11にちめ「隣の席のストーカーさん」
玲奈は顔を上げるや、幽霊でも見たように眉を持ち上げた。
「わお、ヤッツーじゃん。生きてたんだ」
いつもなら『勝手に殺すな』と言い返すところだが、視界にはあいにく月乃しか映っていない。
傷口はとっくに縫い合わされたはずなのに、それが包帯の中でぱっくり開いてしまったような、嫌な感じがする。
「なんで……」
駆け寄ろうとした月乃へ、八束は叫ぶ。
「なんでお前がいるんだ!!」
赤羽月乃はこの場にいてはいけない。だってあんなことをしでかしたんだ。そんな『八束さんの身を案じています』みたいな顔をして駆け寄る資格だってありはしない。
それなのに本人はひどくショックを受けたような顔をする。行き場を失い、胸に当てた右拳を強張らせて。
「いくら照れ隠しのつもりでも、そんな言い方をしちゃ、かわいそうだろ」
凛の指摘。八束は「だってそいつは――」と洗いざらい暴露してやろうと口を開いたのだが……周りを見ると玲奈も田中も、悪者を見るような目をしている。みんながみんな月乃側に立っている。
どうなってるんだ……?
悪者はあっちなのに。これだとまるで立場が逆になってるじゃないか。
教室にいるのは、八束のよく知る三人と月乃だけ。それなのに、このアウェー感はいったい……月乃に向けた人差し指がへなへなと折れ曲がった。
寄せ集められた机を見ると、Lサイズのピザが五種類とLサイズの飲み物、さらにサイドメニューまでついたジャンクフードのフルコースが犇めいている。月乃の飲み物も用意されている。
もしかして……もしかしなくても四人で昼食をとっていたんだろう。知らない間に、友達にでもなったみたいに。
状況が読めない。月乃の存在といい、がらんとした教室といい、普通科の様相が二日前とまるっきり違うものになっている。
「隠さなくたって、もう知ってるんだから。つくのんと付き合いはじめたってこと」
「俺が? こいつと?……冗談でしょ?」
八束が紅い瞳と目を合わせると、月乃は途端に頬を赤らめる。
「ごめんなさい。私たちのことは……皆さんにすべてバレちゃいました」
もごもご白状したが、百パーセント『バラしちゃいました』の間違いだろう。
田中が「こちとら昨日のうちに赤羽から、洗いざらい聞いちまってんだよ」と吐き捨てたように、どうにも普通科では『八束たちは付き合いはじめた』とのでっち上げが浸透しているらしい。
無論、本人が白状した通り、発信源は赤羽月乃に他ならない。本人のいない間に外堀を埋めておこうと思ったのか、この様子だと、そこら中にあることないこと言いふらしたんじゃなかろうか。
月乃は『我こそが八束の恋人だ』という、いかにも凜たちの食いつきそうな作り話を引っ提げて、八束の居場所へ割り込んだ。だから二日の間に、彼らを味方につけることができたのだろう。
赤羽月乃。見かけによらず、とんだ策士だ。
しかも悪いことに……告白されたあの時なら、まだ話が当事者に限定されている分、いくらだって言い逃れできた。ところが今や二人の関係は、真偽がどうであれ周知の事実となってしまった。
こんな状況でいくら関係を否定しようとも所詮は後出し。誰も信じてはくれまい。恥ずかしがっているんだと、狼少年みたくあしらわれるのがオチだ。
「しらばっくれるも何も、本当に付き合ってないんだけど……」
「またまた~。そんな強がっちゃって」
ほらこの通り。不本意だが、今は好きなように誤解させておこう。
ともかく二人は付き合っている。この話を筆頭に、どうにも八束の周りは月乃の都合のいいように作り替えられてしまったらしい。
「いつまでも突っ立ってないで、こっちでのろけ話の一つや二つ聞かせなさい。今日は退院祝いってことで、玲奈お姉ちゃんが特別にピザをご馳走してあげるから」
まさか八束に大怪我を負わせた張本人がこの場にいるなんて、その正体が月乃だなんて、誰も思ってもみないのだろう。
みんな騙されている。
出合ったばかりの八束がそうだったように、みんなあの月の美しさに目を奪われて、裏の顔まで見えていないのだ。
「ほ〜ら〜、早く来ないとピザが冷めちゃうんだけど。冷めたピザとか、あり得ないんだけど」
まあ……玲奈の言う通りか。この場は素直に席に着くのが賢明かもしれない。
だってこの昼餐会は、気絶している間に月乃がどんな嘘八百を言いふらしたかを聞き出すには、またとない機会だから。
それに「あの……私も八束さんとお昼御飯をご一緒したいです、けど……」と手前勝手なことを主張する当人が、ばつの悪そうな顔をしているのが引っ掛かったし。
「――てなわけで、お待ちかね! お二人さんに質問タ~イム!」
タバスコの滴るピザを片手に、玲奈が八束たち二人を振り返った。なんか傍迷惑なコーナーが始まってしまった。
八束は現在、月乃の隣に座っている。藤川玲奈とかいうガキ大将に、半ば強引に座らされたのだ。
教室には八束たち五人の他に誰もいない。聞いたところによると、なんでも他の大多数は先のクラス会での飲酒が見つかり、近日中に退学になるんだそうだ――担任教師が奔走しているらしいが無理だろう。新学期三日目にして、早くも普通科生は絶滅の危機である。
赤羽月乃はというと……サラダカップにフォークを突き刺したまま、先程からもじもじと視線を送ってきている。猫を被っているのか分からないが、あの夜と見比べると『ジキルとハイド』さながらの豹変っぷりだ。
ひとまず目を合わせないようにしよう――なんたって怖いし。八束は体ごと玲奈を振り向いた。
「まずは定番っ。二人の馴れ初めは?」
玲奈が早速タバスコピザをマイク代わりに詰め寄ってきた。どうせ昨日のうちに根掘り葉掘り聞き尽くしたろうに……それはそうとタバスコが滴って、シャツにつきそうなんだけど。
凜と田中は聞き飽きたといった感じで外野に回り、黙々と机の物を平らげていた。特に田中は貧しさゆえ、ここ数日はろくな物を口にしていなかったのか、カロリーを蓄えるのに必死のようだ。
「馴れ初めって……まだ始まってすらいないと思うけど――」
「はい次。つくのん」
ピザがおざなりに月乃に向けられた。こうした回答は受け付けないらしい。
早くも選手交代。月乃の番だ。
「私ですか? えっと……そうですね。八束さんと初めてお会いしたのは、まだ私が非力だった頃。悪い人たちに路地裏へ連れ込まれそうになった私を、八束さんが助けてくださったことがきっかけでした。その時のお姿がとってもかっこよくて、ですからその……一目惚れ、しちゃったんです」
「わあ〜っ、それってもう少女漫画の世界じゃん。超憧れちゃうんですけど~」
黄色い声を上げる玲奈ちゃんと、顔を赤らめる月乃ちゃん。ガールズトークが七分咲きくらい盛り上がってきているが、ちょっと待った。
「いやいや。その話、立場が逆になってるよね? 助けたのは赤羽さんで、俺は助けられただけ。それに非力どころか、あの時の赤羽さんは不良相手にスタンガンをぶっ放してたじゃないか――」
「うっさい。今いいとこなんだから、話の腰を折らないでくれる?」
「いや、だって……」
「別にヤッツーの記憶と食い違ってたって、ロマンチックならいいじゃん」
「ええ……」
ここで八束はレッドカード。玲奈曰く、もうお呼びじゃないらしい。
「それで、いつ告ったの?」
仕切り直してガールズトーク再びである。
月乃はサラダカップを照れくさそうにつつきながらも、引き続きあの夜について語りだす。
このインタビューは八束から話を聞き出すのが目的だったはずなのに……まあ、そっちの方がありがたいのか。八束自身、月乃がどんな嘘を並べ立てるのか聞きたくて、ここにいるわけだから。
「……あ、そっちのシーフードのやつを取って」
もういいや。凜たちに倣ってピザでも食べることにした。これで少しは気が紛れるかな?
「告白したのは一昨日、月のきれいな夜のことでした。私たちはその時、路地を二人で歩いていて、いろんなお話をしたんです」
ここまでは、まだノンフィクションだ。
タバスコを拝借する。
「その中で八束さんが『一緒にたくさん思い出を作りたい』って、おっしゃってくださって」
あくまで友達としてだが……八束はほかほかのシーフードピザにタバスコを垂らした。輪切りのイカと黒オリーブの載った見た目が、空きっ腹をこれでもかと刺激する。
「それがすっごく嬉しくて。その一言が引っ込み思案な私の背中を押してくれたんでしょう」
それで例のサイコパスイッチがONになったのか。なるほど……ピザにかぶりつく。
「おいしい……」
一口目からチーズや魚介の旨み、それから刻みバジルの爽やかな香りが相まって、口の中が幸せになる。
「想いを抑えきれなくなった私は、思い切って気持ちを打ち明けることにしました」
ナイフ片手にな……次第に雲行きが怪しくなってきた。八束は弾力自慢のイカともっちゃもっちゃ格闘しながら、聞き耳を立てる。
「そしたら八束さんも同じ気持ちだったみたいで」
はい、フィクションスタート。
「胸に飛び込んだ私を優しく受け入れてくださいました」
あれはそんなロマンチックな代物じゃなかったと思う。壁にナイフが突き刺さっていたし、八束さんは発狂寸前だったし。第一『受け入れざるを得なかった』の間違いだし。
「それで二人はいつキスしたの?」と玲奈。
「――きっキスですかぁっ!?」
途端に真っ赤になる月乃。
「――き、キスって!!」
反対に真っ青になる八束。
確か気を失う寸前、吸血鬼ごっこをした月乃が、汚れた口で迫ってきたんだっけ。断りもなく馬乗りになって……あのべったりした感触や、噎せるほどの血の臭いを思い出すと、
「オエッ……」急に吐き気が。
八束は慌ててコーラを取り、間一髪、喉の奥へ押し戻した。危うく吐くところだった。
「キス、したんでしょ?……ほらほら~、早く白状して楽になっちゃいなって」
それはそうと、男性陣もしれっと手を止めたくらいだから、もしかするとキスの件だけは今の今まで内緒だったのかもしれない。
月乃は頭から湯気が出そうなくらい紅潮して、必死に目を泳がせている。それでも……観念したように小さく頷いた。
「あはっ! やっぱり?」
途端に玲奈が手を叩いて笑いだした。凜たちだって嫌な笑みを浮かべた。教室内はちょっとしたお祭り騒ぎである。
お隣さんは熟れたリンゴみたく真っ赤に茹で上がっているが、恥ずかしいのは八束だって同じ。だってキスしたのはれっきとした事実なんだから。
ところで今までの話を聞いて、分かったことがある。
月乃の話はあながち間違いじゃない。事実を元に作られている。ただ八束に理想像を重ねてしまっているがために、見えているもの、感じているもののすべてが少女漫画チックに美化されているだけなのだ。
あの紅い瞳が八束じゃない八束を見ているように、月乃は世界を自分勝手な妄想で塗り固めているのだろう。
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