第13話 因果は巡る

 

 白雪の大地を地響きが駆け抜ける。


 森の木々が激しく揺れ、葉に積もっていた雪がばさばさと落ちた。


 木の間の暗がりから出てきたのは、茶色い巨体だった。


 深い毛に全身を覆われた、魔獣ナウマンの威容だ。


 太く長い鼻に、天を突く猛々しい牙。

 丸太のような四つ足が雪を蹴散らして、前へ前へと進んでいく。

 それはさながら押し寄せる黒い波のようにも見えた。


 そこへ、一条の光が先頭のナウマンを襲った。


 最後のプラズマ砲がナウマンの巨体を貫いたのだ。


 ティナの読み通り、ナウマンの群れは昼頃に森を出てきた。

 その先頭に立つ一際大きな躰と太い牙を持つ一頭を、ティナはすぐさま狙撃した。


 炉に入れられた鉄のようにぐずぐずと溶けていくナウマンのリーダー。

 その惨状を見て恐慌に陥った二十頭近くの群れは、蜘蛛の子を散らしたように四方八方に逃げ出した。

 ティナが見たところ、いずれも子供もしくは若い個体ばかりだった。

 あの群れの中から強力なリーダーが生まれるには、あと十数年はかかるだろう。


 途中で邪魔が入ったものの、無事に当初の目的を遂げた。

 安堵感に軽く嘆息して『イーグル・アイ』を解除しようとした時、ふと目につくものがあった。


 もはや原形を留めていないナウマンのリーダーの元を離れない個体がいた。

 躰の大きさは成獣の半分も無く、牙も細くて頼りない。幼獣だ。


(もしかしてリーダーの子供、なのかな)


 ナウマンの子供は親の骸の周囲をぐるぐると回っていた。

 時折、鼻で親のなれの果てである黒塊をつつき、それからか細い鳴き声を発した。

 それは辺りの雪山に木霊すると、やがて溶けるように消えた。


 ティナは『イーグル・アイ』を解除し、そっと目を伏せた。


 脳裏を過るのは自身の母親のことだ。


 ニウカと同じく、ティナも母親のことは覚えていない。

 当時二歳半だったそうだから無理からぬことだ。


 幼い自分は——母の死を知らされて、どう思ったのだろう。


 もしかしたら周囲の大人が優しい嘘をついてくれたのかもしれない。

 そもそも『死』という概念すら分からなかった可能性がある。

 それでも母に会えないということだけは、理解していたのだろうか。


 全ては憶測に過ぎない。

 だがティナは母を殺した魔獣アバドンを討った。

 あれが仇討ちと言えるのかどうかティナには分からない。

 単純に、母を殺した魔獣が気に食わない。そんな理由だったからだ。


 意識が再び、あのナウマンの子供を思い返す。


(あの子もいつか、私を恨む日がくるのかな。親の仇を討とうとするんだろうか——)


 その時だった。


 ——タァン、と乾いた音を集音器が拾い上げたのは。


 銃声だ。

 ティナは弾かれたように顔を上げた。


 再び『イーグル・アイ』を起動する。


 ナウマンへの狙撃距離に設定されていた魔方陣型のレティクルは、即座に先ほどの光景を映し出した。


「……ッ!」


 ナウマンの子供が横倒しになっていた。

 白雪の大地に赤い血を流し、ばたばたと四本の脚でもがいている。


 再びの銃声。


 ナウマンの躰が小さく跳ね、悲痛な叫びが響く。

 銃声は尚も陽気なリズムでも奏でるようにナウマンの子供をいたぶる。

 右前足の蹄が吹き飛び、牙が折れ、耳が千切れた。

 銃弾は致命傷を与えることなく、しかし確実にナウマンの躰に命中し続けた。


(明らかに、いたぶられている——)


 あれだけの命中精度を誇るならば、急所に当てることなど造作も無い。

 だが狙撃手はそれをしない。

 そもそもあんな子供を討つ理由なんか一つもない。


 頭の中で聞こえるはずのない、男の声がする。


『親が死んじまったなら、俺があの世に送ってやるよ』


 あの下卑た笑い声が。


『ただ、すぐにとは行かないけどなぁ——』


(——ガルバス!)


 ティナは思わず操縦桿を握り込んだ。

 おそらくあの傷では例えとどめをさされなくとも、ナウマンの子供はもう長くないだろう。

 だがこのまま放っておくわけにはいかない、断じて。


 全身を迸る激情も束の間、ティナは細く長く息を吐いた。

 己を鎮めるべく。


(あれは私への挑発だ。機兵を失った敵は生身。ただブラウ・ローゼで駆けつけるには距離がありすぎるし、大盾が使えない今、ガルバスが対物ライフルでも用意してたらひとたまりもない)


 ティナの判断は素早かった。

 ブラウ・ローゼを突き立ったままの大盾の陰に隠すと、自身はクラリオンを手に操縦槽のハッチを開けた。

 そのまま機体の表面を滑るようにして降下し、雪道を疾走する。

 ブラウ・ローゼを待機させている位置から山を駆け上り、なるたけ高所を目指す。


(直接、撃つ。それしかない)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る