夜空

桜野 叶う

夜の星の向こう

 真っ暗の闇の中に、きらきらの星が、いくつか散りばめられていた。


 夜なのにあっつい、熱帯夜だった。


 もう、セミの声も子どもたちの声も聞こえない。代わりに、どっかの田んぼから聞こえる、カエルの声がやかましい。


 一年前は、二人で一緒に見ていた。今は私ひとりだ。


 あの真っ暗闇の、空の向こうに、君はいるのかな。


 闇に紛れて見えづらい、雲にのって。


 君との楽しかった思い出が、蘇ってくる。



 

 君との出会いは、一年生のとき。


 一目惚れだった。

 

 なかなかキレイな顔立ちで、他の男子たちと、くしゃっと笑うその笑顔を見た瞬間。打ち上げ花火が満面に咲いたときのように、私の目は引き込まれた。


 心臓の鼓動を、私は、はっきりと感じた。


 そして目は、彼の笑顔に奪われた。


 まだ名前もよく知らないのに。


 彼の胸元の名札には、『星』と『水』の文字が書いてあった。


 どう読むのか、わからなかった。


 あまり、人に声をかけるのが得意ではない私は、ただ遠くから、彼を眺めていただけだった。


 彼は、野球部に入っていた。だからか、髪もかなり短く、肌の色も黒めだ。それがまた素敵であった。


 私は何も所属していない。図書館で文庫本一冊を読み終えると、すぐに帰る。


 その際、野球部が練習している横を通過する。そのとき、必ずといっていいほど、彼の姿を探す。見つけることができたら、この目に焼き付けようとする。そして、私の心は嬉しい気持ちで満たされる。


 彼との接点はいつだったっけ。


 そうだ。河原だ。夏の暑い時期になると、河原に行く。そして、足首までつかる。ひんやり冷えて気持ち良い。そのまま岩に腰を下ろして、ぼーっとしていた。


「あ、えっとお」

 すると後ろの方から声が聞こえた。


 誰か少し検討がついた気がした。胸がざわつく。

 

 はっと振り向くと、やはり彼だった。

「そうそう、柳葉やなぎばさんだ! 苗字カッコよすぎでしょ」


 彼は、すぐにこちらに降りて、私のすぐ隣に座った。


 近い! 近すぎる!


 少しでも動こうものなら、彼に触れてしまう。


 だから、動けなかった。あのかったい小豆のアイスのように、カチコチに固まった。


「……えっと星くん?」


「あー。俺ね、苗字よりも名前で呼んでもらいたいのよ、スイレンっていう」


「あ、『スイ』なんだ」


「『ミズ』じゃないよ。みずはすって書くけど。これすっげえ、気に入ってんだ」


「そうなんだ」


「んで、君は確か、アヤメだったよねカタカナで」


「そう。カタカナなの。聞いたら、カタカナの方がおしゃれでかっこいいからだって」


「たしかにカッケえな」


「アヤメの花の花言葉が『よい便り』だって」


「へー」


「俺、花言葉なんて知らねえや」


 でも、水に濡れるの好きなんだ。


 と、水蓮くんは立ち上がり、川の中の方へ進んでいった。


 そして何と、川の中に腰を下ろした。


「え! びしょびしょになるよ」

「ええよ」


 上半身も倒し、全身で川の中に浸かった。


「アヤメちゃんも来る?」

「いい。あんまりびしょびしょになるのはいやだし」


 すごいな。あんなこと中々できないよ。


 川の中に浸かる彼の顔は、とても無邪気なものだった。


 あのキレイな顔の、あんな無邪気な顔は反則だ。


 すぐ近くにある太ももに、顔をうずめた。


 反則すぎて、心臓がぎゅーと苦しくなった。息が荒くなる。


「アヤメちゃん?」

 

 気が付くと、目の前には、彼がいた。


「あ、ごめん。だ、大丈夫だよ」


 私は、慌てて言った。水蓮くんは私のおでこに手を置いた。


「熱はないみたいだね」


 私はびっくりして、その手を避けるように、たち上がった。


「じゃ、じゃあまたね」


 と早歩きで帰ろうとする。


「ついていくよ」

 

 彼は私の横を歩いた。


「おい! 星じゃねーか」


「何やってんの?」


 河原の上から、自転車の集団が声をかけてきた。一部私も顔を知っている男子たちだ。


「あー野球部の連中だよ。悪いね」


「柳葉さんもいる!」

「たまたま見かけたんだ」

「てかお前、びしょびしょだな」

「濡れんの好きだからさ」

「アホじゃね」

 男子たちは皆、笑っていた。


「やっぱコイツらと行くから。またね」


「またね」


 彼と別れてすぐに、これまで穏やかだった感情が、ドンとこみ上げてくる。

「わぁ、ヤバイヤバイ」


 じっとしていられなくて、闇雲に走った。



 彼との思い出は、まだまだあった。


 あるとき、野球部の皆を引き連れてやってきて「アイス皆で食べようよ。おごったるで」と誘ってきた。もちろん、誘いに乗った。


 そして皆でコンビニに行って、アイスを買った。皆おんなじ、ソーダのアイスを買って、お店の前で食べた。


 あるときの夜に、このときは二人だけで、花火をやった。線香花火。シュー!と激しく燃える花火など、いろいろやった。


 花火をした後、見上げると、きらきらの星が散りばめられていた。


「きれいだね」


「きれい」


 私は、おそるおそる彼の方へ身を傾けた。それに気づいたのか、彼の体の方が先に、私の身を包んだ。


 この時間が、ずっと続けばいいのに。そして、また次の夏も、その次の夏も、同じように二人で過ごす時間ができると思っていた。


 それを、信じて疑わなかった。


 しかし、彼と過ごす次の夏など、二度とやってこなかった。


 それは、八月の終わりごろ。


 川で遊ぶのも、もう終わりかなって言ったら


「そうかな。いいなあ、川って」


 いつ見ても変わらず、穏やかに流れてるんだもん。


「俺も川になりてぇよ」


 と、水蓮くんは言った。これは彼の口癖であった。


 今回はもっと奥に行くと、川の中に潜ったっきり帰ってこなかった。


 違和感を覚えた私は、彼の名前を呼んだ。しかし、彼は顔を出さなかった。

 

 私の顔は、青ざめたのだと思う。


 そこへ、いつもの男子たちが通りかかった。



 水蓮くんは、あの無邪気な魂を、大好きなこの川に授けたのだろう。


 口癖だった、川になりたいを叶えることができたのだろう。




 私は、きらきらと光る星を見ている。


 望みはただ一つ。


 もう一度、彼に会いたい。


 ツーっと涙が伝う。


 寂しいひざに、顔をうずめた。







 


 








 



 

 


 

 




 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

夜空 桜野 叶う @kanacarp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ