第二章
訓練
1 来訪者
学生用コンドミニアムの屋上テラスから、山間の向こうに遠くの町の光が見えている。赤色矮星ロスはもう沈んでしまっていて、残り火のような茜色が紺色の空の下に伸びる地平線に紅をさしていた。
クエンレン教導学校は全寮制の男子校であり、生徒一人一人に、地上一室、地下一室の二階建てコンドミニアムが与えられている。それらは等間隔で並んでいるのだが、プライバシー保護の為なのか、隣の屋上テラスからはこちらが見えないように、目隠し用の衝立が立てられていた。
トレーニング施設を出た後、フユはファランヴェールと別れ、しばらくの家となるこのコンドミニアムに戻ってきた。朝のうちに運び入れておいた荷物の整理が一段落したので、気晴らしと休憩のため、フユは屋上テラスに上がり、今そこから外を眺めている。
周囲には山しかない。だからだろうか、学校から二〇キロ程しか離れていないはずの町の光も、どこか別世界のもののように思えた。
テラスに置いたデッキチェアに座ると、フユはゴーグル型の情報端末を顔にはめる。指を動かすと、その動きを感知したゴーグルが、学校のサーバーへとアクセスし、バイオロイドたちのデータをフユの網膜へと映し出した。
ヘイゼルがこの学校に来たのは、去年の秋ごろのようだ。ファランヴェールが話してくれた通り、「その前には別の学校にいたが、マーケットに『返品』されたのをクエンレン教導学校が貰い受けた」とあった。
引き受けたバイオロイドを『返品』するのは、よほどのことだろう。どんなバイオロイドであれ、コンダクター養成学校としては一体でも多く確保しておきたいはずである。
「にもかかわず、か」
ヘイゼルの場合、前にいた学校でも、そしてこのクエンレン教導学校でも、ことごとく共同訓練を断っているという。確かにそれでは、いつまでたってもエイダーとして現場に出ることはおろか、エイダーになることすらできない。バイオロイドに必要なエネルギーとメンテナンス費用だけが学校の負担としてのしかかってくるのだ。
それにしても、半年で見切りをつけられたとは。
「『脱走癖』のせいなんだろうな」
バイオロイドは人間よりもはるかに高い身体能力を有している。だからこそ、この星にいるバイオロイドは全て、厳格な管理体制下に置かれていた。万が一にも、人間に対して反乱など起こさないようにということであり、その遺伝子には『人間への絶対服従』という『掟』が刻み込まれている。
「でもヘイゼルは、学校を脱走し、あのホテルに来て、僕を助けた」
爆破事件は、ヘイゼルがこの学校に来てからそれほど時間がたっていない去年の冬に起こっている。よくよく考えてみれば、ヘイゼルがフユを助けたことは、それを偶然とするには余りにも不可解すぎるのだ。
「まるで、あのホテルで爆破事件が起こることを予め知っていたみたいだ」
そこでふと思う。そもそも、あのホテルに父親が招待されたのはなぜなのだろう。フユは、それがどんなパーティなのか教えられも考えもせずに、母親ともども父親に連れられて行ったのだ。ニュースを調べたこともあるが、「政府主催のレセプションパーティが行われていたシャンティンホテルが『バイオロイド解放戦線』と名乗るテロ組織によって爆破され、多数の死傷者が出た」とあるだけだった。
「テロ……か」
怒り、悲しみ、それらを感じないのは、まだフユの中で父親と母親の死を受け入れられないからだった。両親の遺体はもはや原形をとどめていなかったらしく、フユの意識が回復する前に荼毘に付されたらしい。
だからだろう。二人はいまもどこかで生きているという感覚が、フユの中から抜けないでいる。
ゴーグル型端末の電源を切ると、レンズ越しに星の瞬きが見えた。ゴーグルを外し、デッキチェアから身を起こすと、フユはテラスを囲む落下防止用の柵に両腕を載せ、外を眺めた。
と、暗闇の中に人影が動くのを見たような気がした。柵から少し身を乗り出し、その影を探してみる。しかし、フユの眼下には山々が作る森林があるだけだ。生徒用のコンドミニアムは高台に並ぶように建っていて、その裏手の山々には人が通るような道など無い。
「そういや、この辺ってどんな動物がいるんだろう」
きっと動物だったのだろうと思い、またデッキチェアへと戻る。そこでふと、風の音を聞いたような気がして、フユは後ろを振り返った。
視線の先に、漆黒の影が飛び上がる。そして長い髪をなびかせ、柵の上へと舞うように着地した。風が立ち、薄手の黒いドレスの裾がはためいている。
女の子がなぜこんなところに――シルエットだけを見れば、誰もがそう思うだろう。しかし、フユは違った。
自分の目を捕らえて離さないその優雅な動き、そして細く儚くも華麗な姿。フユの口からその者の名前が紡がれた。
「ヘイゼル」
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