第60話 私、嫌だ。
ファースト・フロントに帰還した一行は、まずクラリーナの怪我の程度を確かめてもらった。
探索者用の病院は駐機場の受付施設の一角にあり、二十四時間開いている。
医者の診察によると、目立った怪我もなく、他も特に問題ないとのことで、ティナとレッドはほっと胸を撫で下ろした。
機走輪を破損したアンティ・キティラを機兵工房へ修理に出し、駐機場を後にする。
孤児院まで送るというレッドと、深夜のファースト・フロントを歩く。
三人に会話はなく、夜を知らないファースト・フロントの喧噪だけが頼りだった。
クラリーナはティナに手を引かれるがまま、とぼとぼと歩いていた。
顔を俯かせ、まるで前を見ていない。
打ちひしがれているクラリーナの手は冷たかった。
ティナは自分の体温が少しでも伝わればいいと思い、その手を握り直した。
やがて孤児院が見えてきた。
そこには
「ああ、無事だったのですね、ティナ。突然、こんな夜更けに飛び出すから、どうしたのかと思いました」
「ごめんなさい、マザー、心配かけて」
「クラリーナさんはどうしたの? いえ、とにかく中に入って。温かいハーブティーを淹れますね」
孤児院の入り口でレッドと分かれ、ティナは早々と自室に戻った。
クラリーナを休ませてやりたかったのだ。
ベッドにクラリーナを座らせる。
クラリーナはそれでも深く俯いて、顔を上げなかった。
やがてマザー・カミラが持ってきてくれたハーブティーを飲む。
カップを持ったまま動かないクラリーナを、ティナはなるべく穏やかに諭した。
「体を温めた方がいい。心も落ち着くから」
クラリーナはのろのろとお茶を飲んだ。
青白かった頬に血色が戻り、紫色だった唇が薄く色づいてきた。
空になったカップを二つ下げて、再び部屋に戻る。
「お腹は空いてる?」
「全然、空いてない」
(だよね……。私も)
ならばやることは一つだ。
ティナはおもむろに服を脱ぎ始めた。
「……って、へ!? ティナやん? 何してんの?」
「何って寝るの。こんな時は何も考えず、寝るの」
ティナはさっさとショーツ一枚になって、ベッドの奥の方に潜り込んだ。
クラリーナは目を丸くしていたが、やがて自分も服を脱ぎ捨てて、ティナの横にするりと滑り込んだ。
暗闇に目が慣れてくると、隣のクラリーナの姿が鮮明になる。
ちらりと視線を向けるとクラリーナもこちらを見ていて、さっと目を逸らされた。
「……今日のことは、礼を言っておくわ。けど、うちは一人でも十分やった」
まだそんなことを。
ティナは密かに眉根を寄せた。
そしてクラリーナの方にくるりと寝返りを打つ。
「クラリーナ、ちょっとだけ話をしよう」
そっぽを向いていたクラリーナがちらりとこちらを見る。
迷った素振りを見せていたが、やがて彼女もまたティナの方を向いてくれた。
碧と金のオッドアイが闇の中で浮かび上がっている。
それは宝石のように輝いていた。
「どうしてあんな無茶なことをしたの? それも一人で戦えると証明するため?」
「せや」
クラリーナはきっぱりと即答した。
「うちは……証明するんや。うちが『失敗作』やないって。お父ちゃんが『失敗作の親』なんかじゃないって——」
「失敗作?」
堰を切ったようにクラリーナは話し始めた。
自分の出自、フィア・マギステア家での処遇、そして——愛する父親のことを。
「——だから、うちは示さなあかん。力を。それはうち一人の力で成し遂げなあかんことや」
なんだか少し前の自分を鏡で見ているようだった。
オズに力を示そうと、躍起になっていた自分を。
ティナは重たい口を開いた。
「分かるよ。私もある人に認められたくて、力を示したくて、ソロの探索を繰り返していた時期があったから」
「ティナやんが?」
「うん。結局まだ、ちゃんとは認められてないけど……」
オズは第六層まで来たら、母の話をすると言った。
今はまだ仮免許の状態だ。
第六層に辿り着けばきっと、彼女は本当の意味でティナを認めてくれるだろう。
「それに私が深淵に潜る目的、知ってるよね」
「あの……復讐ってやっちゃろ?」
「そう、母親の復讐。でもその理由は——クラリーナと同じ。『自分の母親を殺した魔獣がのうのうと生きているのが気に入らない』……だから、斃す。母親のためじゃない。私が……私のために」
おそらくそれはクラリーナと同じだ。
自分で自分の存在を証明するため。
少なくともティナはそう感じた。
しかし、
「それでチームを組んだん? そんなの妥協やんか」
「私はそうは思わない。チームのおかげで私がいるし、私の力がチームの一角を担ってる。ブルーローズは紛れもなく私の一部だってそう感じるの」
「そんなん……詭弁や」
ぷうっと頬を膨らませるクラリーナを見て、ティナは眉を下げた。
(なかなか、頑固だな)
でもそんなクラリーナのことは嫌いじゃない。
クラリーナは固い口調でさらに続けた。
「あんたらはうちのことチームに引き入れたいんやろ? そんな風に利用されるのはまっぴらご免やわ」
「利用する、なんてことはない。……クラリーナ、別に嫌だったら入らなくてもいい」
「え?」
急に梯子を外されたような表情をするクラリーナに、ティナは言った。
「——けど、もうあんな無茶はしないでほしい」
ベッドの上に投げ出されていたクラリーナの小さな手を、ティナはおもむろに握りしめた。
反射的に身を引こうとするクラリーナを引き留めるように、手に力を込める。
クラリーナの手はさっきと違って、体温が戻ってきていた。
「……クラリーナに出会ったあの日、ある探索者チームと挨拶を交わしたの。リーダー同士で握手を交わすのが慣例なんだけど、そのぬくもりは失われてしまった」
「失われたって……。あっ、まさか」
「そう、トゥリゴノにカースヴェノムを注入されて、帰らぬ人になってしまったの」
いや、まだ亡くなったほうがましだったのかもしれない。
彼らは未だ第三層で彷徨っているのだろう。
自分達がかつて人間だったと知る術もなく、醜い魔獣と変わり果ててしまったと知る由もなく——
「新しき深淵は恐ろしいところだ。あんな理不尽が何の前触れもなく降りかかってくる。今の今までそこにあったぬくもりが——あっさり失われてしまう」
クラリーナは自分もまたそういう憂き目に遭いかけたことを思い出したのだろう。
再びさあっと手から伝わる体温が下がる。
ティナは目を瞑り、祈るようにクラリーナの手を握り直す。
「私、嫌だ。クラリーナのぬくもりが失われるのは、絶対に嫌」
「ティナ……」
目を開け、真摯にクラリーナを見つめる。
闇に浮かび上がる美しいオッドアイは、今度こそ視線を逸らすことはしなかった。
「自分の力を示したいのは分かる。けど、それは本当に一人でしなくちゃならないこと? 誰かと一緒じゃ駄目?」
「それは……」
「確かに一人で強くなろうとするのは大切だと思う。ソロ時代は私にとっても必要な時期だったと思うから。けど……人は一人じゃ生きていけないよ、クラリーナ」
クラリーナの桃色の唇がふるふると震えている。
ティナは苦手な笑顔を無理矢理浮かべた。
「孤児院のみんなといる時のクラリーナ、楽しそうだった。レッドと出かけてた時も。それから……うぬぼれじゃなければ、私といる時も」
クラリーナの碧と金の瞳がうるうると光る。
「あなたにはああいう笑顔が一番似合うと思う、クラリーナ」
クラリーナは何も言い返さず、じっと目を閉じた。
疲れていたのだろう、そのまま寝入ってしまう。
けれどティナの手は朝まで離さないままだった。
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