8 スムージィ

 振り上げた拳の行き先が無くなってしまい、フユは少なからぬ不快感を抱えたまま席へと戻った。

 横を見ると、カルディナはまた机に伏して寝ている。フユが一言、「ありがとう」と声を掛けると、カルディナはその態勢のまま、左手だけを軽く上げてフユに応じた。


 教室のざわつきは、いかにも気弱そうな黒いマッシュルームヘアの生徒が、背の低い体をさらに縮めながら教室に入ってきたときに最高潮に達する。が、その後すぐに始業のベルが鳴り教師が教室に入ってくることで、突如終わりを告げた。


 その生徒の名前がクールーン・ウェイであること、そして『エンゲージ』というのが、性能テストで学内トップだったバイオロイド、イザヨ・クエル・エンゲージであることをフユが知ったのは、午前中の授業が終わった後、食堂にいた時だった。


 フユは授業終了後すぐに学生食堂に向かった。すると、まるでフユの後を追うようにカルディナがフユに相席を申し入れてきたのだ。そして頼みもしないのに、カルディナはフユに朝の教室で起こった事の理由を話してくれた。


 特待生は学費免除だけでなく、様々な場面で優遇されている。その分、成績だけでなく生活態度でも模範となるよう努めなくてはならない。例えば、特待生が問題を起こせば特待生資格が剥奪されることもあるのだ。

 そして、もし特待生枠に空きがある場合、一般入学の生徒でも成績如何では在学中でも特待生になれる可能性がある。

 結果、特待生はどの学年でも同級生から目の敵にされている。成績で勝つのが難しい場合、わざと特待生を怒らせて、問題を起こさせようとする者も少なからずいるのだ。

 一年生では、ヘイトの対象はカルディナとフユであり、特にいかにも訳ありでかつ見た目に脅威が感じられないフユは格好の餌食になりそうである。


 カルディナはそれらのことを、フィッシュ・バーガーを片手に持ちながら、手短に説明していった。


「なるほど」


 フユは、話の内容をすぐに飲み込んだ。そして、透明なグラスに入った緑色のドロドロとした液体をストローで吸い上げる。ネオアース産の様々な野菜を使ったスムージィであったが、カルディナは『ちょっとアレなもの』を見るような目でそれを見つめていた。


「お前、よく飲めるな、そんなゲテドリ」

「げてどりって何?」

「ゲテモノドリンクだよ。これだから、お坊ちゃんは」


 フユは、なぜ目の前の金髪の少年が自分に絡んでくるのか不思議に思った。ついでに言えば、なぜ彼がこんなにも美味しいスムージーをまるで汚物を見るような目で見るのかも不思議だった。折角の綺麗な青い瞳が台無しである。

 

「スムージーはゲテモノではないし、僕はお坊ちゃんではないよ」


 そう言うとフユは、またスムージーを吸い上げた。それを見て、カルディナの顔がまたひきつる。


「うげ」


 カルディナは、スムージーと視線を合わさないように顔を逸らすと、手に持っていたフィッシュバーガーを一齧りした。しかし、口は意外と小さいようだ。

 鼻筋が通っていて、眉は凛々しく流れている。それが、眠たげな目と余りにもギャップがありすぎて、フユは彼に対する警戒感を持てないでいた。


「でも、なぜそんなこと教えてくれるんだい。どちらかと言えば、特待生同士はライバルだと思うんだけど」


 フユは、最後の一口を飲み干すと、カルディナに問いかけた。フユの昼食は、そのスムージー一杯だけである。 


「お前が特待生で無くなったら、また俺が集中砲火を浴びるからさ。ここまで耐えるのにどれほど苦労したか。もう二度とごめんだね」


 入学からこれまでの間、カルディナがクラスメイトからどんな行為を受けてきたのだろうか。フユには想像できなかったが、朝にフユに向けてこれ見よがしに吐き出された言葉から考えるに、確かに我慢するには相当の忍耐が必要だったようだ。


「ごめんね」


 フユは、バーガーを食べ続けるカルディナの横顔に向けて、少ししょげた様子で謝罪の言葉を口にした。カルディナが視線だけをフユに向ける。


「別にお前のせいじゃないんだろ。謝ってもらうために言ったんじゃない。でも、まあ、今後はクールーンが避雷針になるだろうから、しばらくは安寧な暮らしができるかもな」


 カルディナによると、クールーンがエンゲージというバイオロイドと共同訓練をすることで、まさに学校中のヘイトがクールーンに向くという。


「彼は特待生ではないよ」

「人間ってのはな、立場が同じはずの他人が成功することに、より強い嫉妬を感じるんだよ」


 カルディナが、軽蔑にも似た笑みを顔に浮かべる。

 なら、僕が成功したら君は嫉妬するのかな――とは訊かずに、フユはカルディナの言葉に軽くうなずいた。

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