第43話 禱手・トゥリゴノ

 第三層を往くこと三時間が経過していた。


 今、また大きな水晶の塊が生えた角を曲がる前に、先頭を行くレッド・ロードが右腕を上げる。

 グレイン、ティナの順で縦一列に進行していた面々は、静かに歩みを止めた。


 がしゃがしゃ、と洞窟全体に響く耳障りな足音が聞こえてくる。

 ブルーローズの三人が見守る中、道を横切っていったのは赤黒い魔獣だった。


 竜のような上半身に、十は下らない蟹のような足と鋏を持っている。

 広く裂けた口には無数の牙、そして鋭く研磨された琥珀のような両の瞳は、ヒカリゴケの明かりを反射してぎらりと光っていた。

 その背丈は洞窟の半分を超えようかというほど大きい。


 潜む探索者には気づかず、魔獣は去った。

 一同に安堵が広がる。


 レッドが声を低くして言った。


『シャッコウアギトだな、それも成体の……』


『確か第二層には一メートルぐらいの幼体しか出現しない奴じゃなかったか?』


『お、グレイン。深淵の初心者の割りには、よく知ってるじゃねえか』


『俺の愛読書『ホワイトゲイル伝説徹底解説!』に書いてあった』


『お前、そのホワイトなんちゃらホント好きだな……』


 いつまでも続きそうな男達の話に、ティナは割って入る。


「他にいるとも限らない。先を急ごう」


『……ん、そうだな』


 思案げな口調でレッドが答えた。


 その後も一列縦隊でブルーローズは第三層を進む。

 斥候役のレッドはさすがだった。

 その後もいち早く魔獣の存在を察知して、身を隠し、徹底的に交戦を避ける。

 おかげでチームは傷一つなく第三層の最奥まで辿り着いた。


 ぽっかりと広がる洞窟の奥に、底の見えない穴が空いている。

 それは深淵のさらに奥——第四層へと繋がっているはずだった。


 ティナは半ば呆気に取られていた。

 第二層を突破した時もそうだったが、一度目の攻略で第三層を踏破し、第四層の入り口まで辿り着いてしまうとは。

 ソロ時代、第二層で燻っていた頃が何年も昔に感じた。


 これが——チームの力。

 ティナは操縦槽の中で、人知れず頬を緩めた。


 しかしレッドはすぐ第四層に降りることはせず、しきりに周囲を気にしている。

 ティナは怪訝な表情で尋ねた。


「どうしたの?」


『いや……なんかおかしな音が聞こえる、ような気がする』


「おかしな音?」


 集音器に神経を集中させる。


 三機分の駆動音。

 洞窟の天井から染み出た地下水が、ぴちょんと水晶に当たって跳ね返る音。

 それから——おおおおん、と風が唸るような音?


 いや、新しき深淵に風は吹かない。


 これは——


「——人の声?」


 ティナが呟くと同時に、その音が激しさを増した。

 大の大人が噎び泣くような凄まじい慟哭。

 それが幾重にも重なって、洞窟の右奥から響いてくる。


 悪寒がぞくっと背筋を駆け抜けた。


『気をつけろ!』


 レッドが叫んだ、まさに次の瞬間だった。


 すさまじい突風が一直線に横切った。

 ブルーローズの面々は反射的に散開して、何者かの突撃を避ける。

 狙撃手のさがで手近な岩陰に隠れたティナの目に、異形が映った。


 一辺5メートルの正三角形で、胴体は石板の様な素材で出来ていた。

 三角形の石板に三つのコアらしき紅玉が輝いている。


 話だけには聞いていた。

 こいつは、まさか——


『第三層・禱手ゼト——トゥリゴノ!』


 グレインが戦慄と共に叫ぶ。


 三つの角の頂点から細い蔦状の触手が4〜5本ずつ生えており、でたらめに蠢いている。

 そのうちの二つには見たことのある機兵が絡まり、捕縛されていた。


 ——『アイアンレイヴン』。

 そう名乗った探索者チームのうちの二人だ。


『……すけ、て……おお、おおお……』


 聞き覚えのあるチームリーダーの嘆きが耳を打つ。

 反射的に狙撃体勢に入ろうとしたティナの目の前で、トゥリゴノの触手が動いた。

 もがき苦しむリーダーに機体に触手の尖った先端を突き刺す。


『う、ぐ……ごおおお、あがが……!』


 聞くに堪えない呻きにティナが顔を顰めたのも束の間、リーダーの機体がいびつな形に膨れ上がった。

 それは出来の悪い風船のように膨張しつづけ、やがて装甲が弾ける。


 中から出てきたのは赤黒い肉の塊だった。

 どしゃりと地面に落ちて動かなくなる。

 その表面がじわじわと黒く変色していった。

 薄いながらも皮膚のような物が出来上がりつつある。


 同じく捕まっていたチームメンバーの一人も、同じ運命を辿った。

 あまりのことにティナは言葉を失う。


『トゥリゴノの毒——『カースヴェノム』だ……!』


 トゥリゴノとできるだけ距離を取りながら、グレインもまた声を戦慄かせる。


「カースヴェノム?」


『生物を変異体アルタードと呼ばれる魔獣に変えちまう、トゥリゴノの能力だ。もちろん……人間も例外じゃねえ』


「ッ、どうにかして助けられないの?」


『人間なら瞬時に自我が崩壊する。一度、注入されたものは……もうどうしようもねえ』


 悔しさを滲ませるグレインに、ティナは愕然とする。

 トゥリゴノを挟んで反対側、第四層への入り口を背にしたレッドが叫ぶ。


『時間が経てば変異体も襲ってくる。——撤退だ!』


 見れば、元々人間だったもの——変異体は徐々にその形を変えていく。

 一体は柔らかい甲殻ができあがりつつあり、もう一体は皮膚が硬化して鱗状になっていく。

 まるで人間が魔獣へと変貌していくようだった。


(切り替えろ。でないと、今度は私達がやられる……!)


 ぎゅっと強く目を瞑ったティナは、目を見開き、大きく息を吸い込んだ。

 目下の目的は離ればなれになってしまったレッドの救出である。

 グレインも心得ているようで、レギオン・ラクエウスの片足を大きく引いた。


『待ってろ、レッド。俺が行く!』


「グレイン、援護する。——気をつけて!」


 レギオン・ラクエウスがティナに向けて拳をぐっと握ってみせる。

 一度、行き会っただけの探索者でさえああなのだ。

 仲間の変貌する姿など絶対に見たくないし、許容できない。


 レギオン・ラクエウスが走り出す。

 トゥリゴノがいち早くその動きに気づいた。


 同時にティナはブラウ・ローゼの狙撃兵装——フレイミィ・クインリィの銃口を向け、立て続けに発砲した。

 狙うはトゥリゴノの核である。

 破壊できればそれでよし、できなくともトゥリゴノへの牽制になる。


 実際にさすがは禱手ゼトといったところで、核への攻撃を慎重に逸らしていた。

 しかし動きは上手く制限できている。


 八発の弾丸があっという間に尽き、自動充填リロードされる。

 再び狙撃を開始しようとした時、グレインがトゥリゴノに到達した。


『——このクソ野郎ッ!』


 目の前で起きた凄惨な出来事に、グレインもまた思うところがあったのだろう。

 怒声を発し、トゥリゴノの触手を掴んで、ブン投げる。

 トゥリゴノは手近な壁に激突した。


 すかさずレッド・ロードがその脇を駆け抜ける。

 魔導砲スピットファイアによる牽制射撃をしながら、グレインと合流する。


 そこでレッドの動きが一瞬止まった。

 起き上がろうとしているトゥリゴノに狙撃を繰り返していたティナは、眉を顰める。


「レッド? どうしたの!」


『生き残りがいる、まだ毒を注入されてない』


 そういえば『アイアンレイヴン』は三人のチームだった。

 もう一人いるはずだ。


 よく見ると水晶の影に縮こまっている機兵がいた。

 膝と頭を抱えて蹲っている。

 しかし恐怖で動けないようだった。


 位置的にティナが一番近い。

 考える前にとっさに岩陰から飛び出ていた。


『ティナ!』


 レッドが制止するような声で叫ぶ。

 無茶は承知でティナはブラウ・ローゼの手を機兵に差し伸べた。


「大丈夫、立てる!?」


『うう……お姉ちゃん……』


 帰って来たのはなんと子供の声だった。

 ティナと同じくらいか、下手をしたらもっと幼いかもしれない。

 もしかしたらチームのどちらかの子供かもしれないと思うと、胸が引き絞られる。


『——危ねえ、伏せろ!』


 レッドの絶叫が再び響いた。

 ティナは考えるよりも早く、機兵を庇うように覆い被さり、地面に身を伏せた。


 その上を光の束が通り過ぎていった。

 それはビームだった。

 トゥリゴノから放たれたビームは洞窟の壁や岩、そして水晶を一直線に削り取っている。


 ティナは黒々とした地面を映す映像盤を見据えながら、背筋を凍り付かせる。


 これが——禱手ゼト・トゥリゴノ。

 圧倒的なまでの暴力の権化だ。


 ともすれば恐怖に呑み込まれそうになる自分を叱咤し、ぐっと奥歯を噛み締める。

 ティナは映像盤をフレイミィ・クインリィのスコープに切り替えると、伏せた体勢から狙撃を再開した。

 不幸中の幸いというべきか、伏射姿勢ブローンは最も安定しやすい狙撃体勢である。

 牽制なんかじゃない、今、この場で核を打ち抜いてやる、そう決意する。


 しかし現実は残酷だった。

 ティナの狙撃は胴体の一部や触手を削り取ったものの、トゥリゴノはすぐに再生してしまう。


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