第34話 試合開始

 控え室から観客席へと上がった、ティナは用意された最前列の席に座った。

 観客席の背後には、闘技場を囲んでいるものよりもさらに高い壁がそびえている。


 そのところどころにガラス張りになったVIPルームがあり、ファースト・フロントの中でもごく一握りの富裕層が、優雅に高みの見物と洒落込んでいた。


『——お待たせしました、これより本日の第一試合を開始いたします!』


 闘技場全体に響く拡声器からの声に、会場が沸いた。


 どよめく観客を尻目に、ティナは睨み合う二機の機兵を、固唾を呑んで見守る。


『さてさて本日は探索者同士の戦いです! いつもは我らが『新しき深淵』に挑むこの男達——なんと本日は、一人の美女を賭けて決闘に挑みます!』


 大地を割るような歓声が響き渡る。

 ティナは小柄な体をさらに縮こまらせた。


 皆、レッドとグレインが少女らしき人物を挟んで、侃々諤々かんかんがくがくの応酬を繰り広げていたことは見ていただろう。

 だがそれがティナだとまでは分かっていないようだった。


『さぁ、まずはこの男。無名の新人、期待の新星。赤く燃える心——探索者、レッド・クリフ! 駆るのは軽機兵・レッドロードォォォッッ!!』


『無名じゃねえ、俺は地上最強の男だ!』


 レッドの抗議を観客の声がかき消す。

 司会者も構わず続けた。


『対するは、謎深き賞金稼ぎ。その不気味なマスクの下にある顔は果たして——“炎蟹えんかい”の異名を持つ男、グレイン・グランキオ! 相棒は機装兵・デクリオンッッ!!』


 ティナはレッドロードと向き合っているグレインの機兵を見つめた。


 鍛え抜かれた筋肉を思わせる大型のフォルムに、カーキ色に塗装されたボディ。

 どちらかと言うとシャープなシルエットで派手なレッドロードとは姿も形も対極的だった。


『へっ、地上最強の俺に喧嘩を売ったこと、後悔させてやるぜ』


『こちらの台詞だ、てめえなんぞにティナは渡さないッ!』


『おぉ、両者とも気合いは十分。これ以上の言葉は不要です。さぁ——』


 司会者がすうっと大きく息を吸い込んだ。



『——試合開始ッ!!』



 先に動いたのはグレインだった。


 一見して、一番大型の武装であるビームライフルの砲身が、闘技場を照らす大出力魔石灯ませきとうの光を鈍く反射する。


 その銃口は真っ直ぐレッドロードに向けられていた。


『おおおおおおッ!』


 トリガーを引くと同時に放たれる光の束。

 科学技術由来のビームが過たずレッドロードに殺到する。


 デクリオンの武装を見れば、一撃必殺を予期することはそう難しくない。

 レッドはビームが放たれる前に横に走ってそれを躱した。


『予想通りで欠伸が出るぜ!』


 グレインの舌打ちが聞こえた。

 見るとビームライフルの砲身からしゅうしゅうと煙が出ている。


 射撃後の発熱に対して、冷却機構の出力がやや低いようだ。

 少なくとも次の発射まで一分以上はかかってしまうだろう。


 レッドロードの動きは目を瞠るほど素早かった。

 膝関節を柔軟に曲げるなり、増槽つきのバーニアが機体を跳躍させる。


 噴射された熱風が観客達の前髪を煽った。


『くっ——』


 高く跳躍したレッドロードを、当然デクリオンが視線で追う。

 レッドはそれを狙っていたように手元の30ミリ魔導砲の銃口を向ける。


 果たしてデクリオンの装甲に豆粒のような小口径の魔導砲が通じるか——


 そう誰もが思った時だった。


 銃口から放たれたのは徹甲弾ではなく、ペイント弾だった。

 蛍光塗料がデクリオンの顔の前で弾け、機兵の目とも言える魔晶球ましょうきゅうを鮮やかに彩った。


『なっ、に……!?』


 そうか、一見無駄に見える跳躍をしたのはこれが狙いか、とティナは納得する。


 レッドは最初からデクリオンを自分の方へ向かせ、グレインの視界を奪う気でいたのだ。


『ぐ、この——!』


 デクリオンのマニピュレーターが乱暴に塗料を拭う。

 その隙は大きく、致命的とも言えた。


 狙いにいけばとどめをさせたかもしれない。

 しかしレッドはあくまでも冷静かつ慎重だった。


『こいつはおまけだ、とっとけ!』


 レッドロードの赤いマントが翻る。

 空中に放り出されたのは安全装置が外されたボムだった。


 瞬く間に膨張して炸裂したボムから、大量のスモークが吹き出る。

 それはデクリオンを取り囲み、さらに視界を悪くした。


 そこで観客達が騒ぎ出した。


「おい、さっきから卑怯な手ばっか使いやがって!」


「せっかくの試合が見えねえだろうが!」


「決闘なら正々堂々としやがれ! このペテン師ッ!」


 巻き起こるブーイングの嵐にレッドは飄々と応じる。


『ハッ、卑怯だろうがペテンだろうが、関係ないね。要は勝ちゃいいんだ、勝ちゃ!』


 実に探索者らしい、そしてレッドらしい発言だと思った。

 二度も助けられ、彼の戦い方を見て来たティナの目には“卑怯”ではなく“機転”に映る。


『新しき深淵』に巣くう魔獣相手では正々堂々も何もない。


 生き残れば勝ち、死ねば負け。


 それが——探索者の掟なのだから。


 スモークの中から鋭い光線が走った。

 真っ黒い煙の一部が晴れ、デクリオンの赤い魔晶球が覗く。

 その目はぎらりと怒りに燃えていた。


『レッド・クリフ……!』


 デクリオンがぐっと身を屈めた。

 突進の予備動作だ。

 だがレッドはそれを許すまいと畳みかける。


『位置が丸見えだぜ、グレイン!』


 左膝のウェポンラックと思しき箇所から、数本のニードルが飛び出した。

 レッドロードはそれを掴み、素早く投擲する。


 武装とも言えない細い針のようだったが、回転が加えられていることによって、その鋭さは増している。


 手投げ針はデクリオンの腕や膝の関節部に突き刺さり、一時的にその機動力を削いだ。

 機兵の血液とも言える黒血油こっけつゆが飛び散り、デクリオンの装甲の実に半分ほどをてらてらと濡らした。


 決して正面切って闘おうとはしないレッドに容赦のない野次が飛ぶ。

 だがレッドはそれすらも置き去りに魔導砲を再び向ける。


『吼えろ、スピットファイア!』


 今度こそ30ミリ弾が断続的に発射される。

 デクリオンが動けないところへ弾丸が雨あられと降り注いだ。


 所詮は小口径の魔導砲なので装甲を貫くことはできない。

 だが無防備に晒されていたビームライフルは穴だらけになってしまう。


『うおおおおおッ!』


 主要武装を破壊されたグレインは悔しさを滲ませて咆哮した。

 力任せに足回りのニードルを引き抜くと、スモークの圏外へと脱出する。


 スモークは風に流されて薄くなっていた。

 構わずそこへ突入してデクリオンを追撃しようとしたレッドロードの足元で異変が起こった。


 ティナは目を凝らし、はっと息を呑む。

 ちょうどデクリオンの足跡を辿るように、小型爆弾が仕掛けられていた。


 レッドロードが接触するなり、爆弾が作動し、次々と自発的な誘爆を繰り返していく。


『……ッ!』


『——貰った!』


 レッドロードが跳び退いた先に、デクリオンが回り込んでいた。

 その無骨な拳が振り返ったレッドロードの胴体を狙う。


 対するレッドロードは驚異的なレスポンスで近接用武装の鋼鉄剣スチール・バインを抜刀、デクリオンの拳を刀身で受け止める。


 金属同士がぶつかり合い、火花を散らした。

 ギィン、と響く耳障りな音に、観客達が顔を顰める。

 だがその不快感以上に皆の期待が膨らむのを、ティナは肌で感じる。


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