maison

紫鳥コウ

un / une

 背丈の高い草が鬱蒼うっそうとはえている。眼を惑わすくらい陰影がはっきりとしている。


 使われている色は少なかった。創造主が余力で描いた場所だったから。葉の裏側の暗やみではえが眠っていた。そこは涼しくて静かだったから。


 後ろめたさを引きずるようなバイクの音が聞こえてきた。そしてひと気のない赤い土の道の途中で停まった。


 蠅はどこかへと消えてしまった。草むらの遠く向こうには、コンクリートをくりぬいてできたような家がいくつもあった。


 男は夕陽にかれた黒塗りのヘルメットを脱いだ。遠くの山の稜線りょうせんは、まるで燃えているようだった。れぼったい赤い唇で煙草をくわえた男は、ポケットからライターを取りだした。


 そこへボロボロの靴をいた少女が走ってきた。あちこちがうすく汚れている白色の服を着ていた。男は右腕を少女の方へ向けて振った。迷彩服もまた黒い影を演じていた。少女は走りながら左腕を振った。


 男はドロップ缶を渡した。少女はフランス語を必死に拾おうとしていた。大きく書かれたalphabetアルファベをひとつずつ発音していった。「m……a……i……」――男は煙草を土に落として踏んづけてしまうと軽やかに「maisonメゾン」と発音した。maison


 少女はドロップ缶のふたを開けようとしたが、なかなかうまくいかなかった。男は少女からドロップ缶をひったくると、力んだ表情をしてみせて、なんなく開けた。


 少女はドロップを口のなかで転がし、男は夜が訪れるのを数えていた。




 ――――そして、夜の訪れはどんどん数えきられようとしていた。男はバイクの後ろに少女を乗せて赤い土の上に軌跡を描いていった。


 男の腰をぎゅっとつかんで離さないこの少女の首に刻まれた傷は、いつか癒えるのだろうか。


 目に見えない、身体の傷より癒えがたいものをも抱えているこの少女は、どこで覚えたのかわからない軍歌をうたっていた。

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