第28話 桂男 8
大きな声で桂男が叫んだ時に、
「往来でみっともないな」
と低い声がした。
はっと三人が周囲を見渡すと、いつのまにか颯鬼が側に立っていた。
「颯鬼のだんなぁ」
青女房は少しばかり甘えたような表情になる。
鬼族の颯鬼は雌の妖には人気が高い。
「げ」
と言ったのは桂男だった。
「揉めてるのか?」
「あ、いえ、別に」
「あにさんがええ仕事を桂男に振ってくれたから、わしらは桂男を迎えにきたんですぅ」
と青女房が言い、桂男はげっという風な嫌な顔をした。
「闇屋が? そうか、俺も今からあいつの所へ行くところだ。奇遇だな」
そう言って颯鬼は桂男の腕を掴んだ。
「いや、その。まだこの後、客と約束があって……俺」
と桂は嫌そうな顔とお愛想笑いの顔が混じったような複雑な顔になった。
と同時に二人の姿はさあっと霧のような物に巻かれて見えなくなった。
「え、おいてけぼり?!!」
鳴宮はあっけにとられている。
「颯鬼のだんなやったら、間違いなくあにさんのとこへ桂男を連れてってくれるやろ。わしらも追いかけるで」
「桂さん、何か急に弱腰にならなかったか?」
青女房はホホホホと笑って、
「そりゃそうや。桂男は颯鬼のだんなが苦手なんや。鬼族は力も強いし、そして何より美しいやろ? 桂男が他者に勝るのは美しさしかないのに、それもかなわん。もちろん妖力も歯がたたん。そやから昔から桂男は鬼族が嫌いなんや」
「へえ」
妖力で飛んで行った二人を追いかけるのも、人間の鳴宮には二本の足で頑張るしかなく、せっせと歩いて闇屋の工房へ戻る。中へ入ると待合室のソファに闇屋、颯鬼、そして桂男が座っていた。
桂男は、怨むぞのような目で鳴宮を見た。
「的はこの女や。痴漢えん罪を依頼者になすりつけ、依頼者は職も家族も失った。死なせる事はない。そんな安らぎを与える気はないそうやで。お前の得意技で思う存分、生気を吸い取ってやればええだけの話や」
と闇屋がガラステーブルの上に女の写真を一枚置いた。
携帯カメラで盗み撮りしたようなぶれた荒い写真だった。
「こ、断る」
と桂男が言った。
「どうして俺が刺青の柄なんぞにならなくちゃならないんだ。 人間の男の背中になんぞ憑きたくないね」
と桂男は美しい顔をゆがめた。
美しい桂男の顔は歪んでも美しい。
(依頼人はホームレスやったのに頑張って真夜中の道路工事で費用を稼いだんやで……)
(えん罪をかけられたんやで、気の毒な話やないか)
うろうろと暇な柄達が出てきては無責任に煽る。
「この俺の美しい姿を不潔な人間の肌に彫り込もうなんてお断りだ!」
と桂男が闇屋にびしっと人差し指を突きつけた。
「見ろ、この俺の美しさを!」
と桂男は全身で自分の美しさをアピールした。
確かに洋服も靴もバッグも時計も超一流ブランドだ。
闇屋の前に腕を突き出して光り輝く腕時計を見せつけた。
「この時計だけで一千万するんだぞ? ダイヤモンドにホワイトゴールドさ。靴もバッグもイタリア製。美しいだろ? このフォルム。美しい俺には美しい物が似合う。美しくもない脂ぎった汚い人間の肌に俺を彫り込もうなんて、美への冒涜だ。まあ、こんな狭い小屋で何十もの化け物とひしめきあって暮らしてるお前には分からないだろうがな」
闇屋は腕組みをしてじっと桂男を見ている。
闇屋の柄達は面白そうに見物だが、万が一、闇屋が怒った場合にとばっちりを受けないように少し離れて眺めている。
「それで?」
と闇屋が言った。
「だから、断る。何百年前も前ならいざ知らず、今、この現代でいくらでも金を稼げる手段はあるのに、お前達はいつまで化け物でいるんだ? 俺は違うぞ。俺はもう化け物じゃない。愚鈍な人間どもがうらやましがる能力を持った人間さ。人間の世の中には溢れているだろ? 小説? 漫画? 映画? 超能力を持った人間を褒め称えるような格好良い作り話でいっぱいさ。俺はそんな人間どもがうらやましがるような凄い人間さ! そしてこの美しさ。いつも安物の服を着て、醜い化け物達に囲まれたなり損ないの半妖にはこんな気持ちも理解出来ないだろうがな!」
その場がしーんとなった。
桂男はそれを自分の崇高な演説の結果だと思った。
ここにいる醜い化け物どもも、少しは人間の世に出て、自分のように人間を利用して生き抜いていく事を学ぶべきだと本気で思っていたからだ。
もちろん、自分のように美しい容姿を持たない化け物はそれなりにしか動けないだろう。
それは仕方がない。
運命だからだ。
美しい才能を持って生まれた自分と、地の底を這いずるしか能のない化け物ども。
闇屋が立ち上がった。
「美しいって事がそんな自慢か?」
と言った。
(や、やばいで……あにさん、怒ってはるで……)
と囁く声がした。
(ちょ、離れよ……こっちまで怪我する……)
闇屋の肌から抜け出ていた者はすぐに闇屋の背中に戻り、青女房も鳴宮の後ろに隠れ、小鬼達はさあっとその場から姿を消した。
闇屋の左腕に宿っている何十もの目々連達はぎゅっと目を瞑ったが、末っ子目玉だけがこそっと薄目を開けていた。
「確かに俺はなり損ないや。けど凄い人間になりたいとかは別に思わんな」
「な」
と言ってから桂男の動きがぴたっと止まった。
目の前の闇屋の身体にうっすらと妖気が溢れだしている。
「お、鬼?」
闇屋の頭の上にうっすらと二本の角が見える。
普段は隠してある闇屋の本性まで晒してしまう程の濃い妖気が闇屋の全身から吹き出す。
それほどに桂男の言葉は闇屋を怒らせた。
闇屋の手が桂男の腕を掴んだ。
「わ……」
その拍子に桂男の全身からすっと力が抜けた。
座っている事すら出来ず、桂男の身体はぐにゃりと横に倒れた。
身体に力が入らないだけではない、身体に蓄えてある全ての妖気が吸い取られる。
「あああああ……」
どんどん力が抜けていく。
それと同時に、
(あれまあ、久々に見たな、桂男の本性)
(なんやあいつも不細工やないか……)
(チビデブハゲは人間界ではタブーやで)
(そりゃ言い過ぎやろ。人間の半分はチビかデブかハゲやで)
(チビかデブかハゲか、どれか一つはええねん。チビでデブでハゲがあかんねん)
とヒソヒソと話す声がする。
「や、やめて……やめてくれ……見るな……俺を……見るな……」
闇屋に妖気を吸い取られ、本来の姿を化け物仲間の前に晒してしまった桂男は半泣きになって力の入らない声で言った。
「す、すげえな」
と鳴宮が呟いた。
「そやからあにさんを怒らせたらあかんて……桂男もあほやな。最初から素直に言うことを聞いとったらええ話やのに」
と青女房が言った。
「なあ、どうして桂さんは闇屋の兄さんを下に見てたんだ? 全っ然、適わないじゃん」
「あにさんが半妖やからやろうな」
「半妖……妖の血が半分って事だろ?」
「半分人間、半分妖、やから、あにさんを馬鹿にしてたんやろう。あほやから何べん言うても分からんのや。人間でもない、妖でもないと思い込んで。半分と言うても、あにさんの半分は鬼やで。噂では颯鬼のだんなより強い鬼族の……」
「青女房、やかましいな」
ぎろっと闇屋に睨まれて、青女房は下を向いた。
「すんまへん、あにさん……とにかく、桂男なんぞよりもあにさんはずっとずっと強いんや」
と青女房は締めくくった。
体中の生気、妖気が消えて痩せ衰えた桂男の腕からカランと一千万の腕時計が落ちた。 その時計を拾い上げたのは黙って成り行きを眺めていた颯鬼だった。
「もういいだろう。桂男は喜んで手を貸すと言ってるぞ。なあ?」
「は……はい」
「桂男、お前も人間界で長いし、いい暮らしをしているんだろう? それを手放してまで逆らうつもりもないな?」
静かな低い声で颯鬼がそう言った。
「は……い」
「お前は人間界の事は詳しいかもしれんが、人間界に暮らす妖の事は知りたくもないようだな。相手の技量も測れないようでは、長生きは出来ないぞ。お前が百万人いてもあれには適わんぞ」
と言い、そして颯鬼は闇屋に向かっても、
「そう角を立てるな」
と言って笑った。
「喧嘩を売ってきたんはその色男やんけ」
しわしわのカスカスになるまで妖気を吸い取られた桂男を顎で指しながら、闇屋が答えた。
「ここで桂男の妖気を搾り取ってもたいして美味でもないし、お前の力になるとも思えん」
「け」
と闇屋が言った。
そして桂男に「口、開けぇや」と言った。
桂男は怯えた様な目で闇屋を見上げ、恐る恐る口を開けた。
闇屋が右腕を肘の辺りまで桂男の口の中に突っ込んだ。
「グエッ!」
と桂男が嗚咽を上げ、それから桂男の腹の辺りがぶわっと膨らんだ。
桂男は苦しそうに顔を歪めて、腹を抱えた。
闇屋が腕を引っこ抜くとすぐに腹の膨らみは収まり、それからみるみるうちに桂男の容姿が元に戻っていった。
涙だか鼻水だかの体液をだらだらとこぼしながら、桂男はぜいぜいと肩で息をする。
「お前、人間界が長いわりに、礼儀っちゅうもんを知らんな。不作法ちゅうのは、人間でも動物でも妖でも嫌われるで。覚えとけや」
と闇屋が言った。
観念した桂男は小さい声で「勘弁してください」と言った。
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