38 オーロラの誓い

 フユの言葉が波となり、ヘイゼルの耳――バイオロイド特有の、二つに分かれた耳に届く。その音はヘイゼルの鼓膜を震わせたはずなのに、しかし反応がない。フユとは別の理由で、ヘイゼルの心も今、恐怖に打ち震えているのだ。


 お互いのお互いに対する恐怖で、二人の間に漂う湿気を帯びた空気すら凍ってしまっていた。


 求めるがゆえ、相手が離れていく。

 求めても、相手を離してしまう。


 フユが、ヘイゼルから視線を外した。


「ごめん、ヘイゼル。僕、ヘイゼルにひどいことした。ヘイゼルは僕を助けてくれたって言うのに」


 二人ともが、自分の震える左腕を、自分の右手でぎゅっと押さえる。


「そんな言葉、欲しくない」


 ヘイゼルの声は、少しかすれていた。


「助けて、くれて……ありが、とう」


 フユの声が途切れ途切れになる。


「お礼も、いらない」


 自分の膝に額をつけ、ヘイゼルは首を横に振った。


「じゃあ」


 何が、欲しいの?

 フユがその言葉を飲み込む。


「ボクを、嫌わないで。ずっと……ずっと、フユの傍にいたい」


 しかしフユの心の声を聴いたかのように、ヘイゼルは顔を上げ、そう答えた。そして両手を床につき、四つん這いになってフユの方へとにじり寄る。


「なぜ」


 フユが一歩、左足を後ろへとひいた。


「キミを救うためだけに、ボクはいるんだから」


 ヘイゼルがずっとフユに伝えたかった事。

 しかしそれを聞いてもなお、フユは右足を一歩後ろへとひいた。ヘイゼルに対して怯えた表情を見せ続けている。


「フユ」


 懇願と絶望がないまぜになった声で、ヘイゼルがそう呼び掛けた。

 フユが、震える体をまた自分の両腕で抱きしめる。


「ヘイゼル……怖いんだ。バイオロイドが、どうしようもなく怖いんだ」


 震えが止まらず、フユはその場に膝をついた。体を丸め、身を固くするが、それでも震えは止まらない。


「ボクは、怖くなんか無いよ」


 ヘイゼルがフユの方へと少し近づく。


「ヘイゼル、こっちに来ないで。あのバイオロイドの姿が、僕の頭の中から消えないんだ。君と、重ねてしまう。お願いだよ」


 そう言うとフユは、何かを我慢するように更に体を丸くした。


「ほら、ボクは何も持ってないよ」


 ヘイゼルが、急いで着ていたフードマントを脱ぎ捨てる。しかしフユは、体を丸めたままで、顔を上げようとはしない。


「じゃ、じゃあ、これでどう」


 ヘイゼルは、着ていたトレーニングウェアの上を脱ぎ、横へと置いた。しかしそれでもフユは動かない。ヘイゼルにも、フユがかたかたと体を震わせているのが分かる。

 ヘイゼルはウェアの下までも脱いでしまい、そしてゆっくり立ち上がると、両手を広げた。


「ほら、見て、フユ。ボクの、ありのままの、姿を」


 オーロラの放つ淡い光が、ヘイゼルの陶器のように白く透き通った肌を仄かに浮きだたせる。

 細い腕と足、そして抱きしめれば折れてしまいそうな胸と腰。バイオロイドが持つパワーからは想像もつかないほどの痩身が、フユの目前に曝される。


「ねえ、フユ。ボクを、見て」


 なおも顔を伏せているフユに、ヘイゼルはもう一度そう呼び掛けた。

 フユが、ゆっくりと顔を上げ、涙にぬれた目で、ヘイゼルの裸体を見上げる。そして眩しそうに目を細めた。


「何も、持ってないよ」


 ヘイゼルがゆっくりとフユに近づく。フユはヘイゼルの体を見つめたままだ。ヘイゼルは一歩、さらに一歩、フユへと近づいた。

 手が届きそうになる距離まで来ると、ヘイゼルはゆっくりとしゃがみ、そしてフユの顔を覗き込む。

 白い手をフユへと伸ばし、そして頬に触れた。


「身体に悪いから、家の中に入ろ、ね、フユ」


 少し冷たいヘイゼルの手の感触が、フユに伝わる。その手に、フユの手が重なった。


「ヘイゼル……ああ、ヘイゼル」


 フユの目から零れ落ちた涙が、ヘイゼルの、そしてフユの手を濡らしていく。


「なに、フユ」


 ヘイゼルが、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「ずっと……ずっと、僕の傍にいて」


 フユがヘイゼルの首に腕を回し、そして強く抱き寄せる。

 ヘイゼルも強く抱きしめ返し、そしてフユの耳に唇を寄せ、囁いた。


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