第三章

試験

1 忍び寄る影

 赤色矮星ロスの光は、夕暮れにもなるとさらにその赤さを増し、空の半分を茜色に染めている。それがグラデーションを作り、天頂から反対側に移っていくに従って紺色から藍色へと変化する。その紺色を彩るように、この日はエメラルドグリーンのオーロラが揺らめいていた。


 山影の中はもうすでに目視が難しいほどに暗い。フユ・リオンディはゴーグルを暗視モードに変え、木々が切れた場所から視野の中の僅かな異変を見逃さないように息を殺していた。


 試験前の最後の捜索訓練、フィールドの中にはフユを含めて後三組残っている。


『プラ113・サーベナ・アプローチング』


 突然、フユのインカムにヘイゼルからの通信が入った。右手の方向からバイオロイドのサーベナがフユの方に向かっているらしい。

 フユは、その方向に遮蔽物が来るような場所へと身を伏せる。そして息を殺しながら、遠ざかるように山肌を回っていった。


『マイ165・サーベナ・アウェイ』


 再びヘイゼルからの通信が入る。どうやらフユはサーベナをうまくやり過ごしたようだ。少し速度を速め、山を下りる。


 二度目のテロ事件以降、この日で二度目の共同訓練だった。多少フユの言うことを聞くようになったものの、ヘイゼルは相変わらずフユからあまり離れたがらないでいる。

 そこで今日フユは、ヘイゼルにフユの近くを巡回させることにしたのだ。フユとヘイゼルの間で交わされる圧縮暗号がここ数日で飛躍的に情報量を増やしたこともあり、フユに近づくバイオロイドを発見した場合、フユに報告させるようにした。

 そして、それらを避けながらフユが移動することで、ヘイゼルの位置も移動させる。そうやってヘイゼルに他の生徒の捜索をさせていた。


 この作戦は当たったように見える。今日行われた三回の捜索訓練の内、一回目、二回目とも、ヘイゼルの発見数が全体のトップだった。そしてこの三回目も、フユはまだ発見されておらず、一方ヘイゼルは既に四人の生徒を発見している。その中には、カルディナとクールーンも含まれていた。


 しかし、この作戦には問題が多そうだった。

 まず第一に極めて効率が悪い。山地も軽々走破してしまうバイオロイドを、わざわざフユの移動速度、しかも隠れながらの移動に合わせているのがその原因だ。


(スピード勝負を仕掛けられたら、太刀打ちできないな)


 そう思うと同時に、もう一つフユには気がかりな点があった。

 カルディナのコフィン、そしてクールーンのエンゲージ、共に今日の訓練は余り結果が出ていない。三セットの捜索訓練全てで、二人とも発見数が〇か一で終わっているのだ。


(何かあったのか……それとも、本気を出してないか)


 今日の訓練にしても成績には入らない。手の内を見せる必要は無いのだ。実技試験に向けての準備が既にできているのであれば、お互いの通信の制度を確認するくらいが、今日の目的だともいえる。


 一方、フユとヘイゼルは今日、手の内を見せてしまっている。今日上手くいったからと言って、試験当日も上手くいくという保証はないだろう。皆、試験に向けて訓練結果を研究してくるのだ。

 しかし、今のフユにはこの作戦の他に手がなさそうに思えた。


(ここで止めておこうか)


 三回目のセットも、もう開始から五〇分を過ぎている。残り一〇分。これ以上、他の生徒に情報を与える必要は無さそうだ。


「リターン」


 フユがインカムのマイクに向けて、そう命令する。


『コピー』


 インカムから聞こえたヘイゼルの声は肉声ではなく、ヘイゼルの耳から発せられた電磁波をインカムが合成音声に変換したものである。

 にもかかわらず、フユはそれがどこか嬉し気なものに聞こえた。


(全く、お気軽なものだよ)


 明日の休日を挟んで、明後日からはまず学科試験が始まる。実技試験はその後だ。


 ヘイゼルは本来、『脱走』の罪で懲罰房に入らなければならなかったが、フユを守ったということが評価され、期間が一週間に短縮、しかも共同訓練終了の後からという『特別な計らい』がなされていた。


 その期間中は学科試験と重なるが、どのみち学科試験中はどの生徒もバイオロイドとの接触が禁止されている。試験中にヘイゼルがフユのコンドミニアムに乱入してくる心配をしなくていい分、フユも安心して勉強できそうだった。


「ただいま、フユ」


 岩陰で今後のことを考えていたフユに、突如現れたヘイゼルが抱き着き、声を掛ける。

 こういうことにも、フユは少しずつ慣れてきたようだ。驚くこともなく「おかえり」と返事をすると、ヘイゼルはそのままフユの傍にちょこんと座った。

 フユは特別、ヘイゼルに自分の居場所の座標を教えているわけではない。しかしヘイゼルは相変わらず、帰還命令を出すと最速・最短距離でフユの許へと戻ってくる。


「ボクを呼ぶフユの声が聞こえるから、かな」


 なぜ自分の居場所が分かるのかをヘイゼルに聞いても、相変わらずそう答えるだけである。


(そのうち、疑問に思わなくなるのだろうか……)


 気になる心を一旦奥にしまい、フユはタイムアップまで、ヘイゼルと圧縮暗号の確認をした。



 訓練を終え、ヘイゼルと一緒に訓練棟へと戻る。その入口で、ファランヴェールが声を掛けてきた。


「今日は調子が良かったようだね」


 穏やかな微笑みを見せている。そういえばファランヴェールとは事件以降、ろくに会う機会がなかった。フユはそれを思い出し、改めて礼を述べる。


「先日はありがとうございました。ファランヴェールがいなければ、退学にもなりかねないところでした」


 もちろん、フユは『無断宿泊』の件を言ったのだが、ファランヴェールは素知らぬそぶりを見せる。


「さて、何のことだか、私には判らないな」


 そうは言うものの、『何のこと』なのかを尋ねようとはしない。フユは心の中で微笑んだが、フユの横で噛みつかんばかりにファランヴェールを睨んでいるヘイゼルをなだめる必要があったため、それ以上の話はできなかった。


「それより、フユ。後片付けが終わったら、理事長室に来てくれないか」

「理事長室、ですか。やはり何かペナルティが」


 フユの表情が少し曇る。それを見て、ファランヴェールは顔の前で軽く手を振った。


「いや、そうじゃない。君の話が聴きたいという人たちがいてね」

「僕の、ですか」

「ああ」


 ファランヴェールの表情が、少し険しくなる。


「バイオロイド管理局の連中だ」


 ファランヴェールの言葉に、フユはヘイゼルと顔を見合わせた。


 

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