1-3

 千尋はクラスの中でも背が低いほうで、しかも二年生なので、全校集会で整列すると中央前方の教師達の目に付く場所に立つことになる。後ろめたいことなんか何もないけれど、ずらりと並んだ教師陣の視線に晒されるのは、やっぱり気分が良いものではない。


 新学期最初の全校集会は、始業式から一週間後の晴れた日で、生徒達は新しい学年の緊張感を幾分残したまま整列した。


「ここで新任の講師の先生を紹介します」


 司会の女性教師の声に、生徒達がざわめきだす。新任だって? 新学期が始まって一週間。遅れてくるにも間が悪すぎる。中途半端だ。


 千尋の背中を誰かが指でつつく。どういうことだよ。知らないよ。そんな声が列の前から後ろから広がっていく。


「姫末慈愛先生です」


 呼ばれて朝礼台に昇ったのは、どこから見ても大人の女性だった。おぉっという男子生徒の低い声が響く。こういう時だけは、声変わりを過ぎた声帯をフル活用している。反対に女子は、白ける生徒と対抗意識を剥き出しにする生徒が半々くらい。なんてたって、大人の女なのだ。


 千尋はマイクの前に立った女性を見上げた。


 大人の女の靴に、大人の女のくるぶしに、大人の女の太腿に、大人の女のスカートに、大人の女の腰に、大人の女のウエストに、大人の女のバストに、大人の女の鎖骨に、大人の女の——疲れた顔。


「姫末慈愛です。えっと……ほどほどによろしく」


 そして疲れた声。


 咳払いに続いて、校長が説明を始めた。


「姫末先生は、カウンセリングルームとパソコン教室を担当してもらいます。先生は大学で心理学とコンピュータを勉強した方で」


「いえ校長先生、私の専門は認知構造学で、心理学とも計算機科学とも違うのですが」


「まあまあ、いいじゃないですか。お願いしますよ」


「はあ。一応引き受けましたから……」


 首を前にかくんと倒し、大きなため息を一つ。かと思ったら、マイクをがしっと掴んで顔をあげた。


「いいわ! やってやろうじゃないの。少年少女たちよ、よく聞きなさい。悩みがあったら私のところに持ってきなさい。いくらでも相談にのってあげるわ!」


 言うだけ言うと、その場で回って朝礼台を降りていった。


 変な先生が来たものだと、千尋はぼんやり見上げていた。


 それだけのことだと、思っていた。




 全校集会の後の教室は、新任美人講師の話題で持ちきりだった。自分のクラスの担任になってくれないものかと考えていた男子生徒には期待外れだったが、カウンセリングルームで生徒全員の相手をまんべなくしてくれるというのは良いニュースだったかもしれない。


 その日の昼休みに24HRの教室で、千尋が友人の長岡ながおかと昨夜のお笑い番組の新人について話していると、沢田さわだ美香奈みかながいつもの調子で話しかけてきた。


「ねえねえ、ちょっとちょっと、千尋千尋」


「二回言わなくてもいいって」


「あのさあのさ、カウンセリングの先生のこと」


「全校集会の変な先生だろ? 姫……なんだっけ」


「姫末慈愛先生。シエは慈愛って書く。もうね、若くてピチピチで、ボンボンッ、ボバンババンボンバンバンボンバンボン」


「意味分かんないよ」


「誤魔化すなよ、青少年っ!」


 美香奈は千尋の背中をバンバンと叩く。いつもの光景だ。ショートボブの美香奈は千尋とは小学校からの腐れ縁で、頻繁に千尋のところを訪れてからかっては他の友だちのところにいき、また一周して千尋のところに戻ってくる。温和な千尋と並べると、喋りかただけだったら、どっちが男か分からない。


「沢田は元気だな」


 横から長岡が口を挟むと、美香奈は親指を上げて答えた。


「元気よ。元気も元気。女にしておくのはもったいないねっ」


「で、美香奈は姫末先生の相談室に行ったの?」


「まだよ。まだだけれど、相談事は慎重に決めなくちゃ。一人三回までという取り決めにしようかなんてことを言い出している人達もいるくらいなんだし」


「そんな、どっかの神様みたいなこと言って……」


「それに男子のほうが気になるんじゃないの? ボバンババンボンな上に、眼鏡着用よ、あの先生。冷たい感じじゃなくて、眼鏡っ娘って感じよね。ありゃ、眼鏡を取ったら大人の女に豹変するタイプね。千尋も何か相談しときなって!」


 背中をバンバン。


「美香奈のほうがよっぽど楽しそうじゃないか。相談することはないの?」


「わたし? 男の子になりたい、かな」


「美香奈らしいね」


「沢田はそんまんまでも男で行けるんじゃね?」


「うっさい。あんたは三組の玲子ちゃんとのこと相談してればいいのよ」


「な、なんでそれ知ってんだよ!」


「へへん、なめんじゃないわよ」


 美香奈と長岡がぎゃあぎゃあと始めたのを見て、千尋は立ち上がった。黙って教室を出る。二人は顔を見合わせるが時計で時間を確認して納得した。


「なあ……、あいつのあれって、直らないのかな」


「うーん、昔っから……でもないわね。中学からだっけかな」


「沢田は理由を知っているのか?」


「うー、……ううん、知らないや」


 教室のドアの先、千尋がトイレに向かうのが見える。その姿を追っていたら、二人は言い争うのを忘れていた。




 千尋は手を洗う。


 昼休みが終わる時間になると、毎日トイレに来て手を洗う。


 石鹸を良く泡立てて何度も手をこすり合わせ、指の間、爪の隙間にまでこびりついた汚れを削ぎ落す。水で流して再度石鹸を泡立てる。汚れなんかついていないのは分かっている。でも何かがまとわりついている感覚が抜けなくて、何度も洗う。


 まだ自分に汚れが残っているんじゃないかという不安をひきずったまま、だけど昼休みが終わる時間なので、あわてて手ぬぐいで手をふく。愛用の手ぬぐいだ。薄いベージュ色で、何枚も同じ色のものを持っている。毎日洗ったばかりのものを引き出しから出してポケットに入れる。


 どうしてタオルではなくて手ぬぐいなのかと美香奈に聞かれたことがあった。


 手ぬぐいはタオルと違って四辺をかがっていない。切断したままの状態で使う。だから使っているうちにほつれてくるという欠点はあるのだが、引き千切ることが簡単にできる。


「時代劇でさ、鼻緒がとれて困っている女の人を見付けて、手ぬぐいを引き裂いて紐を作って助けるシーンとかあるじゃない?」


「なんだっけそれ、教科書に乗ってたわよね。ええと……」


「樋口一葉のたけくらべ。あれは男女が反対だけどね」


「でもそんなの、今の世の中であるわけないじゃん」


「気持ちの問題だよ」


 何の気持ちなのだろうかと千尋自身も疑問なのだが、なんか非常時に備えるという心構えが気に入っている。まるで手ぬぐいがもしもの時に自分を守ってくれるような気分になるのだ。


 どうして毎日手を洗い、どうして毎日手ぬぐいを持つのか。


 実は千尋はその理由を分かっている。


 でも思い出したくない。


 ついつい昔の記憶に気持ちが移りそうになったのを無理矢理引き戻し、手ぬぐいをポケットにしまって教室に戻った。


 思い出したくないんだ。




 満員御礼! 慈愛先生の人生相談室へようこそ!


 ——なんて看板を出したくなるくらい、慈愛のカウンセリングルームには生徒がひっきりなしに訪れていた。


 慈愛には個室が与えられ、入口側の半分が仕切られて相談室になった。教員の中では特別待遇ではあるのだが、仕事内容も特別なんだから仕方がない。


 慈愛は、大学での基礎教養として、一応カウンセリングの講義も受けてはいたが、精神科の医師でもないし臨床心理士の資格を持っている訳でもない。あくまでアマチュアの相談員という立場での仕事になる。


 そのあたりの事情は、校長から生徒と父兄に向けてきちんと説明してあるのだが、それでも相談したいという生徒は後を断たなかった。


 客が来るなら相手をしなければならない。


 慈愛は学生時代の記憶と、沈みかけているモチベーションを懸命に引っ張り出して、生徒の相手をしていた。


 カウンセリングは相手を批判するものでもないし、アドバイスをするものでもない。「死ぬわよ」なんて脅すのはもってのほかだし、オーラを根拠に人生の指針を示すのも余計な御世話だ。


 相手がカウンセラーに自分の悩みを話し、そのことで自分の中に隠れている答えに自分で気付くことが出来たら、それが一番良い。もちろん専門的な治療技術は様々存在しているので、必要に応じてそれらを組み合わせて使うこともあるが、大事なのは何が問題かを相談する本人が自覚することである。


 だからカウンセラーの仕事は、まず相手の話をきちんと聞いて、受け止めてあげることにある。


 その日の最初の来訪者は男子生徒だった。慈愛は部屋に入って来た生徒を、高級な革のソファーに座らせる。こういうところで相手をリラックスさせるのも重要なファクターだ。


「えっと、一応クラスと名前を聞かせてくれるかしら。もちろん私の手もとで記録するだけで外部には——もちろん他の先生にも漏らしません。クラスを言いにくいなら名前だけでも構わないわ」


 慈愛はタブレット端末を机の上に置いて尋ねた。書いている内容が相手に見えるというのも大事なポイントで、そのためにはキーボードよりもペン入力のほうが都合が良い。


「32HRの田原です」


「田原くんね。今日の話はなにかしら」


「実は……三ヶ月前からつき合っている女子がいるんですけど……あ、俺は野球部で今年が最後なんですけど」


「うんうん。三年生だものね」


 慈愛は大きくうなずいて同意する。同意と共感。それが相手から次の言葉を引き出す。


「だから野球部の練習をマジやってるんですけど、彼女と会える時間とか少なくなっちゃって、彼女が私と野球とどっちが大事なのとか言って」


「うんうん。それは大変なことね」


「でもどっちとか言われても、俺野球やりたいし、三年だし、でも彼女も大事だし」


「うんうん。どっちも大事なのね」


「そうなんすよ。どっちも大事なんすよ」


「どっちも、よね。それは当然なことよね」


「……そうか、そうなんですよね。どっちか選べと言われても、どっちも大事なんすよね」


「うんうん。彼女はそれを聞きたいんじゃないかしら」


「そうっすか、そうっすね! 話してみます。ありがとうございます!」


 なんていう風に話が進めば良いのだが、そう上手くは事が運ばないこともある。


「14HR。和泉いずみ岐代子きよこです」


「はい。和泉さん。今日はどうしたの?」


「兄の……兄のことなんです。兄が私に変なちょっかいをかけてくるんです。性的な意味で」


 これは重いのが来たなと慈愛は思った。努めて柔和な表情を崩さないように、それでいて真剣な態度を保つようにする。


「それは、大変な話ね」


「ええ。私の部屋に勝手に入って来て、勝手に物を取って行ったりするんです。性的な意味で」


「うんうん、それで?」


「私がテレビを見ていると勝手にチャンネルを変えたりするんです。性的な意味で」


「うん? それで?」


「夕御飯のおかずに嫌いなピーマンが出ると私のお皿に置いたりするんです。性的な意味で」


「うーん? それで?」


「格闘ゲームをやっていると、突然対戦に割り込んだりするんです。性的な意味で」


「うーん。それはお母さんあたりに相談したほうがいいかもしれないわねえ。あ、くれぐれもお父さんには相談しないほうがいいと思うわよ。余計な心配すると思うから。性的な意味で」


「性的な意味ってなんですか! いやらしい想像しないでください!」


「帰れ」


 少し頭が痛い。


 前の生徒を早々に帰してしまったので、時間が空いた。慈愛はコーヒーを入れ、居室の奥の机に向かった。作業用の椅子もそれなりに良いものを使っている。


 生徒に与えるイメージを考えて、最近ではゆったり目のスカートをはくことが多くなっていた。それと白衣とスニーカー。白衣は理系にとっては作業着みたいなもんだし、スニーカーは実用重視だ。


 流されているなあと思う。


 やる気はないし、実際やる気を出してもいない。


 最初は校長の勢い、途中からは生徒達の熱気に流されて、ついつい相談員の真似事をしてしまっているが、本来自分がやりたかった仕事はこんなことじゃない。自分の研究室を持って、認知構造学の講座で生徒の指導をするのが、自分が夢に描いていた大学での仕事だったはずだ。確かに部屋は与えられたが、ここは研究室ではない。一緒に研究する生徒もいない。


 眼鏡の位置を指で直して、窓の外の校庭の景色を眺める。ボールを追いかけるサッカー部、素振りをするテニス部、同じフレーズを繰り返す吹奏楽部。高校生は本当に元気だと思う。


 高校生の日常もまた<縁脈>で出来た構造である。相談室にやってくる生徒の悩みの多くは人間関係だ。そして問題の多くはちょっとした関係のずれや行き違いから発生し、それを少し矯正するだけで直ってしまう。いや、多くの場合は矯正すら必要ない。高校生達の関係性のリンクは、まるでバネで出来ているかのように柔軟で、少しの歪みなら自然に補正される。だから淀みも生まれないし、<綻澱>も生まれない。


「ここだと、八咫鴉はあんまり出番がないかもね。抜け出した私には、丁度いい隠れ場所なのかもしれないけど……」


 コーヒーをすすりながらつぶやいた。


 ドアをノックする音で、意識が室内に戻される。あわてて「どうぞ」と声をかけてカップを机に置いた。


 次の相談者も女子生徒だった。小柄で細身で、折れてしまいそうな美少女だ。ストレートの黒髪を後ろでまとめてバレッタで留めている。「お嬢様」という種類の女性を、慈愛は大学で何人か知っているが、高校生で、しかも嫌味のないお嬢様というのは奇特だなと思った。


 席を勧める。女子生徒は静かに座った。衣擦れの音すら出ないようだった。


「11HRの貴崎たかさき果帆子かほこです」


「貴崎さんね。……どこかで聞いた名字ね。まあいいわ。えっと、今日は」


「ええ、先生が何かお困りなことはないかと思いまして」


「私がオコマリなこと?」


 言葉遣いが丁寧すぎるのもさることながら、質問の内容も不思議だった。相談員が生徒に質問されるなんて。


「もし先生が困っていることがあるのでしたら、お手伝いしたいと考えています」


「貴崎さん? 私、別に困っていることはないわよ?」


 仕事上の悩み事で猛烈に困っているのは本当だが、それは生徒に相談する種類のものではないし、相談して解決できる種類のものでもない。


「そうですか。……先生、本当によろしいですか? もうすぐゲームが始まりますのよ」


「ゲーム?」


 貴崎果帆子は両手を顔の横に上げ、パンパンと叩いてみせた。


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ。簡単なゲームです。ほんのお遊びみたいなものです」


「それが、どうしたの?」


「ほんの小さなゲームが、この国を揺るがすように始まるのです」


 鬼という言葉が慈愛の心にひっかかる。彼女は何を言っているのだろう。もし深い意味を持って言っているのだとしたら——いや、まだ相手の言葉には乗らないほうがいい。


「貴崎さん、あなたが何を言っているのか分からないわ」


「そうですか。それなら結構です。失礼しました」


 貴崎果帆子は静かに立ち上がり、黙礼する。顔を上げながら、


「もしお困りなことがありましたら、本当にお手伝いさせてくださいね」


 静かに言って、部屋を出ていった。


 不思議な生徒がいたものだ。


 去った後もなんとなく静謐な空気が残っているような、そんな不思議な雰囲気の少女。彼女が純粋に新人講師の自分のことを心配してくれたのか、それとももっと他の理由があるのか分からないが、不思議なことに変わりはない。


 改めて机に戻り、冷めたコーヒーを飲んだところで慈愛は思い出した。


 貴崎——この悠貴崎学園を設立した一族だ。現在は学園の運営には関わっていないはずだが、そこの令嬢が高校に在学していたとしても、不思議でもなんでもない。もしかしたら家のほうから慈愛の様子を見てくるように言われたのかもしれない。


 しかしそうだとすると、さっきの言葉の意味が変わってくる。彼女はどうして「鬼」という言葉を出したのだろうか。彼女と、そして貴崎の一族は何かを知っているのだろうか。慈愛がこの学校に着任したのは、教授の紹介で公募を知り、通常の選考過程を経てのことだが、そこに何か作為が働いていたりするのだろうか。鬼についての、何かが。


 そこまで考えて、慈愛の推理は止まる。目の前に並んだごくわずかな材料しかない状況で、何を推理しようというのか。これじゃあ駄目だなと思う。もっと視点を高くしなくちゃ。<縁脈>を見るものは、高い視点が要求されると、師匠傍点も言っていたじゃないか。


 ドアがノックされた。


 今日の予約は終わったはずなのにと思いながら、慈愛はドアを開けた。


 眼鏡の女子生徒が慈愛の胸に飛び込んできた。


「と、隣の部室で変な声がするんです。なんとかしてくださいっ!」


「……変な、ってのは、もしかして性的な意味で?」


 女子生徒はきょとんとして答える。


「よく分かりましたね」


 今日はそういう日なのだろうか。あんまり気が進まなかったが、慈愛は女子生徒に腕を掴まれて懇願された。


「とにかく来てくださいっ!」


 そのままずるずると引きずられる。校舎の構造をまだ完全には把握していないのだが、連れられて行った先は、多分文科系クラブの部室が集まっている棟のはずだ。


「ここです」


 ドアの上には「コンピュータ部」のプレートが掲げられている。


「聞いてください」


 と、女子生徒は腰を落し、ドアに耳を付けた。慈愛もつられてドアに耳を押し付け、回りを手で囲い、中の音に耳を澄ませる。


『千尋は臆病なのよ。もっと大胆になっていいのよ? 』


『そんなの無理だよ。こんなの、乱暴すぎない? 』


『平気だから、早くしてよね』


『沢田が良いって言っているんだから、千尋、やっちまえよ』


『先輩まで……、でもやっぱり僕、こういうやり方はあんまり好きじゃないよ』


『いいから、早く、早くして』


『ん……じゃあ、いくよ』


 {\gt『あ、あん』}


 慈愛はドアから耳を離した。


「三人……いえ、四人で、みたいね」


「さっきからずっとこんな感じなんです。隣の部屋まで聞こえてくるんですよ」


 隣は、と見ると、「創作文芸部」のプレートがかかっている。読書中にこんな声を聞かされては堪らないだろう。


 まあ、ねえ。


 慈愛は頭を掻いた。


 教師でない自分が生活指導をしても良いものかしらとか、いやむしろ性活指導か、なんて思いつつ。隣ですがるような目で見る女子生徒の様子も気にはなるし。


 こういうのを指導したくてうずうずしている先生もいるだろうに、どうしてやる気のない自分のところに舞い込んでくるのだろう。


 でもまあ、これも大人の責任って奴かと思って、心を決めた。


 立ち上がって引き戸に手をかけ、三秒数えて一気に開ける。


「あなたたちっ! 何をしているのっ!」


 そこには淫らな高校生がくんずほぐれつをしている光景が、


 ——パソコンのモニタの中に。


 モニタの前で動きを止める三人の生徒、それを見て固まる慈愛。


 中の生徒の一人が手を挙げた。


「先生、俺たちはゲームをしているだけです。変な勘違いしないでください。いやらしいです」


「うるさいっ! そこに全員並びなさいっ!」


 慈愛は絶叫した。




 床に正座する三人を、慈愛は順番に見下ろした。


「順番にクラスと名前を言いなさい」


「36HRの梶山かじやまうしお。コンピュータ部の部長です」


「24HRの百瀬千尋です」


「24HRの沢田美香奈でーす」


「で、コンピュータ部ってのは、他に部員はいないの?」


「これで全部です」


 隣の文芸部の女子生徒は部屋に帰した。今コンピュータ部の部室にいるのは、部員の三名と慈愛だけだ。


 先ほどの状況は簡単に言えば、部室のコンピュータを使って大音量でアダルトゲームをプレイしていた、ということになる。


「だいたいあなたたち、まだ一八歳未満でしょ」


「はーい、先生先生」


 美香奈が手を挙げた。


「なに?」


「部長は四月生まれでもう一八歳でーす」


「でも、あなたたち二人は二年生なんだから違うでしょ?」


「一八禁ゲームをプレイしてたのは部長だけってことにして、わたしと千尋の二人は別の嫌らしいこととをしていたということで、手を打ちませんか? 若者同士の恋愛は許されているんでしょ?」


「詭弁ね」


「はい、先生」


 今度は部長の梶山が手を挙げた。


「この……、生徒を床に正座させるというのは、昨今の世論を鑑みるに適切か否かという点を、深く検討することが求められるのではないかと」


「うるさいわね。私は教師じゃないからそんな責任問題、関係ないわよ」


「教師でない人がこのような処置を取ることの是非は、更に深い検討が必要かと」


「森田先生っていう偉い人が提案した、『正座式心理療法』ってのがあるのよ」


「嘘ですよね」


「嘘かどうかは後で自力で検索しなさい。こっちには大人の責任って奴があるのよ」


「詭弁ですね」


「うっさいわね。あなた彼女いないでしょ」


「先生、それはセクハラです」


 ああ、やっぱり生徒の相手をするのは面倒だ。下手に首をつっこまずに相談室でおとなしくしていれば良かったと慈愛は思い始めた。


「あのう、先生」


 最後に千尋が手を挙げるのを、慈愛は半ば疲れつつ顎だけ動かして促した。


「僕達はどうなるんでしょう。やっぱり停学とか……」


「そうねえ……」


 生徒がエロゲーをやっていようが、エロゲー以外のことをしていようが、別に構わないとも思うのだが、慈愛としては別のことが気になっていた。


 折角コンピュータ部があるってのに、ここの生徒は何をしているのだろう。ゲームなんかで時間を使ってもったいないと思わないのだろうか。もっと創造的で学問的な活動に若いエネルギーをぶつけようとは思わないのだろうか。コンピュータ部って名前がもったいないじゃないか。


 ふうむ。コンピュータ部ねえ——。


「ねえ、あなたたち、今日のことが学校に知られるのは困るわよねえ?」


 三人は顔を見合わせる。千尋がおずおずと答えた。


「困ります」


「そうよねえ。そういうことなら、考えてあげないこともないのよ?」


 三人の顔に安堵が広がる。


 反対に慈愛の心の中の悪魔は、大きく口を裂いて笑っていた。ニヤリ、と。


 目的のためだったら、手段の選び方はこの際目をつぶってしまおう。


 慈愛の周囲の<縁脈>は悪くない作りになってきたかもしれない。


 眼鏡の位置を指で直し、再び、ニヤリ、と。

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