2/18『ナン×幻想的×犬』

お題『ナン×幻想的×犬』

プロット

序:ある日、少女が連れてる犬がやたら吠えたと思ったらいい匂いがするナンを食べている少年と出会う。

破:吼える犬をあやしつつ、少女は少年と美味しそうなナンですね、と話し、ナンを売ってる店を教えて貰うことに。

急:少年について行くと幻想的な雰囲気のインド料理屋に到着するも、売り切れだった


 あたし、今日野飯子<キョウノ・ヨシコ>16歳の女子高生。

 今日は飼い犬のタベーヌと一緒にお散歩。

 最近はテスト勉強で忙しかったけど、テストも終わったし、久々のお散歩にタベーヌも嬉しそう。元気いっぱいにはしゃいでる。

キャンキャンッ!

 と、にこやかに散歩していたら突然タベーヌが吠えだした。

「あらやだ、どうしたの、タベーヌ。急に吠えちゃダメよ!」

 いけないいけない、とたしなめるあたし。

 ――普段は他人に吠えない子なのに一体何に吠えているのかしら。

 と、タベーヌの視線の先を見るとそこにいたのは歩きながらなにやら不思議な形をした巨大なパンを口にくわえた少年だった。

「でっでかぁぁぁぁ! ええっ!? なんかメッチャデカいパンくわえてるっっ!」

 がびーんっ、と驚くあたし。

「あわわわわ、あんな巨大なもこもこしたよく分からないパンをくわえて歩いてる子がいるなんて、テスト勉強している間にこの街の治安はおかしくなってしまったの」

 がくがくと震える私に対し、現れた少年はパンを口にくわえたままふっ、とさわやかにほほえんだ。

「んほほほほ、んぐ、ほほほひひひ、んぐっかぐっ、んほほほほほほほ」

「キラキラしながら決めぜりふ喋ってるっぽいけど、パンをくわえてるせいで全部台無しだぁぁぁ!」

 再度がびーんっ、と驚くあたし。

 ――なんなのこの子。怖っ!

 と、そこであたしは気づいた。

 恐ろしく香ばしい匂い。幾つもの香料が複雑に絡み合い、一つの極点に達したかのような芳醇な香り。それが、彼の咥える巨大なもこもこパンから漂ってくるのだ。

キャィンキャインッ!

 気づく。

 タベーヌは吠えてはいるが、これは警戒してる時の鳴き声ではないっ!

 そう、これは食べ物を催促する時の鳴き声っ!

 じゅるり。

 ――な、なにぃぃぃ! このあたしが! 気づかないままに! よだれを垂らしていたっ!

 なんと言うことだろうか。お淑やかなあたしにあるまじき、はしたない行為!

 ――なんなの。これはどういうことなの。あのパン、普通ではないっ! なんらかのすさまじい力を感じるっ!

 動揺するあたしを見て謎の少年はにやりと笑った。ゴゴゴゴゴ、と謎のすさまじいプレッシャーを感じる。

 そして、少年は語る。

「んぐほほほほ、んほほほ、んにゃんほほほほ」

「なんか格好いいこと言ってるっぽいけど、パンくわえてるせいで台無しだぁ!」

 がびぃんっ、とあたしは三度ツッコミを入れる。

「んぐぐぐ?」

「ちょっとあなた! 人に話しかける時は、口から食べ物を離すべきなんじゃあないかしら?」

 あたしの言葉に少年は、ぽんっ、と手を叩いてなるほど、というジェスチャーをする。そしてあっさりと口からその巨大もこもこパンを外した。

「はっはっはっ、これは失礼。僕はパンネ・コローネル。最近ここに引っ越してきた者さ。初めましてだね、お嬢さん。

 そして、これはパンなんかじゃぁありません」

「えっと、あたしは今日野飯子。この吠えてる子はタベーヌ。

 で、え、それはパンじゃないの? じゃあ一体……」

「ええ、これはパンではなく……ナンですよ」

「ナンっ!」

 驚くあたしに少年は手にした歯形の付いた巨大なもこもこパン改めナンを手にして笑う。

「そう! ナン! それはインドが産んだ完全食! あらゆる調味料、おかずに合う究極の食べ合わせ食品! それがナンなのですっ!」

「ああ、なんてこと! 嘘でしょう。だって、そんな、インドには確かカレーしかないはずよ。そんな、パンみたいなものが食文化としてあるだなんて」

「おやおや、これはずいぶんと失礼なお嬢さんだこと」

 少年は不敵に笑いながら、ずずいっと私に近寄ってくる。

「インド料理は、カレーだけじゃないんですよ」

「そんなっ!?」

「ナンはね、カレーと一緒に食べるととても美味しいんです」

「やっぱりカレーばっかじゃないですかそれぇ!」

「おっとおっと、お嬢さん。勘違いをしてもらっては困る。カレー以外の食べ物に合わせてもこのナンは美味しいんですよ」

「え、じゃあたとえば?」

「チキンカレーとか」

「カレーでしょうがぁ!」

 あたしのツッコミに呼応するようにタベーヌが跳び上がり、少年が手にしていたナンへがぶりとかぶりつき、奪い去ってしまった。

「え……!?」

「タベーヌ!?」

ハフハフハフハフハフハフハフッ

 人間達が呆然としている間にあたしの飼い犬のタベーヌはあっさりとナンを食べ尽くしてしまった。そして振り返り、謎の少年パンネくんへ「キャインっ」と吠える。それはまるでおかわりを要求しているようだった。

「すっ、すいません! うちの子が勝手に!」

「はっはっはっ、いいんですよ、お嬢さん。僕のくわえていたナンがあまりにも美味しすぎた。ただそれだけのことですよ」

「あ、許してくれるんですね。では帰ります」

 あたしはこれ以上付き合ってるのはなんか危険だと感じてタベーヌを小脇に抱えるとそそくさとこの場から立ち去ろうとした。が。

 その背に彼の声が届く。

「そのナン。君も食べたいと思ったんじゃあないかな、お嬢さん」

 不思議とあたしの足は止まっていた。

「……なんですって?」

「『ナン』を食べたいんじゃあないかな、と言ったんですよ、お嬢さん。

 もう一度言う、食べたいでしょう。

 ナンを。

 あなたはもう! あの匂いを感じてしまった! そそられてしまった!

 で、あるならば! もはやあの『ナン』という幻想的な存在からは逃れられない!

 ああ、食べるしかないのですよ! 『ナン』を!

 そうしなければ、後悔する!

 一生!

 ああ、『ナンを何故あの時食べなかったんだ』と悔やみ、悲嘆にくれた生涯を過ごすことになる。

 ええ、必ずだ!」

 額に手を添え、少年はきざったらしい態度と共に告げてくる。

「食べるしかっ! ないっ! 『ナン』を!」

 ――くぅ、なんて男なのっ! 訴えかけてくる! 猛烈に!

 あまりにも強引な、勧誘よりも脅迫に近い、あまりにも馬鹿馬鹿しい勢いだけの指摘。

 だが、その指摘があたしに決意をさせた!

「…………そうね。あなたの言うとおりかもしれない。

 『食べたい』のかもしれないわ。あなたの言う、『ナン』てやつを」

 あたしの据わった目に少年はパチンっと指を鳴らした。

「GOOD! 『食べたい』、その言葉を待っていましたよ、お嬢さん!

 君はもう、『ナン』を食べることでしかその内なる欲望を完結させることが出来ないっ!」

 大言壮語をはく少年にあたしは冷たい目で告げる。

「言っておくけれど――もし、その『ナン』が口に合わなかった時は、責任をとってくれるのよね」

「いいでしょう。僕の魂を賭けよう!

 さあさ、この近くにオススメのインド料理屋があるっ!

 行こう! 『ナン』の代金ならば僕が支払う!」

「ええ、行きましょう! その『インド料理屋』とやらに!」

「キャンっ!」

 あたしの言葉に抱えていたタベーヌも呼応する。

 そう、時は満ちた。

 あたし達は『ナン』を食べるのだ。

 いいや、違う、食べなければならないのだっ!

「こちらだよ、お嬢さん。この坂道を上ろう!」

「……はっ! 嘘でしょ、この匂い。なんて、複雑な香り。

 坂の上から、『漂ってくる』!

 既に『インド料理屋』のおもてなしは始まっているっ!」

 坂道を上りながら、漂ってくる匂いに自然と口の中でじゅるりじゅるりと唾液が分泌されていく。

 確かな予感があった。

 この坂をのぼった先には今まであたしが味わったことのない、とてつもない料理が待っているのだと。

 その確信があたしを突き動かした。

 謎のインド料理――『ナン』。

 ああきっと、今日はこの料理を食べる為に散歩に来たのだと。

 人には運命がある。

 それは抗うことの出来ない、定められたものだ。

 だが、決まった運命が決して悲劇とは限らない。

 そこへ向かう、人の『意志』がある限り、『魂』がうち震える喜びに従い、突き進むことで、人は確かな『幸運』を手にすることが出来るのだ。

「ふっふっふっふっ、君も感じるだろう。この香ばしい匂いを」

「ええ、そうね。かつてないほどの高揚感があたしを満たしている」

 あたしの言葉に彼はほほえんだ。

「そうだ。それでいい。君も知ることになるだろう。『ナン』の奥ゆかしい味を。幻想的なその舌触りを」

 あたしも自然とほほえんでいた。

「ありがとう。

 感謝しかないわ。

 あたしは今、確実に『正しい流れ』の中に居る。

 白か黒で言えば白!

 間違いのない正しさの中で、新たな料理に対面しようとしているわ」

 全身が歓喜に打ち震える。

「行きましょう。坂はもうすぐのぼり終えるわ」

 かくて、あたし達は坂を上り、角を曲がった。

 そこにはあたしのよく知らないインドのなんとか文字がずらりと走った異国風の料理屋があった。

 ――ああ、ここがっ!

 遂にたどり着いてしまった。

 ここで食べられるのだ。

 『ナン』という、幻想的な食べ物をっ!

 よだれ! 垂らさずにはいられないっ!

 だがしかし、悲劇は突然やってくる!

 あたしたちの目の前で「OPEN」と書かれたプレートがくるりと裏返され、「CLOSED」に差し替えられた。

「なっ」

「なにぃぃぃっ!?」

 あぜんとするあたしたちの前で異国風の料理屋の中の電気がぱちぱちと消されて真っ暗になり、やがて店の中からは音がしなくなった。

「そ、そんな――」

「――馬鹿な、もはや、僕たちは『食べるしかない』、その状態だったというのに!」

 二人してがっくりと膝から崩れ落ちる。

「そんなのってないわぁ」

 かくてあたし達は人生に敗北してしまったのであった。




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