冷たい戦争

ロッドユール

冷たい戦争



 


 冷たい戦争は今も続いている――。






 今年も、二万人以上の命が戦死した。



 



 

 冷たい戦争に銃なんかいらない




 爆弾だって、戦車だって、戦闘機だって必要ない








 冷たい視線と





 冷たい言葉と





 冷たい笑いと





 冷たい態度があればいい







 殺す必要だってない



 みんな、自分で勝手に死んでいく――。







 冷たい戦争は、命だけでなく、深い魂までをも殺す――。









 彼は孤独だった。


 生まれてから一度も、友だちができなかった。



 彼の家は、古ぼけた木造アパートの一室で、親は飲んだくれの父親だけ、風呂もなく、いつも体は汚れていた。



 彼は友だちが欲しかった。

 彼は、初めてそのことを思い切って担任の先生に話した。



「友だち?作ればいいじゃん」

 かんたんに、あまりにもかんたんに、その先生は言った。

 マリーアントワネットが

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」

 といったみたいに、その先生はなんてことないみたいに言った。



 真っ赤な口紅の良く似合う先生だった。





 彼は、四十を少し過ぎた今も一人だ。

 


 食事よりも多くの精神薬を飲み、彼は毎日孤独と戦っている。



 救いのない永遠の孤独と――。









 彼女は四天王の一人だった。



 クラスの嫌われ者の――、汚い女子の――。



 彼女たち四人はいつも固まった。休み時間も、トイレに行く時も、給食の時も、下校の時も、いつも一緒にいた。



 同級生という敵から、自分たちを守るために――。



 彼女の持ち物は全て彼女の菌で汚染されていた。だから、同級生たちは、彼女の全てに触れたがらなかった。触れてしまったら、それは同級生たちにとって感染を意味した。



 クラスの男子は、彼女の給食袋をサッカーゲームのように蹴り合った。

「汚ねぇ、汚ねぇ」 

 と、笑い、叫びながら。





 彼女は自分がとても汚いと思った。

 家に帰ってから何度も何度も体を洗った。皮膚が剥けて、血が滲んでも、それでも洗った。ひりひりとした痛みで涙が出ても、彼女は体をこすり続けた。



 彼女は大人になり、結婚し、子どもが出来て、自分を愛してくれるたくさんの人に囲まれても、自分は汚いのだと思い続けている。


 彼女の二人の子供たちは、彼女のことを世界で一番きれいなお母さんだと思っている。


 でも、彼女は自分は穢れていると――、愛される人間ではないのだと――、心の底から思っている。





 彼女は、ある晴れた日の午後、マンションのベランダから飛び降りた。




 その日、近くの公園では桜が満開に咲きほこり、そこに生きる全ての生命は、春の喜びに満ち溢れていた。









 彼は小さな時から体が人一倍大きかった。小学生の時に、一人だけ中学生みたいだった。中学生の時は、高校生みたいだった。高校生の時は、大学生みたいだった。




 顔はゴリラみたいで、それだけで意味もなく笑われた。




「怖い、怖い」

 彼が廊下を通ると、女子たちはそう笑いながら逃げていった。




 運動会の時、観衆の視線が自分に集まるのが分かった。




 全ての視線が、弾丸となって彼の人格と自尊心を貫いた。


 

 


 彼は震え、そして、心の底から自分は醜いと思った。





 思春期を少し過ぎた頃、本当に心から彼を愛してくれる女の子と出会って、その子が、キスも、その子の持っている全てを開いてくれても、自分は愛される人間じゃない、世界一醜い人間なんだと、彼は思っている。



 


 今、彼は家から一歩も外に出ない。



 世界は戦場で、人はみな敵だったから。






 

 戦争は終わった





 でも、冷たい戦争は続いている。





 今も





 当たり前にある平和な日常のその中で・・







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冷たい戦争 ロッドユール @rod0yuuru

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