第18話 18日目
なんだか眠たくなってきちゃった。頭がぽわぽわする。
「おい、寝るな!」
肩を強く揺らされる。
「寝たら燻すぞ!」
「ひと思いに殺してよ~」
それにしても寒い。冬だし、雪山の上だから当たり前ではあるんだけど、ここまで寒いと知っていたら相応の準備をしてきた。
断る準備をね。
ぼくたちがこの雪山に登ってからすでに六時間が経過し、早くも少しだけ日が傾いてきたように見える。冬の太陽は切ない。
山の中腹部にある小屋で、ぼくたち四人は少し休憩していた。
ぼく、岩崎くん、そしてぼくたちを雪山へといざなった山本さんと川谷さんだ。
ぼくは魔法瓶に詰めてきたお湯でカップスープを作りながら、どうしてこんなことになったのかを振り返った。
ことの発端は、ぼくと岩崎くんが所属する民間伝承研究会に持ち込まれた一件の依頼である。
「県の北の方の山に、雪男が現れたらしいから見に行きたいんだけど、ついてきてくれないか」と。
民間伝承研究会は文字通りさまざまな伝承を取り扱っている研究会で、様々な不思議を解決、解析していると学内で有名だった。そのため怪談バスターズだとか都市伝説クラブだとかいう異名までついている。
そんなわけでこういう都市伝説めいた相談事が多く舞い込んでくるのだけれど、ストレートについてきてほしいと言われることは稀だったので、岩崎くんはテンションをあげて、二つ返事でオーケーをした。
「ところでどっからそんな情報を?」
岩崎くんが依頼人の山本さん、川谷さんに尋ねる。
「うちの大学の留学生たちが話していたんだよ」
「……」
ぼくと岩崎くんは、その言葉を聞いて少しだけ複雑な気持ちになった。留学生の噂を信じてわざわざ雪山に行くのかぁ。
「ちなみに、その留学生たちはなんて言っていたんだ?」
「『北の山にスノーマンが出たらしい』って言っていたから、スノーマンってなんだよって聞くと『ユキオトコだよ』って。そんなわけで雪男に会いに行くことにしたんだ」
「なるほどな」
しかし、スノーマンか、と岩崎くんが呟いた。
「スノーマンに何か思い入れでもあるの?」
「そんな人類いるか?」
そりゃどこかにはいるだろうさ。
「いやさ、お前スノーマンって単語の意味知っているか?」
「雪男でしょ?」
「ばーか、雪だるま、だよ」
はう、とぼくは口を押さえた。
確かにスノーマンって雪だるまじゃん。じゃあ留学生はどうしてスノーマンのことを雪男って訳したんだろう?
「留学生が雪だるまっていう単語を知らなかった可能性が高い」
「あ、だよね……」
「だけど、雪だるまなんて物珍しくないものをわざわざ話題にあげて北の山で見た、なんていうかなという疑問もある」
岩崎くんの言いたいことは理解できた。
確かに、わざわざ雪だるまを県の北の方で見た、なんて言うだろうか。
ぼくの頭の中で雪だるまが踊り始めた。
「ちなみに雪男っていうとなぜか毛むくじゃらの印象があるんだけどそれってみんなそう?」
「みんなそうだな。雪男は毛むくじゃらで、雪女は真っ白な肌の美人って言うのは世界共通のイメージだ」
雪女は日本の妖怪でしょうに。
「お前がイメージしている雪男はきっと『イエティ』とか『ビックフット』って呼ばれているUMAだな」
「イエティーーーーーーーーーーーー!」
「せめて上を脱いでから叫べ」
「セクハラだよ!」
筋トレしなきゃ。
聞くところによると、わりと最近までゴリラですらUMAだと思われていたらしいので、イエティが実在する可能性は高い。
実際、どこかの研究機関でイエティの存在確率は九十五パーセント以上だという。どんな計算方法ですか。
ぼく的にはスノーマンと言われると可愛い自撮り写真を撮る男の人かな、とか思っちゃうんだけれどそれを言ったら岩崎くんに「そんなアプリ、もう裏垢女子のなりすまししか使ってないぞ」と一刀両断されてしまった。
裏垢女子のなりすまし、この世の最下層では? その下に病み垢がある。
ふぅ。コーンポタージュを飲み終えて、ぼくは立ち上がった。ぼくのわがままで休憩させてもらっていたようなので岩崎くんたちに頭を下げる。
「おはよう、温まったよ」
「おう。それはよかった。おやすみ」
「寝るな! 寝たら脱がすよ」
「夜這い~~~~」
まだ夕方だ。
ぼくは魔法瓶をリュックサックに入れて背負い直した。
ぼくの鞄には山登りのためのもろもろしか入っていないけれど、岩崎くんや山本さん川谷さんの鞄にはイエティ捕獲用の狩猟道具が入っていた。
狩猟道具と言ってもなんか棒とか、あとなんか網とかそういう馬鹿みたいなやつがほとんどだったけど。
そんなわけでぼくたちは再び山奥へと進み、木々をかき分けていく。
ガサゴソ、と音がするたびに振り返るけれど、基本的には狐や鹿などの小動物だ。
時折、木々に積もった雪の塊がドスンと落ちてきていた。
「この雪に飲まれたら、さすがに危ないよね」
「この程度の雪なら何とかなるんじゃないか? 雪崩レベルなら怪しいが」
「まあ、お腹に脳みそが詰まった鹿が現れたらそりゃあ危ないどころじゃないよね」
「つ、突っ込める人ー」
岩崎くんがつっこみを放棄して周りに相談をしていた。
いや、ブラックジャックくらい小学校の図書室で読んでいたでしょうに。
その時背後でドスン、と音がした。
この音はもう数回聞いたものだった。雪の塊が落ちる音。
ぼくたちは振り返りもせず、先へと進もうとした。
ドスン。
しかし、奇妙なことに、雪の落ちる音が二回聞こえてきた。
ドスン。
ドスン。
三度、四度。
その音はだんだんと近づいてくるようで。
ぼくたちの足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
そこで目に飛び込んできたものは……。
「す……す……」
「すの……」
「「「「スノーマンだ!」」」」
振り返った先には文字通り……いや、意味通りのスノーマンがいた。
丸い雪の塊が二段積み重なっていて、下の塊には手を模すかのような木の枝が二本、横に刺さっている。
上の塊には目を模した石に、鼻を模したにんじん、口のところには木の棒が刺さっていた。
オーソドックスな雪だるまだった。
しかしそのサイズはオーソドックスではなかった。下半身がぼくの伸長くらいある。全長で三メートル程度の大きさだ。
その雪だるまが、ドスン、ドスンと一歩ずつこちらに近づいてきていた。
足がないのにどうやって近づいてきているんだよ! とつっこみを入れた君、百点だよ。つっこみ検定八級をあげる。
正解は単純明快で、どういう理屈か飛び跳ねるように移動していた。
歩くのではなく、飛び跳ねる。
その間抜けな仕草に噴き出した川谷さんが、そのままスノーマンに惹かれるように近づいていく。
そして川谷さんはスノーマンに手を伸ばした。
「ま、待て!」
いち早く危機を察知した岩崎くんが声をあげたけれど時すでに遅し。
スノーマンは、お腹の部分を“ガパリ”と大きく開いて、川谷さんを丸のみにした。
「なっ!」
「だから待てと言ったのに」
動く雪だるまなんて怪しいものに不用意に近づいていくやつがあるかよ、と岩崎くんは舌打ちをする。
岩崎くんも二、三歩近寄っていたことは見なかったことにする。
数秒経っても、川谷さんは雪だるまから出てこなかった。
そしてなんとなく、そいつは一回り大きくなったような気がする。
山本さんが我に返って、「オイ! 川谷を助けなきゃ!」と叫んだ。ぼくは当然そのつもりだったけれど、不用意に近づいて雪だるまに吸収されるのが一番まずい。
こういう時は岩崎くんの秘策に頼るしかない! と思って彼の方を見ると、静かに彼はリュックを置いてそろり、そろりと後ろに下がっていく。
いやそれ熊と対峙したときのやつぅ!
熊と対峙したときに、死んだふりをするのは素人のやることである。
玄人は、荷物を置いてゆっくりと下がる。決して走らない。
これは対戦相手が熊のときに有効な手法であり、まあパンダとかも有効だと思うんだけど雪だるま相手に通用するとは思えなかった。
イエティには通用するかも。
ミキティーーーーーーー!
山本さんはそんな岩崎くんを見てギョっとし、自分で何とかするしかないと思ったのかリュックからジッポライターを取り出した。
「……」
じっと、ライターを見つめている。
確かに雪だるまと対峙したときに溶かそうとするのはすごく自然な発想だし有効なものだと思うけれど。
投げるんだろうか。あんな小さい火を。
それならまだ心を燃やした方が数百倍熱そうだ。ライターもあんな雪玉に放り込まれてしまったらさすがに自分の責務を全うできなさそうで少し可哀相。
山本さんは破れかぶれになってライターを放り投げたけれど、当然ジュッって音を立てて火が消えた。
ゾンビ映画みたいに爆発が起きるわけもなく。
ぼくがジトっとした目で山本さんを見つめていると、縋るような目つきで「な、なあ。炎出せないか? 足から炎を出せたりしないか? するだろう、なあ?」と問いかけてきた。
出せませんし、急に実写にもなりません。
ぼくはふるふると首を横に振る。
魔法瓶のお湯はコーンポタージュとして全部飲んでしまったので使えない。口から出すか、まあ最悪数時間待てば出てくるけれど量が足りなさそうだ。ほんと最悪。
しかしぼくは意外なことに気が付いた。
スノーマンが、岩崎くんの置いた鞄をじっと見つめているのだ。
もしかして、鞄に興味を惹かれている?
岩崎くんはこっちに向かって小声で「こいつが気を惹かれているうちに、いったん引くぞ」と言った。
ぼくたちはそれに従い、スノーマンから距離を置く。
さて、どうやって川谷さんを救出しようか。
「あのスノーマンに消化とか吸収の概念があるかわからないけれど、凍傷とかも考えたら救出は早い方がいいよね」
「ああ、一刻も早く救出しないと」
と、ぼくと山本さんで話していると、岩崎くんはこっちを見て不敵に笑った。
「ああ、そのことなんだけどさ」
スノーマンが腹の口を開けて、岩崎くんの鞄を丸のみにする。
「たぶん、もう大丈夫だぜ」
その宣言通り、スノーマンの体がじわじわと溶けだしていった。
**
「留学生の話を聞いた時、やっぱりスノーマンって名付けられたことが気になってな。海外だと俺たちの想像する雪男って言うのはやっぱりイエティって呼ばれるんだよ。それなのにあえてスノーマンって呼んだことには必ず意味がある、そう思ったんだ」
雪だるまから溶け出た川谷さんを引っ張り上げながら、岩崎くんが淡々と解説をする。
「だから、本当に雪だるまなんじゃないか? って思った。でも、それで噂になるはずがない。この二つの理論を合わせた時に、動く雪だるまっていう可能性が頭を過ったんだ」
「……すごい想像力だね」
「じゃあ雪だるまに危害を加えられたらどうしたらいいだろう? 溶かすしかないよな。でも、火や爆発物はリスクが高い。そこで俺は、ひとつの化学物質を用意した」
「化学物質?」
「ああ。お前も知っていると思うぞ。水によく溶け、凝固点降下を引き起こし、さらに化学反応を起こすときに発熱をする、ただ氷を溶かすためだけに存在していそうな化学物質だ」
凝固点降下とは、文字通り水が氷になる温度を下げることだ。そして発熱反応を引き起こす。
ソルベー法の副産物として生成され、CaCl2と書かれるその化学物質は。
「そう。塩化カルシウムだよ」
塩化カルシウム。
冬、道端に置かれている白い塊のことだ。除雪剤として広く認識されていて、ホームセンターでも買うことができる。
「俺はリュックに塩化カルシウムを入れていた。それを吸収した雪だるまは、内側から崩壊したっていう算段さ」
どや顔で知識を披露した岩崎くんは、満足げに目を閉じた。
ぼくは素直に感心し、山本さんは川谷さんの生存を喜んでいた。
「しっかし、まさかイエティ以上の衝撃生物がいるとはな」
「生物かどうかも怪しいよね、動く雪だるま」
写真を撮る前に溶けてしまったことは残念だったけれど、出会えたこと、全員無事だったことは貴重な体験だった。とりあえずぼくは残骸をスノーで加工した。
文句なしのハッピーエンドに満足したぼくたちは、日が沈むより先に帰ろうか、と帰路に向けて一歩を踏み出した。
ドスン。
その時、背後から聞きなれた音が聞こえてきた。
ドスン。
二度、三度。
雪玉が地面を叩きつけるような音が響く。
ドスン。ドスン。ドスン。
ドスン。ドスン。
音は幾重にも重なり、ぼくたちの聴覚を支配していく。
ギギギ、と音がたちそうなほどぎこちなく、ぼくたちは後ろを向いた。
そこには、三メートルをゆうに超す、五体のスノーマンがいた。
岩崎くんが震えた声で問いかける。
「なあ、もしかしてその留学生たちってさ……」
もう塩化カルシウムは残っていない。
「『スノーメン』って言っていなかったか?」
<『す』のーまん 討伐>
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