第4話 まことの姿

「だから私は、あの日からずっと、かぐや姫が退院してこの公園に戻ってくるのを、待ってるの」


 語り終えると、藤原さくらは、ほっと溜息をついた。僕は、夢から醒めたように我に返る。


 同級生の藤原さんと、大人の女性のかぐや姫が、恋人のような関係になっていたのには驚いた。でも、何より気になったのは、繁華街での急変の理由だった。


「あれから、お見舞いには行ってないの?」


「行きたくても行けないわよ。私は家族でも何でもないんだから」


 藤原さんは悔しそうに顔を背けた。心なしか、目に涙が浮かんでいるように見える。


「私とかぐやの繋がりは、結局、この場所で一緒にお月見してたことだけなんだから」


 かぐや姫の話を聞いたことで、僕は藤原さんの秘密を期せずして知る人間となった。共犯者のような親しみを感じるようになった彼女を、助けてあげたいと思った。


「お見舞いなんて、適当に誤魔化せば行けるって。なんなら僕が、かぐや姫の弟のフリをしてみようか」


 藤原さんは、はっとして僕の方を見た。


「協力して…くれるの?」


「もちろん。夏休みでやることもないし。それに、藤原さんの話を聞いて、僕もかぐや姫のことをもっと知りたくなった」


 目元を拭って、藤原さんはちょっと笑った。初めて、彼女と心が通じた気がした。


「ありがと。それじゃ、明日の10時に平安病院前に集合ね。それと、竹中くんのこと、引きこもりだなんて言ってごめんなさい」


 そして、彼女はジャングルジムから降りると「帰ろう。ちゃんと寝ないと明日起きられないわよ」とお母さんみたいなことを言った。僕らは一緒に公園を出て、それぞれの家に戻っていった。



 町の中心部にある平安病院は、大きな総合病院だった。広い待合室には大勢の患者さんや家族が座っていて、藤原さんと一緒に来た僕は、周りの目が気になって落ち着かなかった。


 やがて順番が来て呼ばれる。受付のお姉さんは、眼鏡越しに僕たちを怪訝な顔で見たあと、「お見舞いですか?」と聞いた。


「はい。一週間ぐらい前にこちらに入院した、本宮月子の弟の本宮直樹です」


 鏡の前で練習してきた台詞を、やっとのことで絞り出す。動揺を隠せているか、自身がなかった。お姉さんは、やれやれという風に眼鏡を押し上げた。


「まぁいいでしょう。本宮さんは8階の815病室です。面会制限があるかもしれないので、看護師の指示に従ってください」


 なんとか関門を突破した僕たちは、面会証を受け取ってエレベーターに乗った。藤原さんは、病院に入ってからずっと無言だった。緊張しているのだろう。


 エレベーターが8階に止まり、ドアが開く。ナースステーションでは、何人もの看護師が忙しく立ち回っていた。


「あ…あの、本宮月子の面会に来たんですけど、815病室はどちらですか?」


「あ、本宮さんね。815は突き当りを左です。今は安定してるから面会できますよ」


 近くにいた看護師が、僕たちをちらりと見て事務的に答える。礼を言って、廊下を病室へと進んだ。


 815病室は、木目調の落ち着いた内装の個室だった。窓からは、遠くの山々を一望できる。かぐや姫は、頭に包帯を巻き、窓際のベッドで眠っていた。


「かぐやっ!」


 藤原さんが、ベッドに駆け寄ってかぐや姫の胸に顔をうずめる。かぐや姫は、ゆっくりと目を開けて僕たちを見た。


「おお、さくら。わらわを見舞ってくれるとは、嬉しきかな。こちらは、さくらの友人かな…」


「ほんとに、ほんとに無事でよかった!」


 藤原さんは泣きながら、かぐや姫の顔を両手で包むように撫でた。かぐや姫は、弱々しく笑った。


「怪我は、頭はもう痛まない?」


「心配無用じゃ。わらわは月の姫。やわな作りではない」


「どうして、あの時、急に走っていっちゃったの?一歩間違えれば、どうなってたか分からないんだよ」


 藤原さんの問いに、かぐや姫は困ったような顔をした。


「わらわが、急に駆け出した理由…あの時、さくらと水を買って歩いていたら…」


 そして、僕たちが見ている目の前で、かぐや姫の顔が少しずつ恐怖に歪んでいった。スローモーションの映像を見ているようで、僕は金縛りにあったように動けなかった。藤原さんが、息を吞むのが聞こえた。


「い、いやだ…連れ戻さないで!お願い!」


 切羽詰まった声で叫ぶと、かぐや姫は必死にベッドから起き上がろうとした。けれども、ベッドフレームがガタガタ揺れるだけで、うまく体を起こせない。めくれたシーツの下から、彼女の両足を固定する革のバンドが、ちらりと見えた。


 間髪を置かず、二人の看護師が病室に飛び込んできた。一人が藤原さんを押しのけてかぐや姫の体を押さえ、もう一人が素早く何かの注射をかぐや姫の右腕に打った。しばらく抵抗していたかぐや姫は、やがてぐったりと横たわり、眠ってしまった。


「何するのよ!かぐやは頭を怪我してるの。そんな乱暴に扱っちゃだめでしょ!」


 藤原さんが、看護師たちに向かって叫ぶ。注射を打った看護師が、憐れみのこもった眼差しを彼女に投げた。


「頭の怪我はほぼ完治しています。それよりも、ここの患者さんたちは不安定になりやすいのですから、急変時は私たちの指示に従ってください」


「怪我が治ってるなら、退院させてあげてよ!こんな仕打ち、私は許せない」


 怒りの収まらない彼女に、看護師は冷たく言葉を継いだ。


「弟さんから聞いてないのですか?本宮さんは、外傷で入院しているのではありません。彼女は随分前から、重度の統合失調症にかかっています。投薬を続けながら、慎重に経過を見守る必要があるんです」


 そう言い捨てると、二人は足早に病室を後にした。残された藤原さんは、呆然と立ち尽くしていた。僕は、奥歯がカチカチ鳴るのを必死で抑えながら、現実を受け入れようとした。


 かぐや姫は、本宮月子の、そして藤原さくらの妄想だった。

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