バレンタインと秘密のチョコレート

工事帽

バレンタインと秘密のチョコレート

 上司が死んだ。


 突然の死だった。


 正直に言って、好きにはなれない上司だった。


 声が大きく、常に怒鳴っている上司だった。


 呼びつけるときも大声、指示するときも大声、𠮟責するときももちろん大声だ。

 そのくせ話好きで、仕事中にも関係ないことを話し続ける。無視して仕事をしていると怒鳴られる。


 会社の飲み会はもっと酷い。上司一人が飲み会をしたいがために、部下は突然の幹事を任される。飲み会の席では、部下の失敗話を繰り返しては「俺が助けてやった」のだとのたまう。それが上司の指示通りにしたことでの失敗だとしても。


 そんな上司だったから、職場は途端に静かになった。

 静かな環境に心が安らぐ。それなのに、せっかくの静寂を破って、隣と話しをしながら作業している人がいる。


「自宅で倒れたってさ」

「それで警察?」


 会社には警察の人が来ている。

 上司は、急な、自宅での変死ということで警察による検視が行われたそうだ。

 その結果になにかあったのか、なにもなくてもそういう手続きなのか、今日は会社に警察の人が来ている。社員一人一人から話を聞くらしい。


 始めは社長、次に役職付き、そして直接の部下だったこの部署の人が呼ばれる。

 私が警察の人のいる会議室に入ったのは、部署の中でも最後だった。


「それでは早速ですが、お名前からお願いします」

「はい……」


 質問することが決まっているのか、警察の人からは次々と質問が投げられる。

 この会社に入って何年、今の上司になってから何年。そんなことを知ったからどうだというのだろう。上司の急死にはなにも関係ない。無駄な質問ばかりだ。

 いつまで、こんな無駄に付き合うのだろうかと思い始めた頃、質問の内容が変わった。


「上司の方は、どなたかに恨まれていましたか?」

「……私生活は存じませんので」

「職場ではいかがでしょうか」

「……さあ。仕事の話しかしませんので」

「上司の方は、随分と話好きだと伺っていますが」

「……仕事中ですから、関係のないことは覚えていません」


 壊れかけたスピーカーのように、騒音を撒き散らかすだけの存在だった。

 無駄な話しなんて覚えていても仕方ない。仕事の指示だって、ほとんどが分かり切ったことを繰り返すだけの再生機だ。無視したところで何も変わらない。


「それでは、あなたは上司の方をどう思っていましたか?」

「……べつに」


 べつに、ただ、うるさかっただけだ。


「部署の方のお話によりますと、上司の方と一番親しくしていたということですが」

「席が近かっただけです」


 そのせいで毎日がうるさかった。


「しかし、先日のバレンタインではチョコレートを送ったと伺いましたが」

「……」

「上司の方は、その日、方々に言って回ったようですよ。あなたからチョコレートをもらったと。随分と嬉しそうだったと」

「……」


 少しの間、沈黙がおりる。

 そのまま、静かな空間で過ごしていきたいのに、警察の人が回答を急かす。


「……秘密だと言ったのに」


 だからあの男はダメなんだ。


「話しの続きは、署で伺います。ご同行願います」


 世界はいつまでも騒々しい。

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