ミッションは学内広報誌

藤原 忍

第1話 よっぱらい事件


 その夜、私はとても気分よくお酒を飲んだ。ほろ酔い気分である。

 私立の六年一貫女子校に通っている一人娘は、無事に高校1年生に進級する。形式上の卒業式を経て、そのまま系列の高校に進むのだ。

 中学受験万歳である。あの時苦労したから今がある。中学受験もこの学校も娘の性格に合った。


 娘は、一人娘ながら積極的な性格で、はきはき意見する事ができる子だ。女子校で打たれても揉まれても生きていける性格をしている。おまけに普通に容姿も整っている。標準値範囲であることに間違いはない。

 女子校ではこの標準値範囲というのが必要なのだ。突出していては、生存競争でまず一番に叩き落とされる。そして求められるのは順応性。


 家族全員そろっての夕食。夫はごく普通のサラリーマンだ。今日は外回りの仕事だったので、帰りも早かった。

 東京23区内のマンションに住めるのは、夫と私の両親の遺産のおかげである。夫の両親が住んでいたマンションは古いが、親子三人で住むには充分で、しかも資産価値が高く、夫の職場からは通勤時間30分、娘の学校まで35分と無理がない。

 私の両親はもういないが、それなりの遺産を残してくれたので娘の教育費に上乗せすることができた。これはかなりのアドバンテージだった。


 私こと、オバ・ハーンはわいわいと楽しい食事に楽しいお酒で良い気分である。

 なぜオバ・ハーンなのかって?

 正直に田中花子ですと言ったらイマドキ検索されちゃうじゃないですか。そうしたら娘の学校のことや夫の会社とか、個人特定されちゃうでしょ?

 そこ、わかったら検索しない。詮索しない。

 とにかく、私たち家族は幸せに暮らしているの。

 夫は東京の出身だけど、私は地方出身。うだうだ言わないけど、まぁ、結婚が遅かったから娘のPTAグループの中では保護者としては二人とも割合年上ポジションの方かな。


 とっても気分よく夕食後の後片付けにとりかかろうとしたとき、私の携帯電話が鳴った。

 番号は出るが、登録されていない番号。

 生活に必要なほとんどの電話番号は携帯電話にしているから、学校の緊急連絡先もこの電話番号。クラスの緊急連絡先もこの電話番号にかかってくるから、知らない電話番号だから出ない、というのはちょっと無理がある。


 緊急案件だったら困るので、電話を取った。


「今時間大丈夫かしら?私、あずまです。いつも娘がお世話になっております」

 電話の相手は東さん。物腰柔らかな人なのだが、彼女の娘さんの話から、結構厳しいところもあるお母様だと思っている。つまり、キッチリしているお母様ってことね。

 ムスメ・ハーンは仲の良い友人たち数人を我が家に呼ぶことがある。休みの日や、試験期間中の放課後、我が家で試験勉強をやったりしている。

 我が家にこだわりはないので、ムスメの友人たちは礼儀正しくウチに遊びに来て、遊び、勉強し、時には親の愚痴を言って帰る。

 その場に私が同席することもあったりなかったり、だが、私はただの聞き役だ。ニコニコと話を聞いてやり、ニコニコと相づちを打つだけだ。

「どうしたら良い?」

 と助言を求められれば一言二言助言するが、それだけだ。


 問題は、ムスメ・ハーンは友人の名前をニックネームか下の名前で呼ぶので、彼女たちの「姓」がどこの誰かは私の頭の中では一致していない。

 したがって、各々の親御さんからありがとうね、何か粗相があったら遠慮なくしかってね、と保護者会などで顔を合わせるたびにおっしゃってくれるが、オタクのお嬢さんよりも我が家のお嬢さんの方が問題児なのでお世話になっているのはウチの方ですと頭を下げておく。

「ええっ?」

 と、みんな驚かれるが、実際その通りなので私はあまり口を出さない。


 各々のお嬢さん方は、本当に良い子ちゃんばかりである。

「いやぁ、うちの子バカだから」

 とお母様はおっしゃるが、家の中で家族に見せる顔と、家の外で誰かに見せる顔と、外面を使い分けているというのはおバカはできないんですよ、おかあさま。

 だから、充分に使い分けている彼女たちはおバカではない。

 我が家基準では「普通のこと」なのである。

 逆にその我が家基準がクリアできていない子は、ムスメは連れてこない。

 曰く、「私の友達じゃない」らしい。



 話はそれたが、その「いつも我が家にやってくるメンバー」の中の東さん、私たちからすると、「ハルちゃん」のママに当たる人だった。

「私、来年度の椿会の準備委員会をやっているんだけどね」

「あ、ハルちゃんから聞いています。来年度は副会長に、ですよね。今年は本部委員さんでしたっけ?いつもありがとうございます」

 ハルちゃんママ、抹茶さんはクラスのPTA委員の一人で、PTA活動をしている保護者さんだ。

 ムスメの学校にはクラス当たり3人のPTA活動担当さんがいる。そのうちの二人がクラス担当委員で、一人はPTA本部の仕事をする本部委員さんである。

「そうなの、PTA本部委員なの。それでね、この間の保護者アンケートでオバさんは今までクラス委員も本部委員もしていないと回答があったんだけど、間違いないですか?」

「はい、そうです」

「来年度、本部の仕事をしてみないかなぁって、連絡したの」

「え?私が、ですか?」

「そうなのよ。本部が出している、広報誌を年に2回発行する部署なんだけどね、もし、他の部署が良いなら他の部署でも良いんだけど、そこの副部長をやってくれないかなぁって」

「いや、どうして私なんですか?」

「アンケートの中に、誰もいなかったら仕事しても良いよっていう項目があったでしょう?誰も立候補がいなかったら、引き受けますって」


 ああ、あれか。

1、誰もいなかったら引き受けます。

2、以下の理由で引き受けることは困難です。

の後に続いたのは、親の介護があるとか、同じ学校に在学する他学年で委員を引き受けた、の解答チョイスがあって、それ以外のやんごとない事情があれば書いてくれと書く欄があった。

3、役員経験しました、のチョイスには何年度の何の仕事をしたか、まで書く欄があったはずだ。


引き受けられないという理由については仕事が忙しいとか、色々書くのだろうけれど。

 私、明確に仕事をしているわけではないので解答チョイスは出来ないんだよね。しかも、6年間のうち、一年間はPTAの役員の仕事をするのが暗黙の了解というこの学校だから仕方ない。「嫌だよ」のチョイスもなかったわけで、仕方ないからしぶしぶ1番に丸をチョイスしたことを覚えている。


「部長職は全部決まっているから、副部長として補佐してくれればよいのよ。皆さん、いろいろ事情があって、断わられちゃってぇ」


 電話はスカウトの話だった。抹茶さんは、親子ともどもほんわかーとした雰囲気の人なんだが、実は言うことは言う、なかなかのやり手さんで、半分酔っぱらって記憶にない私など、話に引き込むこともイチコロだったに違いない。


 ひっじょうに困っている様子で、なおかつ言葉巧みに誘ってくる。

 酔っ払いが陥落するのは時間の問題である。


 そう、何のことはない、スカウトマンのセールストークは一枚も二枚も上手である。1時間としないうちに陥落した。

 抹茶さんてば、さわやかな外見なのに、中身はしっかり実力者、なのだった。


教訓、スカウトマンはセールストークの上手な人間を当てよ。

教訓、スカウトマンに対抗するには酒を飲んではならない。もし、酒を飲んでいるときに電話かかかってきたら速やかに電話を切るべし。シラフの時に良く考えよ。


 そう言う訳で、私は翌年度の広報部の副部長職に当たることになった。しかも明日からは、PTA本部役員スカウトのためのスカウト要因として、「本部準備委員会」のメンバーとして動くことになった。


 で、質問。

 本部準備委員会とは何ぞや?


 以上本日の報告終了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る