第七章
25にちめ「えんどれすつくのこーる」
「ええっ!? 停学!? しかも一週間だけ!?」
明くる日の校長室にて八束は目を剥いた。
教頭は昨夜のロリコンおじさんとは打って変わって、いかにも厳めしい、それに少し不機嫌そうな顔をして座っている。
「不服かね?」
「い、いえ……」
深夜徘徊にボヤ騒ぎ、おまけに教頭の愛車をお釈迦にしておきながら、たった一週間の停学で済むなんて――酒盛りしたクラスメイトはもれなく退学処分になったのに。
「君は我が校でも特に優秀な生徒だから、このようなことで手放してしまうのは痛い。だから『今回だけは大目に見てやろう』と私が掛け合ったんだ」
いかにも『感謝したまえ』との言い草……しかし本当の理由は他にあるようだ。教頭が額の脂汗を拭く。
「それでその……例の件は? 誰にも言っていないのかね?」
「それって援助交際の件ですか? それとも飲酒運転の件?」
「こ、こら、大声で言っちゃいかん!……誰かに聞かれたらどうするんだ」
どうやら今回の恩赦は口封じのための計らいらしい。つまり『停学で済ませてやるから、昨晩の件はどうか内密にしてくれ』とのこと。いやはや、大人って汚い。
「そういうことだから、さっさと家に帰って謹慎したまえ。以上だ」
教頭は『以上だ』の言葉通り、老眼鏡を掛けて、机の書類に目を通しはじめた。これにて閉廷である……って、これで終わり?
「あの……」
「……何かね?」
「車の弁償の件なんですけど……」
持ち出したのは、海に沈めた車の件。理由はどうであれ停学で済んだのは儲けものだったが、この件はお金が絡んでいるだけに、ある程度は覚悟しなくてはならない。
教頭の車はあのあと引き上げられることもなく、海の藻屑となった。そのため弁償するなら車そのもの。しかも無免許だったせいで自動車保険は下りないだろうから、丸々弁償しなきゃいけないだろう。
ところが反応は予想外のものだった。
「気にせんでいい。それならもう済んだ」
「……と、おっしゃいますと?」
「だからもう金は貰ったんだ。新しい車も手配してある」
「そ、そんなはずは……」
もちろん弁償した覚えはない。それなのに金は貰っただって? 八束は狼狽してしまう。
まさかもう関わりたくないから、手切れ金ないし前述の口封じとして、受け取らないつもりなのか?……まさか。
「もう話は済んだだろう。そろそろ出て行ってくれないかね?」
聞き返そうにも『出て行け』と言われたら、どうしようもない。教頭の機嫌を損ねたら今度こそ退学になってしまいそうだし、おとなしく立ち上がるとした。
「……失礼しました」
ところでドアを閉める直前「厄介な味方をつけよって――」との独り言が耳に入ったのだが……いったい何のことだ?
廊下に出た八束は、窓に映る自分と首をかしげた。なんだか狐に摘ままれたようだ。
とはいえ、こうした経験は前にもした気がする。月乃に病院送りにされた時だ。あの件も八束の……月乃の都合のいいようになっていただろう。
「――や~つかさんっ!」
噂をすれば影が差す。このガラスのように透き通った声の主なら、たとえ背後を取られたって当てられるだろう。
今日の月乃はヘアピンでおめかしして、ブラウスの上からおNEWの紺色ジャージを着こなしている。
お気に入りの赤ジャージは八束が脱がせた……もとい教頭の車に置き忘れてしまったから、代わりに学校指定のジャージを羽織ることにしたらしい。
「じゃ~んっ! 見てください、この新しいジャージ! 頂き物なんですけど、すっごく素敵じゃないですか?」
よほど気に入っているのか、その場でくるくる回ってみせる。
「あ、うん……」
「素敵ですよね!」
それにしても……学校指定のジャージを見せびらかしているだけなのに、不覚にも可愛く思えてしまったのはここだけの話だ。
「日焼けとかエアコンで風邪を引く心配がなくなっていいんじゃない?」
嫌われたいので機能面だけ褒めておいた。
ところで今度のジャージは、やけにだぼっとしている。まるで男物みたいだ。
「ん?……男物みたいだって?」
ふと頭によぎったのは、以前玲奈に貸した制服のこと。見舞いついでに夏服は返品されたが、ジャージはまだ戻ってきていない。
いくら月乃でも、ジャージを新調したくらいで、そうもはしゃぐまい。本人は『頂き物』だと言っていた。
「まさかこれって――」
「ふにゃぁっ!? やっ、八束さんっ!? お外はまだ明るいですし、それに私はまだ心の準備が――」
真っ赤に茹で上がった月乃がじたばた抵抗する。構わず胸元の名前を確認する。
「やっぱり……俺のじゃん」
白糸で刺繍された『鮎沢八束』の四文字。紛れもなく八束のジャージだった。
「それって金髪のお姉さんに貰ったの?」
「はいっ。
「え……きん……ぱつこ?」
誰だそいつ。外国人かな?
まあ特徴からして藤川玲奈で間違いないだろう。
「これって元は髪子さんに差し上げたジャージだったんですよね?」
「いや、差し上げてないから。貸したまま返ってこなかっただけだから」
「これを着ていると、なんだか八束さんに包まれている気がして、幸せな気持ちになれるんです」
「あ……聞いちゃいないや」
「前のジャージもそれなりに気に入ってはいましたが、これは特別です……一生大切にしますからね」
「あ……うん。ありがとう……?」
そうも幸せそうな顔をされては、とても『返せ』とは言えなかった。とりあえず溜息でもついておこう……はぁ。
「それはそうと、こんなところで何をされていたんですか?」
「昨日の件で教頭に呼び出されたんだ。俺らは今日から一週間停学だって」
「一週間もずる休みしていいんですか? でしたら休みの間に、どこか小旅行にでも出ましょうよ」
「停学っていうのは『家で謹慎しろ』ってことなの。それに俺はいま旅行どころじゃないんだ」
「何かあったんですか?」
「それが……車の弁償について話したんだけど、どういうわけか今朝のうちに誰かが肩代わりしてくれたらしいんだ」
「そちらでしたら私が払っておきましたよ」
「そうなんだ…………え?」
「車のお金でしたら私が代わりにお支払いしました」
「……ん?」
「お金は私が払いました。えっへん」
「え〜っと……え?」
八束はぎこちなく微笑み返し、Uターンして校長室のドアを開けた。会話が聞こえていたのか、不機嫌な丸顔と目が合った。
「つかぬ事をお伺いしますけど……車の弁償をしたのって、こいつですか?」
「そうだが。何か問題かね?」
「……失礼しました」
ばたん……ドアを閉めた。
月乃は可愛らしく微笑んでいる。
「ほら。私の言った通りでしょう?」
「うん……お前はいったい何なんだ!?」
「赤羽月乃です」
「そうじゃない。俺は『赤羽さんは何者なんだ?』って聞いてるの」
「ですから赤羽月乃ですって」
「もういい。自分で調べる」
八束は早足でパソコン室へ向かった。適当なシステムチェアに腰掛け、パソコンを起動する。
月乃もキャスターを転がして、傍に寄ってきた。この時間は情報の授業がないのか、パソコン室には誰もいない。
「何か調べ物ですか?」
「赤羽さんについて」
「でしたら私に聞けばいいじゃないですか」
「それができないから調べてるんでしょ」
ブラウザーを立ち上げる。キーワードは『赤羽月乃』
打ち込むと予測候補に『赤羽月乃 陸上』『赤羽月乃 画像』『赤羽月乃 つくのん』『赤羽月乃 ファンクラブ』『赤羽月乃 可愛い』等々。人気具合の窺える言葉がたくさん出てきた。
八束はシンプルに『赤羽月乃』だけで検索を掛ける……出た。結果をスクロールして、目に留まった百科事典のサイトに入る。
さすがは『高校陸上界の至宝』と謳われるだけのことはある。経歴はしっかり記載されていた。
有名人の多い本校ではそれほど珍しいことでもないのだが、こうして目の当たりにすると感心してしまう――普通科では田中太郎が都市伝説を扱うサイトに登場するくらいだろう。
さて『赤羽月乃』の説明にはこう書かれている。
赤羽月乃は東京都出身の陸上選手。現在は私立西園高校に通っている。父は日本のIT企業AKAHAの社長、赤羽夜一。
お父さんが社長?……八束は震える人差し指で『赤羽夜一』のリンクをクリック。
画面が暗転。シャットダウンする。空調は切られているはずなのに寒気がする。
「えっと……一つ確認したいんだけど……赤羽さんのお父さんって社長なの? 世界富豪ランキング第四位の」
長い睫毛がぱちくりと瞬く。
「そうですけど?」
「ということは、社長令嬢?」
「そうなりますね」
「へ、へぇ……」
なるほど。やっと謎が解けた。
どうりで路地裏での一件が揉み消されたわけだ。どうりで高そうな武器をフル装備できるわけだ。
すべては大金持ちのお嬢様だから。ご都合主義をお金で買える存在だから。言われてみると月乃の物腰はどことなく上品で、お嬢様に見えなくもない。
「それじゃあ、弁償したっていうのは?」
「本当のことですよ。心配なさるといけませんから、今朝のうちにちょちょいと片付けておきました」
「そ、そうだったんだ……」
高級車一台分の大金を支払っておきながら、それを『ちょちょい』だなんて。タイムセールに飛びつく一般庶民とは住む世界が違う。
「えっと……その件については本当に感謝してるよ。ありがとう」
いやはや……もしかすると、とんでもない子に好かれちゃったのかもしれない。
「その分のお金はいつか必ず返すから」
「いいですよ、それくらい」
「金額が金額だし……ね?」
「返すくらいなら、そのお金を私たちの結婚資金に充ててくださいな」
「いや……それだけは……」
借金返済のために結婚なんてしたくない。
だが今は返す当てもない。
「別に見返りを求めてお支払いしたわけじゃありませんから、お気になさらないでください……ですが、そうですね……なまえ」
「名前?」
「お金はいりませんから、代わりに下の名前で呼んでくださいませんか?」
「え……」
照れくさそうな上目遣い。つまりこれからは『月乃』と呼べってこと?
「それは……ほら! つい昨日『赤羽さんに嫌われたい』って話したでしょ。それなのに下の名前で呼ぶのはまずいんじゃないかな?」
八束は諭してみた……が、
「……くらうん」
「……え?」
「くらうん、でしたっけ?」
「それって……」
上目遣いがいじらしい。
クラウン。それは昨晩沈めた車の名前だ。
「今朝、髪子さんに教わったんです。『この魔法の呪文を使えば、八束さんは何でも言うことを聞いてくれる』って」
「おのれ髪子……」
月乃は『くらうん』が何なのか、よく分かっていないのだろう。教えられた通り、魔法の呪文を唱える。
「そういうわけですので……くらうんっ。月乃って呼んでくださいな」
「あら可愛い……じゃなくて! そういうのはよくないと思うな」
「くらうんっ」
「あの、赤羽さん?」
「くらうんっ」
「高校生にもなって駄々っ子なんて、見苦しいんじゃないかな?」
「くらうんっ」
「えっと……聞いてる?」
一クラウン追加されるたびに顔が近づく。これでは身が持たない。
「あ~もう! 分かったよ……」
八束は観念して、
「……月乃。これで満足でしょ」
ここだけの話、女の子を下の名前で呼ぶのは照れくさかった。
月乃は名前を呼ばれたことがよっぽど嬉しかったのだろう、これでもかってくらいキラキラと目を輝かせる。
これで満足してくれたか……と思いきや、人差し指がぴんと立つ。
「もう一回、お願いします!」
「……月乃」
「もう一回」
「月乃」
「もう一回」
「何回言わせるんだ?」
「くらうんっ」
「…………月乃」
パソコン室で『月乃』が何十何百と繰り返される。月乃が満足するまで何度も何度も――。
四月一一日。赤羽月乃は唱えるだけで何だって叶う万能呪文『クラウン』を習得した。
――といった経緯で、鮎沢八束はストーカー系女子との共生生活なんていう、わけの分からない事態に陥ってしまったわけである。
八束は月乃に嫌いになってもらおうと一緒にいる。月乃は八束に好きになってもらおうと一緒にいる。
ここまでの流れを振り返ってみても……まったく。なんてややこしい話だろう。
八束は机に突っ伏して、月乃を眺める。どうやら初めての映画館デートが楽しみで仕方ないようだ。
「月乃ったら、あんなに浮かれて……」
こんな生活を続けて、はたして月乃に嫌われる日なんて来るのだろうか? 幸せそうな横顔を見ていると自信がなくなってくる。
まあ……今日はとりあえず風邪を引けばいいか。さっそく小声で咳の練習に取り組む、四月一八日の昼下がりであった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます