さのさんの

ヅケ

佐野さんの反抗

1月25日

とどのつまり雄弁なのである。


厄介ごと、または面倒ごとには目を合わせず、黙っているのが手っ取り早い。

バトル漫画の主人公とでも言わんばかりに、目を細め眉間に皺を寄せて

窓から見える湖を眺める。

今日は一層濁りが増して深緑色だ。


「やっぱり立候補は恥ずかしいですよね。では、他薦でも構いません!」


全く、余計なことを。

集団の上に必ず役職を付けた者を置きたがる、人類の癖だ。


毎年、この時期には新たな生徒会を発足せねばなるまい。

この学園の代表となる生徒会長と役員を決め、その者達を中心として

風紀委員会だとか学園祭実行委員会の長を決めていく。

これを足掛かりとして有名大学への推薦入試、内申点の獲得を目論む者にとっては重要なイベントであろう。


だが、大半の生徒にとっては瑣末な行事である。

頬杖をつき虚空を眺める者、机に突っ伏し就寝する者、

隠れて宿題に取り掛かる者、一段高くしたあの教壇から見下ろす景色は見上げたものではない。


しかし、そうも言ってられないのが教師だ。

誰でも良いからクラスで代表者1名を決めなければいけない。

4年間大学に通い卒業し、教員試験のため必死に勉強を重ね、

努力の末、遂には合格し就任し初めて持ったクラスがこれではやり切れない。


「もう誰でもよくない?先生、はいは〜い。」


「はい、じゃあ向井さん!」


制服を着崩し、髪を明るくする事をアイデンティティと捉える a.k.a. ギャルが

ぷらぷら右手を挙げる。

うちの担任は女性だ。

歳が近いからか、男子・女子共に友達の様に接している。タメ口を使ってる者も少なくないが担任に咎められた事はない。


「えっと、佐野さんが良いと思いま〜す。なんでかっていうと、

佐野さんは真面目で、会長の仕事をしっかりやってくれそうだからで〜す。」


なんという事だ。

これだから女は怖い、自分より下だと見定めればこんな事を平気で行う。

へらへら笑いながら続ける。


「部活もしてないから、集中できると思いま〜す。」


ドカッと着席し、周りの席の仲間内4名と盛り上がる。姦しいことこの上なし。

屈託の無い笑顔で、窓際の女子生徒に視線を当てる。

読書に耽る彼女こそが佐野さんだ。


学年の置物、と向井グループからは呼ばれている。

同じクラスといえども、会話した人間は少ない閉鎖的な学生生活を送っている。

縁無し眼鏡をかけ、150cmあるかどうか程の小柄で、

大人しいといえば聞こえは良いが、ミステリアスというか何を考えているかは

不明だ。


「また向井かよ、うるせぇなあ。」


「もう佐野でいいんじゃね?」


クラスメートの小声が聞こえてくる。

自分も例外ではないが、こういうのは誰でもいいのだ、

誰かになってくれさえすればいい。


ただ流石に投げやりで決めては、その人が可哀想だ。

ここの学級の大半は、一応そう思っている。

ここで佐野さんを庇う意見を言うとしよう。

そうなると、後でやんちゃな向井のグループに何をされるか分からない。

ともすれば、じゃあお前が代わりにやれよ、といった流れになりかねない。

その可能性を皆は嫌っているのだ。

チラッとクラスを見渡すと、半分ほどが突っ伏している。



「私は、向井さんを推薦します。」


ガタガタっという音と共に立ち上がったのは、噂のその人、佐野さんだ。


「おお!?」


途端に、面白くなってきたと言わんばかりに教室が騒がしくなった。


「はぁ、マジ!?」


耳障りに近いほど甲高いギャルの言葉は、ボクシングを観戦する様な

生徒達の激しい声援にかき消された。

静粛を求める教師の言葉も同様だ。


「…コホン」

わざとらしく1回、咳払いをした彼女の発言は続く。


「その理由としては、1人1人の性格を深く把握しているからです。

先ほど、私の推薦理由を述べて貰いました。向井さんと親しくなく、クラスでも

目立たない私の人間性を説明してくれました。

であればこのクラス、いえ学年全員の性格や、得意不得意な事を熟知しているはずです。そしてそれは人物や物事を深く観察している証拠であり、この力は生徒を束ねる生徒会の人間に必須です。また持ち前の明るさにより、向井さんを慕う人は多いと思います。そして困難や問題が発生しても仲間達と協力して、打ち勝てるはずです。」


「おぉおおおお!」


教室は沸いていた。

六法全書みたいに分厚い冒険物語を熱心に愛読し、

最低限の級友としか交流を持とうとしない学園生活である。

そんな一見、気弱そうな見た目の人間からマシンガンの様に飛び出る、

反対意見は痛快だった。


早口なのに聞き取りやすい滑舌と、説得力ある口跡はそれまでの

学級の情勢をひっくり返した。

私のみならず、クラスの大部分の溜飲が下がったはずだ。


代表者は決まった。

「うちのクラスからは向井さんに決定ね!」


反対意見は聞かずに、パンっと手を叩き満面の笑みな教師。


取り巻きと関係の無い男子達は、就任祝いとばかりに拍手や激励の言葉を送る。

早くそれぞれの部活動に勤しみたいのだろう、

商売道具をまとめ身支度を整え始める。


学園生活終了のチャイムと同時に、教室を飛び出す大多数。

何だか可哀想な気もするが、自業自得といえばそれまでだ。

今日に限っては、居残るのは得策では無い。

意に反する形で勝利の女神に微笑まれ、唖然とした表情の向井と愉快な仲間を

残し、教室は空っぽになった。


「あのさ...誰かあたしの推薦責任者やってくんない?」


「えっとー、じゃんけんしよっか...」



さて夕飯は昨日の残りのおでんと、ゴーヤチャンプルーだ。

若干食べ合わせが悪い気もするが、気にせず箸を進める。

ゴーヤはご近所のお裾分けだろうと予想する。

皿の中に占める比率はやはり高く、上から見ると

ゴルフ場のグリーンみたいだ。


汁物の代わりとして、おでんは今日も食卓に並ぶ。

金色に透き通った出汁を、十分に染み込ませた大根を口に放り込んでいく。

チューブのからしを皿の端っこにニュッと絞り、口内に刺激もプラスしていく。


そして風呂に入り、就寝。



2月11日

最近の向井は上機嫌だ。


何やら、親しい友人や後輩が増えたらしい。

生徒会長選挙の挨拶回りや演説の為、連日学園中を動き回ってる。

その中で、他クラスや下級生との交流が増えているのだろう。


会長になる気は無く、適当に選挙は行うそうだ。

生徒会長競争に負けた者は、会計や書記の役員職になるのが通例である。

独自に定めた、顔面の良い男子のランキング順とやらで

委員会を固める魂胆らしい。

転んでもタダでは起きないというべきか、良い方向に転んだというべきか。


しかし一時はどうなるかと思ったが、佐野さんの学園生活に変化は無い。

陰湿なイジメが発生したら、男として守る気概だったが杞憂の様だ。



夕飯はオムライスと、ワカメのスープ。

いい加減、卵を消費してしまいたい時にはベストな選択だ。

毎日献立を考えるのは、なかなかの重労働だろう。

卵の島へ真一文字にケチャップをかけ、スプーンでペタペタ伸ばす。


しかし見た目に反して、食べるまでに神経を使う料理だ。

一口分を割って食そうとすると、卵とチキンライスの位置関係が

スプーンの上で逆転してしまう。

上手い切り方を模索した時期も合ったが、今は時間の無駄だ。

これが大人になる事なのかもしれない。


そして風呂に入り、就寝。



「...さて、俺も寝るか...」


誰に言うでもなく呟き、漆黒のゲーミングチェアから立ち上がる。


グゥッ、と背伸びをして踵を床につける。

その瞬間、背中になんだか固いものが当たった。

いや、当たったと言うよりは強く押し当てられていた。


「振り向かないで。」


ギョッとした。

真後ろから、自分以外の声に警告された。

声の主は両親でも親戚でもなければ、漫画の様に身体に閉じ込めている

もう1人の人格でもない。そもそもいないが。


己の危険を察知し、無意識に両手を挙げた。

一気に全身の毛穴から汗が吹き出る。

だが、突然の見知らぬ強盗では無いのは確かだ。


「もしかして、佐野さん?」


「違うわよ。」


いや、あの佐野さんだ。

研いだ錐の様なこの声は聞き間違えようがない。

でもなぜ、ここに?


しばらく沈黙が続いた。

動けるはずがない。背中に当たる物体が何かによって、次の自分の

行動が決まってくるが、物によっては生死が左右する。

頭皮から排出された脂汗が額を転がり、鼻背部に辿り着く。


「佐野さん。」


「違うわよ。」

頑なである。


「これって住居侵入罪だっけ?になると思うんだけど...」


「...えぇ。」


まずは相手に罪悪感を植え付ける。

立てこもり犯や容疑者の自白には、この手法が定石である。

犯罪に走ってしまう人間は、自分の中で善悪が狂い、取り返しのつかない事をしている自覚が欠如してしまっているのだ。

まずは気づかせてあげないといけない。


幸い、今回に関しての目撃者は自分1人だ。

墓場まで持って行けばいい。

クラスメートに免じて、今回は見逃そうではないか。


佐野さんは黙ったままだ。

犯した罪を悔いているのだろうか、反省してくれているのだろうか。

ともかくこの状況から脱出したいし、佐野さんの目的も聞かねばならない。


「大丈夫。誰にも言わないから、絶対!」


「...そう。」


蛇口から水滴が垂れる様に、ポツリと声が聞こえる。

どうやら分かってくれたみたいだ。


「何言っても無駄って感じね。」


その言葉とほぼ同時に、後頭部に強い衝撃が走る。

ガタッ!

レンガで叩かれた様な強烈な痛みと共に、意識が薄れる。



2月12日

佐野さんは今日、欠席だ。

罪の意識か、僕に会うのが嫌なのか、理由はわからない。

いや昨日の出来事は夢で、単純に体調不良なのかもしれない。


頭の怪我を心配されたが、転んでぶつけただけだと説明した。

変な誤解をさせてはいけない。


しかしながら、欠席したことで学級内に変化は無い。

良い意味でも悪い意味でも、佐野さんは空気の様な存在なのだ。

誰かが落ち込んでいるわけでも、喜んでいるわけでもない。

取り上げるニュースといえば向井の髪色が戻っていた事だけだろう。


学生の本分である勉学に取り組み、帰路に就く。

まだ痛む頭部に気を遣いながら、自室へと帰還する。


「よいっしょっと。」

カーテンは閉めきり、電気は点けない。

6枚のPCモニターのおかげで部屋は十分に明るいのだ。



夕飯はキムチ鍋と、きんぴらごぼう。

良かった、食欲ありそうじゃないか。

風邪ならばおかゆだろうが、辛いものが出てくるならば体調に問題は無い。

マグマの様にグツグツ沸いている中から、豆腐や豚肉、鮭の切り身を引き揚げ

用心しながら胃に入れていく。


具材がなくなったならば締めは勿論、ご飯と溶き卵を流し入れ、

万能葱を散らし雑炊タイムに突入だ。

ハフハフ言いながら、雑炊も平らげる。

外は寒かったから、より美味しそうに感じる。

元気そうで何よりだ。



画面の彼女と目が合った。

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