蒼薔薇の狙撃手

エルトリア

薄氷の弾丸

第1話 雪に咲く蒼薔薇

 ティナ・バレンスタインは薄氷でできている。


 背筋がひやりとするような冷たさと危うさを内包しているのだと。

 彼女をそう評したのは一体、誰であっただろうか。

 当の本人であるティナは気まぐれに朧な記憶を手繰り寄せてみたものの、やがて思い出すのを諦め、ぐるりと周囲を見渡した。


 視界が白い。


 厚い雲が重く垂れ込めた空も、足元から立ち上る雪煙に覆われ、ぼんやりと霞んで見える。

 視界が良好なら大ラウス山脈の尾根が見事な稜線を披露しているところなのだが、真冬の今、その絶景を目にすることはできなかった。


 ティナの期待をせせら笑うかのように、強風が吹き付ける。


 冬の風は氷の粒を伴って、ティナの白い頬を叩いた。

 ベージュがかった長い髪が後方に煽られる。

 薔薇の紋様をあしらった防寒素材のコートも裾を激しくはためかせた。

 同じ素材で同じデザインの帽子までもが飛びそうになって、ティナは慌てて頭を抑える。


 目の前に立っている枯れ木の枝が、ティナの目の前で好き勝手に交差している。

 ティナは身を伏せながら小走りして、森を抜けた先に見つけておいた岩場の影に身を潜める。

 そして肩から提げていた愛銃をそっと降ろした。


 濃紺の銃身に金色の意匠があしらわれている、美しい狙撃銃。

 名を『クラリオン』という魔導砲——母・アーミアが遺した数少ない形見だ——その表面をそっと撫でる。


 ティナはコートに雪が付着するのも厭わず、完全に俯せになった。

 いわゆる伏せ撃ちブローンの体勢である。


 続けて、銃身の上に付属する光学スコープを覗き込む。


 彼我の距離、およそ500メートル。

 雪山にぽつりと細い四本足の動物がいた。


 オジロと呼ばれる動物だ。

 旧人類史における極東の島国『日本』の影響が色濃いカナド地方の言葉で『尾が白い』という意味らしい。

 犬よりも少し大きな体に、肉付きの悪い胴体。

 お世辞にも狩猟の獲物としては適しているとは言えなかった。


 しかし、


(山奥の集落にとっては貴重な食料になるはず。大切な仕事相手だし、できれば手土産でも持って友好的な関係を築いておきたい)


 ティナは誰にとも無く小さく頷き、狙撃銃のトリガーに指を掛けた。


(お前も撃っておいてあげないとね)


 オジロはうろうろとその場を行き来している。

 きっと冬眠しそこなって、少しでも食べられるものを探しているのだろう。

 だがこの厳しい冬山にそんなものは存在しない。

 やがて痩せ細り、餓死する。

 否、凍死するのが先かもしれない。


(視界が悪いな……。でもいける)


 十字のレティクルにその哀れな動物を収める。

 狙撃に影響する、風、湿度、気圧を肌で感じ、知識と経験によって計算し、弾道をイメージする。

 ティナの意識と連動するように、クラリオンの銃身を淡く光る三つの魔方陣が覆う。

 そうして肺に七割ほどの空気を溜め込むと、呼吸を止めてトリガーを絞った。


(ごめんね、もらうよ)


 風魔法を利用した三段式加速装置が発動。

 同時に、耳をつんざく破裂音が周囲の山々に反響した。

 ティナは肩と腕を襲う強烈な反動を制しつつ、息を吐ききった。


 銃口から飛び出した6.5ミリ弾は、寸分違わずオジロのこめかみを貫く。

 当たりやすい胴を狙わなかったのは少しでも肉を残しておきたいがためだ。


 ティナは静かに立ち上がり、全身の緊張を緩めた。

 コートの雪を払い落として、枯れ木の森に戻ると、ゆっくりと頭上を仰ぐ。


 ——巨人が立っている。


 枯れ木の大木にぎりぎり隠れるほどの、巨人が。


 機兵きへい


 いわゆる従機じゅうきと呼ばれる機種である。

 従機とはその名の通り『機兵に付き従うもの』のことだ。

 広く普及している簡易型の機兵で、製造コストが安く、その代わり作りは粗雑だ。

 本来は簡易機兵であるが、従機は機兵扱いされていない。

 サイズも4、5メートルのものがほとんどで、一般的な機兵のおよそ半分だ。


 だがティナの機体の外観は、決してただの従機ではあり得なかった。

 左肩から上腕部をほとんど覆う大盾や、両脚部膝関節からせり出した大型シールド。


 そしてなんといっても背部から伸びる長い砲身が、その異様を増長させている。


 プラズマ・カノン。

 旧人類の科学技術の粋を集めた、射撃兵器——いわゆるオーパーツだ。

 十年前、幼かった十歳のティナがファースト・フロントで拾ったジャンクは今や、一介の従機に収まらない仕様となっていた。


 悪く言えばバランスが悪く、不格好な愛機をティナはじっと見上げた。

 そして降り積もった足元の雪を踏み締めるように近づくと、膝のシールドに積もった雪を手で払いのけてやる。




「お待たせ、ローゼ」


 ——従機、ブラウ・ローゼ。


 金属製の巨人は応えることなく、泰然とそこにあった。

 ティナはそれだけで——この世界に両足で立っていられる、いつもそんな気がするのだった。


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