第四章

4-1

 古賀登史彦としひこという教師について。


 二七歳、男性、担当教科は数学。出身は隣の県だが、地元の大学を出てこの学校に採用された。それ以来、仕事の上で問題になることはなし。


 外見はまあまあ。見た目の欠点らしきところはなく、女性からも嫌われず、男性からも反感を買わず。特徴がないと言ってしまえばそれまでだが、そんなことを言い出したら世の中の男性のほとんどは個性がないことになってしまう。


 三年前から担任を持っているが、たまたま運が良かったこともあり、大きな問題児に遭遇することもなく、トラブルなく仕事をこなしているというのが周囲の見解だった。部活動の顧問などは持っていないが、授業外でも生徒から質問されたり相談されたりすれば適切に対応していた。勤務態度はいたって真面目で、生徒からの人望も厚い。常に生徒のことを親身になって考える、模範的な教師である。


 ただ、あまりにも教育という仕事に没頭するあまり、私生活をないがしろにしているようではあった。それが原因で、半年前に婚約関係にあった女性と破局を向かえたというのが、一時期職員室での噂になったが、それによって彼の仕事ぶりが落ちることはなかった。教員仲間の何人かは慰めようと飲みに誘ったりしたらしいが、自業自得だからと笑って断ったらしい。


 ただ最近少し顔色がすぐれないようだと周囲は感じていた。同僚が保健室に相談に行くことや、人間ドックを受けることを勧めていたが、古賀は「いやあ」とだけ言ってごまかしていた。病院が嫌いな人間というのも珍しくないので、それ以上の無理強いをすることはなかったらしい。


 真面目で良い人。


 真剣な良い教師。


 男性としては……ちょっと難有り?


 仕事に理解をしてくれる相手さえ見つかれば、円満な家庭を築きそうな人物だった。


 以上、慈愛が学内のデータベースと何人かの職員から聞いた情報である。


 悪い噂がほとんどないのがむしろ怪しくはあるが、保守的な世界では、地味で真面目なことが一番重要だったりする。その点、古賀は安全なポジションにいる人間なのかもしれない。


 自室でコーヒーを飲みながら考えてみる。


 いくら指導熱心で真面目な教師とは言え、やっぱりあの時間に繁華街に女子生徒と一緒というのは、問題だったのではないだろうかと。


 でも、安全なポジションの古賀が、あえて問題になるようなことをするだろうか。だとすれば、やはりあれは生徒指導の一環かなにかで……。


 無理な説明だな。


 慈愛が生徒達を連れてあんな場所にいて、もし警官に職務質問されたら色々聞かれるだろう。そういう世の中だし。古賀だって同じことだ。


 教師仲間に聞いただけでは、分からないこともあるのだろう。もしかしたら、生徒達の情報網のほうが正確だったりするかもしれない。放課後になったら、千尋達に聞いてみようか。


 ——なんか今日のコーヒーは、淹れるの失敗したかもしれない。


 カップを机の上に置いた。


 昨日の出来事、すなわち繁華街での<縁脈>の乱れについては、古賀の件とあわせて報告書を作成した。鴉外衆の頭領である秦悠大には既に電子メールで送ってあるが、直接話して説明したほうが良いだろう。


 スマホのアドレス帳から、番号を探す。そういえば、昨日のうちに千尋達の電話番号を聞いておけばよかったと思い出すが、高校での生徒と先生の距離ってのは、携帯電話の番号を教えあうくらいに近づいてもいいものなのだろうか。


 数回の呼び出し音の後、頭領が出た。慈愛は頭領が着信音に流行りのエレクトロポップスを使っていることを知っているので、電話の先の様子を想像して自然と笑いが浮かんでくる。


「頭領、今電話しててもいいですか」


「慈愛か。構わん」


「送った資料についてですが、古賀って先生は関係あると思います?」


「結論を急くな。その前に先日の<綻澱>についての話が先だ」


「倉坂という教師のですね」


「あの綻澱は、繋がっていないな」


「と言うと? 被害者とですか?」


「うむ。教師と女子生徒は、どういう関係だったのだ?」


「どういうって……多分、普通の教師と生徒だと思いますけど」


「それにしては、<縁脈>が繋がっていない。尊敬も反発も依存も忌避も、何の構造も存在していないのだ」


 それは……確かに、倉坂と依里との関係については、考えてもみなかった。


「調べておきます。ツテは、無くはないので。それで送った資料の方は」


「<縁脈>の乱れだな。しかも不自然な」


「不自然ですか」


「作為が見られる」


「通常、<綻澱>は偶発的なものです。人が歪めば、綻澱も生まれます。たまたま、<綻澱>を抱えた人間が通りがかったということはないのでしょうか。それとも作為ということは、誰かが意図的に<縁脈>を乱し、<綻澱>を発生させたというのですか?」


「その可能性が否定できないのだ。偶発もいくつもが同時に発生すれば、そこに何らかの関係があると見るのが常だ。慈愛よ、他言無用と心得て聞け。漢波羅の柱、伊勢の三心柱の一つが、何者かに盗まれたらしい。賀茂、秦、忌部の三家が全力で探しているが、手掛かりは見つけ出せていない。このことはまだ全ての八咫鴉には知らされていない。十二鴉と、それに近しい者だけが手にしている情報だ」


 秦悠大は、かつて十二鴉であった者だ。今も漢波羅との繋がりがある。


「いい気味ですね。漢波羅なんて自己中心的な組織は、破滅してしまえばいいんだわ」


「そう言うな。心柱を盗まれたのは、我々鴉外衆にとっても脅威になる。盗んだ物が現真律世会であれば、特にだ」


「あの政治家連中の集まりですか。なんでまた、普通の人間が心柱なんか」


「心柱を使えば、普通の人間でも<縁脈>に介入できる。——不思議だとは思わないか。どうして今のこの時代に、心柱を盗み出す必要があったのか。どうしてそれと同じ時期に、ぬしのところで作為的な<縁脈>の乱れが発生しているのか。因縁があるとは、思わんか?」


 因縁、すなわち関係性。それは構造の一つだ。慈愛の目は、その構造を見抜けるか。


「<縁脈>の歪みが、現真律世会の人間に繋がっている可能性があるということですね」


「人か、あるいは人にあらざる何かか」


「そんなオカルトじみたこと、言わないでくださいよ」


「そういう物言いは、あやつにそっくりだな」


「……師匠は、元気ですか?」


「知らぬ。とんと音沙汰がない。どこでどうしているのやら。心配したところで、詮なきこと。ぬしはぬしのやり方でやるがよい」


「……はい」


 通話を切る。


 自分のやり方、か。


 研究室を持ちたい、学生の指導をしたいというのは、どれも先駆者から受け取ったやり方だ。無論、八咫鴉としての弟子は取っていないが、仮に取ったとしても、やはり師匠の真似から始めるのだろう。


 代々受け継がれていく、技術と知識、そして能力。


 それは一つの流れという、構造に間違いない。


 しかし、たとえ流れる水が同じでも、流れる川の形は同じではない。慈愛の周りには、子供達がいる。未熟な、未熟な子供達。でもきっと慈愛が自分のやり方を見つけるための、手助けになるだろう。


 千尋の顔が浮かぶ。繊細で、純粋で、でも何かを心に秘めた少年の顔。


 そう考えると、高校という環境もそれほど悪くない気がしてきた。


 そんなことよりも、今は学校の問題、すなわち古賀の問題だ。


 先日の倉坂の一件では、倉坂と依里との間に、明確な関係は存在していなかった。部活動での縁があるわけでもない依里が、技術科の教師と深密になる理由が分からない。倉坂の<綻澱>はどこから発生したのか。何が直接の原因なのか。


 そして、現真律世会か、あるいは何者かが<縁脈>に影響を与えているとする。それがこの近辺で起こっていて、<綻澱>を生み出す可能性を高くしているとする。


 歪んだ<縁脈>の近くに、天城依里と古賀がいた。


 依里と古賀の関係は……?


 果帆子の言っていた鬼のゲームという言葉が思い出される。


 倉坂の一件が、現真律世会が心柱を用いて人為的に起こした汚染であるとすると、同じような立場の教師が再び狙われても不思議はない。


 次の犠牲者は古賀だということだろうか。そうであれば、天城依里は再び男性教師の毒牙にかかろうとしているのだろうか。


 男を吸い寄せる、魔性の女。


 案外、原因は依里なのかもしれないと思ってはみたが、あの覇気のない陰気な女子生徒に何ができるとも思えない。何より、そういう種類の悪意が感じられない。あるのは、ひたすら弱さのみ。美香奈は気にかけていたが、正直慈愛には苦手なタイプの女子生徒だった。


 誰と誰が繋がっているのか。慈愛の目は、まだ構造を把握できていない。

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