もなく綺麗に消えていた。
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