5 魂の呪縛①
クエンレン教導学校の理事長室は、壁や家具が木を感じる茶色で統一されている。重厚さは感じても豪華さは感じないように考えられているようだ。
壁際のプレジデントデスクでは、グレーのスーツに身を包んだ男が情報端末に目を落としていた。筋肉質のがっしりとした体型ではあるが、髪には白いものが混じっていて、顔には経験してきた数々の苦労が皺となって刻まれている。
男が顔を上げた。視線の先に、ムーンストーンのマントコートと黒いパンツ姿のバイオロイド――ファランヴェールが立っている。
「意外だな。直ぐにでも、ヘイゼルの担当になろうとするかと思ったのだが」
「今日からの登校ですから、いきなりで戸惑ったのでしょう」
「本当にそう思うのか、ファランヴェール」
「キャノップこそ、どう思いますか」
そう訊き返されると、その男――クエンレン教導学校の理事長、キャノップ・ムシカは、椅子から立ち上がり、大きな窓へと近寄った。パネルを操作し、遮光カーテンを閉じる。そしてデスクの引き出しから黒っぽい箱型の機械を取り出すと、何やら操作し始めた。
「やれやれ、理事長室でさえも盗聴を気を付けねばならぬとは」
「今日もバイオロイド管理局が来たのですね」
「ああ。ヘイゼルだけじゃない。フユ・リオンディについても聴かれたよ」
キャノップは異常がないことを確かめると、機械を引き出しへとしまい、部屋の真ん中にあったソファに身を預けるように座った。そしてファランヴェールに、向かいに座るよう指示する。
「彼のことも?」
ファランヴェールが言われるままにソファへと座る。その表情には、どこか不安げな様子が浮かんでいた。
「アキト・リオンディ博士の忘れ形見、か。連中にとっちゃ貴重な、シャンティンホテル爆破事件の生存者だ。何せ、極秘のレセプションパーティだったものが、政府のお偉いさん、高名なバイオロイド研究者、そしてその家族、もろとも吹き飛ばされたのだからな。情報が漏れていたのだろう。さて、何処から漏れたのやら」
キャノップは、疲れた様子でソファに全身を沈めると、天井を見上げた。
「彼も病院で、随分と事情聴取されたでしょうに」
「そうなのだろうが、余り有用な話は聞けなかったようだ。『バイオロイド解放戦線』とやらの犯行らしいが、その実態はよく分かっていない。で、なぜかこの学校のバイオロイドが現場にいた。そしてフユ・リオンディがこの学校に入学したときている。連中が、我々が何かを隠しているのではないかと疑うのも、もっともなことだ」
そこでキャノップは深いため息をついた。
「迷惑な話、ですね」
ファランヴェールが苦笑する。
「笑い事じゃないぞ、ファランヴェール」
キャノップがファランヴェールを睨みつけたが、本気で怒っているわけではないようだ。
「はっきりしたのは、フユに対するヘイゼルの執着心がバイオロイドの振る舞いとしてはありえない程度のものだということ。フユはそれに戸惑っているようでした」
ファランヴェールが真顔に戻り、そう答える。するとキャノップが意外そうな面持ちでファランヴェールを見た。
「君がミグラン社長や俺以外の人間をファーストネームで呼ぶとは、珍しいことだな」
「そう、ですか」
思わぬことを指摘され、ファランヴェールが戸惑いを見せる。
「社長が死んで、もう四〇年以上になるか。君はまだ、ミグラン社長の呪縛から逃れられていない」
「呪縛などでは」
「いや、呪縛だ。人間に従い、己の生存よりも人間の保護を優先するよう遺伝子に書き込まれているはずのバイオロイドが、一人の人間にこだわる。本来、その対象は人間という総体であって、一個人ではないはずなのに、だ。あってはならないこと。それを呪縛と言わないで何と言う」
そう言われて、ファランヴェールは何も言い返すことができなかった。
実際、ファランヴェールがエイダーとしての活動を行っていないのは、彼を指揮すべきコンダクターを持とうとしないからである。そしてその原因が、かつてファランヴェールと行動を共にしていたミルヴィニー・ミグランという男であることを、キャノップは知っている。
「すみません」
キャノップの視線にどこか居心地の悪さを感じ、ファランヴェールは顔を僅かに横へと反らした。
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