つながり

尾八原ジュージ

1

 職場を出たときにはまだ空の端に引っかかっていた太陽が、帰宅する間に山の向こうに沈んで見えなくなっていた。僕は残光の中で、ゆっくりと家の周りをまわって点検した。

 窓にはすべてシャッターが降り、その上から板が打ち付けられている。玄関は外から施錠した上、これも板きれで封じられている。少しも動かされた形跡はない。内側のドアノブはとっくの昔に壊れているから、こんなに厳重に閉じる必要はなかったかもしれないが、念には念を入れておきたかった。

 このドアや窓をふさいだ日からもう一年とおよそ二ヶ月が経っていることを、僕はふと思い出した。

 二月ももうそろそろ終わりだ。


 田舎町の片隅、近所から少し距離を置いてぽつんと建っているこの家は、一階が店舗、二階が住居になっている。ここで僕たちの祖母は小さなスナックを開き、三年前に亡くなる寸前までどうにか僕たちを養っていた。以前は母も一緒に暮らしていたが、僕が九歳、妹の小夜さやが四歳のときに、居間と六畳間の間の鴨居にビニール紐をくくって首を吊った。

 外階段を使って二階の玄関まで上がる。ドアを開けると、廊下の奥から味噌汁のいい匂いがふわっと漂ってきた。

「兄ちゃん、おかえり」

 台所から小夜の声がした。僕はひさしぶりに命のあるものを見たような気持ちになって、「ただいま」と声をかけた。


 母が死んだリビングで、僕たちはささやかだけど暖かい食卓を囲む。祖母が生きていた頃から、僕たちは大抵ふたりで食事をしていたものだった。

「進路、どうするの?」

 野菜炒めをつつきながら、僕は小夜に尋ねた。

 小夜は高校一年生、まだ所謂受験生ではないけれど、今のうちから大体のところを決めておけと担任にせっつかれている。家族の誰にも似ず勉強ができるので、しきりに大学進学を勧められているらしい。

 彼女は首を傾げて、「どうしよっかな」と答えた。

「アンケート、書くんだろ?」

「うーん、就職しよっかな、この辺に。ここから通える大学なんてないし」

「お前なぁ、適当なこと言うなよ」

 僕は小夜に、できたら大学か専門学校に行ってほしいと思っている。仮に高卒で就職するとしても、こんな田舎ではなく、もっと都会で働いてほしいのだ。彼女の人生にまだ選択肢がたくさんあるうちに、この家から出ていってもらいたかった。

「うちに全然お金がないわけじゃないし、俺も仕事してるから進学できないことはないよ。奨学金とか寮のある学校とか、先生も調べてくれるって前に言ってたし」

 僕がそう言うと、小夜は茶碗を手に包んだまま、唇を尖らせた。

「だって私がいなくなったら兄ちゃん、この家にひとりっきりじゃん」

「心配するなよ、そんなの」

「でもさ……」

 小夜の声は、最後の方は溶けたように聞こえなくなってしまった。


 食事を終えると僕は片付けのために台所へ、小夜は学校の宿題や予習のために自分の部屋に籠る。

 居間と小さな台所、風呂場、トイレ、それに六畳間がふたつ。それが今、僕たちが暮らすつつましい住まいのすべてだ。

 廊下の途中にある階段は、今は祖母が生前使っていた大きな箪笥でふさがれている。そのせいで廊下の一部が極端に狭くなっているが、僕も小夜もその不便をあえて解消しようとはしなかった。台所で食器を洗い、シンクを拭いて振り返ると、どうしてもその箪笥が目に入る。箪笥をそこに移動させた次の日、僕は外に打ち付けた板の残りを、箪笥と天井の間をふさぐのに使った。

「兄ちゃん、お風呂沸いてるよ」

 小夜の部屋から声がした。

「私まだ宿題やってるから、先に入っちゃって」

「わかった」

 平穏な夜だった。こんなとき僕はつかの間、「あのこと」を忘れ、平和な心を取り戻すことができる。とはいえそれは脱衣場に入って、洗面台の鏡を見た途端に消えてしまうようなものなのだが。

 代わりばんこに入浴すると、僕たちはそれぞれの部屋に引っ込んだ。

「おやすみ小夜」

「おやすみ、兄ちゃん」

 こうして日付が変わる前に、僕たちは寝てしまう。夜中一度も目覚めないことを祈りながら。

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